元カノ

 俺には元カノという概念がない。今まで彼女がいたことがないからだ。親に女性を紹介したこともなくて、数年前に母が死ぬまで「早く結婚しなさいよ」、「誰でもいいから」と言われていた。


 だから、誰かが「昔付き合ってた人が~」という話をすると、うらやましくて仕方がない。


 しかし、未婚の男の半分は、交際経験がないという調査もあるから、俺みたいなのは決して珍しくないのかもしれない。俺の場合は、発達障害グレーで、人と長期的な関係を築くのが難しいからだと思う。


 高校は男子校で、友達の紹介で3人の子とデートしたがうまくいかなかった。失礼だが3人ともタイプじゃなかったからだ・・・。

 大学に入ってからは、変な女に家に居座られて、子供までできてしまったから、4年間は彼女ができなかった。


 社会人になってからは、精神的におかしくなってしまい、合コンにばかり行っていた。会社にもきれいな子がいっぱいいたけど、みんな彼氏がいて、まったくチャンスがなかった。俺は一流大学を出て、大企業に勤めてたけど、学生時代に父親が亡くなっていて、実家は貧乏だった。だから、K大卒の割には人気がなかったと思う。


 その後は、新卒で入った会社を辞めていくつもの会社を渡り歩いて、30代、40代は忙しすぎて何をしてたかほとんど覚えていない。いろんな会社に勤めていると、人間関係も希薄になる。飲み会があっても呼ばれなくなる。仕事関係以外の人付き合いができなくなり、趣味もなくなる。俺は、50代に差し掛かって友達0だ。こういう人は珍しくないらしい。ある調査によると、2人に1人は俺みたいな感じのようだ。


 そのくせ、なぜか女からは連絡が来て「会いたい」と言われることが多い。「何で?」と聞くと「どうしてるかなと思って」と言われて、その女に次の男ができるまでのつなぎのような関係になる。女は決まった男が見つかると去って行く。

 多分、おんなたちは、俺の気が変わって、結婚してくれるかもしれないと思うからだ。もちろん、そんな女とは結婚しない。


 数年前にこんなことがあった。

 

 先日、俺がマックに並んでいると、知らない女に声を掛けられた。

「江田さん」

 40らいの人で、かなり美人でスタイルがよかった。ミセス向けの雑誌から出て来たみたいに服のセンスがいい。熟女や人妻が好きな人ならドストライクという感じだった。俺はその相手が誰かわからなかった。しかも、小学生くらいの子供が一緒だった。二人とも親に似てかわいかった。

「あ、どうも」

 俺は適当に挨拶した。どこかの会社で一緒に働いた、派遣さんだろうと思ったからだ。

「斉木です」

「ああ、どうも」

「〇〇〇で一緒にお仕事した」

 そこは俺が働いていた会社だ。俺はそれでも斉木さんが思い出せなかった。

「お元気ですか?」

「うん。まあ」

「今、どちらに?」

 俺は言いたくなかったから「まあ、別のところに・・・」と答えた。

「私は今も〇〇〇にいるんですよ」

「あ、そう」

 じゃあ、社員なんだろうと思った。それでも思い出せなかった。

「よかったら、ご一緒しませんか?」

 俺は1人で座りたかったが、断るのも失礼なので「そうだね」と言った。

 そして、知らない人たちと3人でマックの狭いテーブルを囲むことになった。


「この辺に住んでるの?」

「はい。最寄り駅がこの辺で」

 そこは、子育てするには、決していいところとは言えない環境だった。

「君たちいくつ?」

「9歳と7歳」

 どういう人なんだろう・・・。

 彼女は黒川さんという上司の名前を出した。その人のことは覚えているし、今もたまに連絡を取ったりしていた。

「今って、黒川さんは出勤してるの?」

「黒川さんは在宅で・・・私もだけど」

「コロナだしね。今はみんな在宅?」

「そうでもない。うちは、営業の人だけ出てて、あとはほとんど在宅」

「今はどんな仕事してるの?」

 彼女は説明してくれたけど、まったく思い出せなかった。

「ママ、この人は?」

「ママの元カレ」

 俺は自分に元カノがいないのに、なぜ俺が元カレということにされているか疑問だった。

 

 その会社で、社内の人とそれらしいことがあったかどうかも覚えていない。

 連絡先を聞かれたので、名刺を渡したが、こちらから連絡する気なんてなかった。


 それなのに、会った次の週に、女は会社までやってきたのだ・・・。

 午前中の11時頃やって来て、仕方ないから会ってやったら、「お昼一緒にどうですか?会社の経費で落ちるんで」と言われた。断りづらいので昼も付き合った。そしたら、子供の話は全然せず、「今度、食事行きませんか」と言う。

「お子さんは?」

「親に預けるから大丈夫」と言って笑っていた。

 その営業スマイルや馴れ馴れしさも、悪くないと思ってしまった。

 きれいだった。街を歩いていたら10分でナンパされるだろう。

 

 俺は念のため、元上司の黒川さんに電話してみた。さりげなく、最近どうですかという話をして、その後で「変なことを聞きますが、斉木麻衣子さんってそちらで働いてますか?」と聞いてみた。

「ああ・・・ごめん。ちょっとかけなおすから、いい?あと5分後くらいに」


 それから、5分後くらいに電話がかかって来た。

 風呂場で話しているみたいに声にエコーがかかっていた。黒川さんは既婚者だから、家族に聞かれたくない話なんだろうと思った。


「斉木がどうかした?」

「いや、この間、錦糸町で会ったんで・・・どういう人かと思いまして」

「ああ。あいつはやばいよ」

「どういう意味ですか?」

「これは誰にも言わないでほしいんだけど・・・」

「もちろんです」

「実は、前にあの女と不倫をしてて・・・5年くらい付き合ってたんだよ」

「そうでしたか。きれいな人ですからね」

「子供が2人もできて、認知はしなかったけど、養育費を払ってたんだよ。月15万くらいだけど・・・。で、認知してっていうから、DNA鑑定してから決めると言ったら怒りだして。奥さんに言うっていうんだよ。それで、もめちゃってさ・・・」

「結局DNA鑑定したんですか?」

「DNA鑑定させるんだったら、奥さんに言うっていうから、俺は奥さんに自分から言ってしまった」

「あ、そうですか・・・大丈夫でしたか?」

「まあ、大変だったけど。まだ離婚はしてないからね。それで、DNA鑑定したんだけど・・・結果は2人とも親子関係がなかったんだよ」

「えぇ!じゃあ、他に男がいたってことですか?」

「うん。俺は騙されてたんだ。あの女に1000万以上渡してると思う・・・」

「その金は取り戻せないんですか?」

「認知してないと養育費って払う義務はないんだよね。あっちも詐欺にはならないみたいだし・・・まあ、不倫の代償だね。ポルシェ買ったと思えば」

「はぁ・・・。あの女、俺を元カレと言ってるんですけど、俺はあの人と付き合ったか覚えてないんですよ・・・」

「あ、そう。ちょうど、君がいた頃に俺と付き合ってたと思うから、それはないんじゃない?三股はさすがに・・・」

「あの人、どこの部署にいたんですか?俺、全然記憶になくて」

「そうだと思うよ、だって、総務の人で接点ないし」

「黒川さんはどうやって知り合ったんですか?」

「エレベーターの中」

「相当、早業ですね」

 俺は笑った。黒川さんは気まずそうに答えた。

「まあ、美人だったから目立ってて」


 それから、しばらくして斉木麻衣子からまた連絡が来た。


「この間会ったのは、あなたの子よ。認知して」 

 あ、俺の子だったんだ・・・と思った。

 その瞬間、俺は彼女のことを思い出した。

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