呪詛

 日本発祥の呪術で一番知られているのは、藁人形を用いて行う丑の刻参りだ。

 しかし、7日間連続で神社の御神木に釘を打ち付けるのはかなりハードルが高い。だから、普段、神主がいない小さな神社で、氏子も見回っていないようなさびれた所なら可能かもしれないと思う・・・。時間は丑三つ時(午前2:00-2:30)だ。夜中に一人で出かける根性のある人なら可能かもしれない。


 俺も50年以上生きてきて、デスノートがあればと思ったことが何度もあったし、呪いをかけてみたが成就したことは一度もない。だから、満願叶ったとしたら、多分偶然だと思う。


 昔の僧侶たちは、仏の力を借りて呪いをかけていたそうだ。

 日本の仏教にそんな黒歴史があったとは残念な気がする。俺には弥勒菩薩とかの慈悲深い顔しか浮かんでこない。

 しかし、戦乱の世の中、武力や呪いをもって全力で戦って来なかったら、寺を維持することができなかったと思う。だから、仏も力を貸したんだろうか。


 室町時代の話だ。京都に真言宗の醍醐寺という大きなお寺があった。今は世界遺産になっている。


 寺に年貢を納めていた村人たちが、年貢を半分に減額するように要求して来たそうだ。そして、寺の人に対して暴力行為も行ったとか・・・。醍醐寺の僧たちはそれに武力で応戦。


 そしてさらに呪詛を始めた。

 

 執金剛神しゅこんごうじん像という仏像を設置して、千反陀羅尼と不断陀羅尼という呪文を唱えてたそうだ・・・。護摩の煙を焚いて、ひたすら呪文を唱える。


 効果はすぐに出て、首謀者だった村人は捕まって処刑され、他の村人たちも、病死や餓死などで次々と亡くなった。さらに使用人や家畜も急死したそうだ。


 こういう壊滅的な状態になって、ようやく醍醐寺の僧たちは呪詛をやめた。

 これは史実らしい・・・。

 

 でも、これって、寺側の正義であって、農民側にとってみたら悲劇だ。

 江戸時代でさえ85%が農民で、武士は7%しかいない。

 だから、今、室町時代だったらほとんどの人は農民だ。

 

 昔は、厳しい身分制度があって、農民が領主には逆らえないような社会構造があった。表に出ないような理不尽なことが無数にあっただろう。

 しかし、今は復讐しようと思ったらもっと有効な手段があると思う。


 例えば、社会的地位のある人なら男の勤め先の人事に報告するとか・・・不倫だったら、男も女も両方訴えて慰謝料を取るとか。離婚して子供に会わせないとか・・・。


 以前、妻の浮気相手の男の陰茎を切ってトイレに流した人がいた・・・。

 気持ちはわかる・・・。俺はその浮気相手に同情できない。

 最悪、犯罪を犯しても殺人じゃなかったら死刑にはならない・・・(というのは、当たり前だけどやめた方がいい)。既婚者から誘われてついて行くような安っぽい女なんて、くだらないと思うからだ。

 



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