ハイキング
山は基本的に怖いところだ。
山菜取りに出かけて行方不明になる人は多い。
地元に住んでいて、何十年も通っているような人でも、道に迷ってしまう。
下ばかり見ながら、どんどん奥に踏み込んでしまって、そのうちどこにいるかわからなくなってしまう。一度迷ってしまうと、焦って動き回っているうちに、どんどん体力を消耗してしまう。四方を木に囲まれて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。
山菜取りの時は、水、食料、笛、ラジオを持って行くといいそうだ。
そして、あらかじめ決めた範囲でしか取らないようにすることらしい。
都会の人は登山を趣味にしている人が多い。
俺は地方出身だが、地元にいた時、登山が好きと言う人には会ったことがなかった。10代で山が好きと言う人はあまりいないのかもしれないし、実際に田舎に住んでいると、わざわざ遊びに行くような場所ではないと思うからだ。
これは、前の会社の知り合いから聞いた話だ。
その人(Aさん)は、にわかハイカーだった。がちの山好きの人は山の怖さを色々知っているが、Aさんはちょっとガイドブックを見て、初級者向けのコースを歩くだけだった。初級者向けのコースはなだらかで、道に迷いにくく、危険性は低い。
それでも、実際は山を切り崩して道を作っているから、片側が斜面だから転落したら大ケガするようなコースばかりだ。
Aさんは平日に休みを取って、奥さんと2人で和歌山県のある場所に観光に出かけたそうだ。そして、恒例になっていたハイキングもスケジュールに入れた。
二人ともちゃんと登山用の靴を持っていて、リュックに水とカロリーメイト、雨具と一応の準備をしていた。
Aさんたちはある地点までバスで行き、そこから歩いて山頂まで登る予定だった。
平日で紅葉などの時期ではないから、観光客はまったくいなかったそうだ。
誰もいなくても、ハイキングコースには目印が設置してあった。Aさんも奥さんもどちらも呑気な性格で、その目印通りに歩いていた。最初は良かったが、先に進むにつれて目印と目印の感覚が長くなって行った。両側が木に囲まれているが、谷側ははかなり急斜面だった。足元は砂利で歩く度に埃があがって、パラパラと砂利が谷側に落ちて行った。
しかも、少し霧が出ていた。
「雰囲気でるね」
二人は笑いながら歩いていた。
目印までたどり着いて、ここで合っていたんだと毎回ほっとするような感じだった。しかし、途中で道が二股に分かれていたりして、どっちに行けばいいか迷うようになった。二人が迷っていると、ずっと先を歩いているハイカーが目に入った。一人は水色のウェアで、もう一人はピンクだった。自分たちと同じような夫婦連れのようだった。
二人はほっとして、その人たちについて行けば大丈夫だと思った。
「ちょっと急ごう」
Aさんは奥さんに言って二人は速足で、目の前のハイカーの後を追った。
二人はAさんたちより若く健脚のようで、その間隔は少しも縮まらなかった。
しかも、山の頂上を目指しているのに、何となく山を下りているような感じだった。どれだけ歩いていても、目印は全くなくなった。
「もしかしたら、この辺に住んでる人なのかも」
奥さんは言った。
「そうだね。追い付いたらどうやって戻ればいいか聞いてみよう」
二人は必死に歩いたが、前の二人との距離はむしろ広がってしまいそのうち見えなくなってしまった。
二人は自分たちが沢のようなところを歩いていることに気が付いた。
どこにいるのか全くわからなかった。
「山で道に迷ったら、尾根へ出ろ。沢をくだるな」というのは標語みたいに当たり前のことらしい。
しかし、二人はそれを知らなかったし、尾根と沢と言うのが何かも知らなかった。
尾根は山頂と山頂を結び道筋で、沢は谷のことだ。
「どうしよう・・・お父さん、携帯」
Aさんは携帯を取り出したが、圏外だった。
二人は座ってガイドブックを見た。そのハイキングコースはそれほどメジャーではないから、イラストが描いてあるだけだった。結局、その辺の全体像はわからなかった。時計を見るとまだ昼ぐらいだったから、二人は歩いていれば、どこかに出られると思った。
Aさんは太陽が出ている場所で、何となく方角を知ろうとしたが、理科の教科書を見たのは子供の中学受験以来で、ほとんど覚えていなかった。
「太陽は東から登って、西に沈むんじゃなかったっけ?」
奥さんは言った。そして、それから導き出した方角と、イラストの地図は多分北が上だろうと言う適当な判断で二人を沢を歩いて行った。行けども行けども同じような景色だった。
もう午後3時くらいになっていた。二人はだんだん疲れてきた。二人とも完全に迷ったことを悟り、もしかしたら助からないかもしれないと感じ始めていた。
二人は日没になるともう動けなくなってしまうから、視界のあるうちは歩くことにした。
「ホテルに着かなかったら、そこでホテルの人がおかしいと思うんじゃない?」
「無断キャンセルだと思うだけだよ」
Aさんは言った。
「そういえば、早苗に泊るホテルの名前を教えておいたから、気が付いてくれたらいいんだけど・・・毎日ラインしてるから。今日も、転んでケガしないでって直前までラインしてたし・・・」
「そうだな。連絡が取れなくなったら警察に連絡してくれるかもしれないな」
Aさんもそれを期待して、それ以上歩き回るのはやめようと思った。
ヘリコプターで捜索した時に、上から発見しやすいように視界の開けたところを探した。そして、そこで一夜を明かすことにしたそうだ。
日が暮れて、真っ暗な山は本当に怖く、自分の手すらも見えないくらいの漆黒の闇だったそうだ。二人だから励まし合っていられたが、一人なら発狂してもおかしくないほどだったとか。
やはり、娘さんが警察に通報して翌日には発見されたが、二人は登山道を外れたこともあり厳重注意を受けた。
「でも、目の前を歩いている人がいたので・・・」
Aさんは言い訳した。
「あの辺は迷う人が多いんですよ。何年かに1回くらいは必ず行方不明者が出てますから・・・」
あの色鮮やかなウェアを着た人たちは、一体誰だったんだろう・・・?二人は顔を見合わせた。
前に行方不明になった人たちが、道連れを探していて、無知なAさん夫婦を迷わせたのではないか・・・二人はそう思ったそうだ。
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