路線バス

 俺は昔から路線バスに乗るのが好きだった。今住んでいる、東京都区内で一番多く見かけるのは、都営バス。均一料金でわかりやすい。バスのデザインも、ゆるキャラも好きだ。バスの座席シートもゆるキャラの”みんくる”になっている。

 電車と同じようなところを走っていたりするが、移動に時間がかかってもバスに乗ることがある。ただし、バスが快適なのは座席に座れた時だけだ。


 ちょっと前のことだけど、俺は8時頃バスに乗った。その路線は、乗客が多いから、夜は混んでいる。早めに並べば座れるから、その時は出口の後ろの席が空いていた。


 窓際に座ろうとしたら、白いヘルメットが置いてあった。新幹線じゃないから、ヘルメットを置いて席を取っておいて、後で戻って来るなんてことはない。明らかに忘れ物だった。俺はヘルメットのことを運転手に知らせないで、隣の席に座っていた。降りる時も、黙って降りようと思っていた。中古のヘルメットが盗難に遭うことはないからだ。


 隣の席で、そのヘルメットが何かを主張し始めていたようだった。そのヘルメットがそこにあることによって、一人分の席を独占している。満席で立っている人もいるのに、誰もそこに座ろうとしなかった。


 俺は自分が降りるはずのバス停に差し掛かったから、降車ボタンを押した。降り口に一番近い座席だ。都バスは前から乗って、真ん中の出口から降りる。均一料金だから精算もない。俺は「すいません」と言いながら、立っている人に退いてもらって、降りようとした。


「お忘れですよ」


 誰かが俺に白い物を手渡そうとした。俺は隣の席のヘルメットだと思って「違います」と言って断った。その瞬間、俺が自分のいた席をみると、俺がさっきデパ地下で買った高級食パンの紙袋が見えた。俺が「あ、俺のだ」と思ったが、さっき「違います」と言ってしまったし、バスを止めているから早く降りなくては、と判断してしまった。なぜ、そんな意味のないかっこの付け方をしたのかわからない。どうせ800円くらいだし・・・と、俺は諦めた。


 元の席を見ると、あのヘルメットはまだあって、中にはおじいさんの顔があった。首から上だけが座席に乗っている。俺はぎょっとした。俺は、きっと幻覚を見ているんだろう。そう思って慌ててバスを降りた。


 後ろからもう一人降りて来たけど、俺が降りるまで待ってたんだと思って、恥ずかしかった。そのバス停に止まって時間が経っているような気がしたし、バスの運行を妨げてしまったんだ。運転手さん、すいません・・・と、心の中で詫びた。


「お忘れですよ」

 後ろから声を掛けられた。おじいさんの声だった。俺は振り返った。

「はい?」

 そこには、俺が置いてきたパンの袋があった。しかし、パン屋の紙袋を差し出した手は、少し奇妙だった。傷だらけで、シワシワ。濃いシミが無数にあった。


 俺ははっとして、顔を上げた。さっき、座席にあった白いヘルメットのおじいさんだった。血だらけのジャンバーを着て俺に紙袋を手渡していたんだ。

「違います」

 俺は走って逃げた。俺は後ろを振り返らなかったが、おじいさんは、しばらく俺を見送っていたような気がした。走る間ずっと、後ろに視線を感じたからだ。


 *本作品はフィクションです。 

 

 




 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る