誘拐事件
アメリカは行方不明が異常に多い国だ。2020年に登録された18歳までの行方不明者はなんと36万5348件。このうち、9割が家出。家族による誘拐が5%、他人による誘拐が1%以下。他人による誘拐は3000件以上。想像していたよりは少ない。
しかし、他人による誘拐の多くは、性的搾取のために連れ去られる。
日本では同じ頃の同年代の子どもの行方不明は1万6825人だそうだ。意外と多いかもしれない。
これは人から聞いた話。エミリーという高校生の女の子がいた。彼女が外を歩いていると、隣に車が横付けした。友達のお父さんだった。
「歩いて帰るのは危ないから、乗っけて行こうか?」
「いいの?」
「いいよ、いいよ。遠慮しないで。どうせ帰り道だから」
女の子は後ろの席に乗った。
「飴食べる?」
「ありがとう」
エミリーは素直に飴を食べた。
「実はさ・・・うちのマンディが・・・」
と、娘のことを相談し始めた。それによると、ボーイフレンドができて、夜中まで遊んでいて心配だというものだった。マンディはそんな子には見えなかった。
「え、全然見えないですけど・・・」と、思ったままを答えた。
「私たちもそう思っていたんだけどね」
男はなぜか家に帰ろうとしなくて、家とは反対方向に走り出した。エミリーは、迷惑だなと思いながらも、娘が心配なんだろうと付き合ってあげた。すると、しばらくしてどうしようもなく眠くなって来た。
「すごい・・・眠い・・・どうしよう・・・」
エミリーは、知っている人とは言え、大人の男の前で前後不覚になることに不安を感じていた。
しかし、そのまま意識を失った。
***
彼女が目覚めたのは、真っ暗な部屋だった。何も見えないし、足が鎖に繋がれていた。口には猿轡。彼女がモゴモゴ言っていると、しばらくして男が入って来た。顔は見えないが友達の父親だと思った。
男は彼女の猿轡を外した。
「どうして?家に帰らせて」
泣いて懇願した。
「それは無理だよ。これから君は俺と暮らすんだから。これを食べて。一生懸命作ったんだから、おいしいと思うよ。俺、料理は得意なんだ」
彼女はそこで反抗したりしたら、殺されると思った。
「ありがとう。でも、手が使えないわ」
男は上手に彼女に食べさせてくれた。垂れてしまった汁はティッシュでふき取った。全然悪い人とは思えないくらい優しかった。まるで具合が悪い時に、世話をしてくれているみたいだった。
「私がここにいることを、マンディは知ってるの?」
「知らないよ。あの子は言ってないと思うけど、俺と妻は離婚したんだよ」
「えぇ!?そうだったの・・・」
「それで、君に来てもらったんだよ」
「ここはどこ?」
「すごい山奥で、誰も来ないところだよ」
その時、エミリーは助けを求めても誰も来ないと悟った。山奥でここから飛び出しても、助かる前に野生動物に襲われて死んでしまうのがオチだろう。
逆らわないことだ。相手が油断すれば、必ずチャンスが訪れる。それ以外に助かる道はない。彼女は自分に落ち着け・・・落ち着け・・・と言い聞かせた。
***
エミリーは男と恋人同士のように振舞った。二人はすっかり仲良くなって、足枷も、手錠を外してもらった。
本物のカップルのようだった。太った醜いおじさんと、10代の女の子の奇妙な組み合わせ。
二人並んでキッチンで料理を作る。幸せそのものだった。エミリーのお中には彼の子どもがいた。若いから妊娠しやすくて、すぐに子どもができた。誘拐犯との子ども。エミリーはかわいがって育てられるか不安だった。
エミリーは、ある夜、男が寝ている間にキッチンにあったナイフを持ち出して、枕の下に隠した。男を突き刺して殺すんだ。エミリーは躊躇せずに実行した。思い切り胸を刺された男はしばらくばたばたしていたが、やがて静かになった。
「馬鹿だな。俺がいなかったら生きられないのに」
男は笑いながら言った。
エミリーはその瞬間、気が付いた。そこには電話も何もないことに。電機はソーラーパネルの蓄電池。車にガソリンは入っていない。どこにあるかもわからかった。まず、食べ物だって自給自足で賄っていた。肉は男が仕留めた鹿などの野生動物。
エミリーは出産まであとどれくらいあるか考えた。妊娠に気が付いて2か月。あと7ヶ月くらいは、栄養を取らなきゃ・・・母が妹を生んだ時のことを思い出して、エミリーは、男を食材にすることを思いついた。
男の体を小分けにして、せっせとラップに包んで冷凍した。骨もスープを取るのに使う。こうやって、亡くなった後も、尽くしてくれるのだからありがたい。文字通り、父親は子どもの血となり骨となるのだ。やがて、男の肉を食いつくしてしまった。それからは、外に出て家庭菜園をやったが、種がなかったから雑草を食べた。庭にはヤギと鶏を飼っていた。動物は大切な家族だった。飢えてしまい、最終的にはそれも食べてしまった。
もう、何も食べるものがない・・・そう思って絶望していた矢先に、道に迷った人が尋ねてきた。ハンサムな若者だった。カールした茶色い髪をしていて、背の高い白人。名前はベンジャミン・マンハイム。ドイツ系だろうか。ハイキングをしていて道に迷ったそうだ。エミリーがいるのはかなり辺鄙なところらしく、携帯電話の電波が届かない場所だ。彼は地図を見ながら歩いていたが、ルートを間違ってしまったそうだ。
エミリーは彼を家の中に招いた。実は人にふるまうお茶なんかももうなかった。エミリーは絞った母乳を差し出した。
「ヤギのミルクです。よかったらどうぞ」
「ありがとう」
男はそれがヤギのミルクではないと思った。何の味だろう・・・ほんのり甘い。部屋の奥では子どもが泣いている。もしかしたら、母乳じゃないか。背筋がぞっとした。
「こんな所で一人で?」
「いいえ。夫は今狩りに行ってるんです」
「獲物は?」
「鹿とウサギ」
しばらく二人は世間話をしていた。
「電話を借りられませんか?」
「うちは電話ないの・・・」
男はちょっとまずいなと思った。なんとなく様子がおかしかったからだ。女の服は薄汚れているし、ホームレスみたいな匂いがした。
「じゃあ、そろそろ・・・帰ります」
「でも、道に迷ってるんじゃ?危ないわよ」
「いいえ。平気です・・・」
男は笑顔で女にお礼を言った。女は「じゃあ、気を付けて」と言いながら出口まで送るふりをした。男が背を向けた途端、女は男の心臓を目掛けて包丁を突き刺した。
男はそのままバタンと床に倒れた。
「今日はご馳走だわ」
女は嬉しそうに男の服を脱がせ始めた。
「この洋服もまだ着れる」
男のズボンを脱がせながら言った。
「お肉がぷりぷりしてておいしそう」
そう言いながら人差し指で押した。女は今日の夕飯を何にしようかと鼻歌を歌いながら考えた。男はまだ完全には死んでいなくて、必死になって床を這って逃げようとした。そして、数メートル進んで力尽きた。
「大きなお尻」
女はブツブツだらけの尻を撫でながら、その肉でステーキを作ろうと思った。
「これで2か月くらい暮らせるかな・・・。血も大事な栄養だから、血でソーセージを作らなきゃ。また誰か来ないかしらねぇ・・・」
女はその時知らなかった。
その人がHIVの患者だということを。
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