清掃夫

 これは俺の親から聞いた話だ。

 うちの親は清掃会社を経営していて、清掃員を会社や役所などに派遣していた。


 ある会社に、中年の男女1名づつが平日の早朝、毎日派遣されていた。

 

女性A子さんはトイレ掃除や玄関の掃き掃除など、負荷が少ない仕事が割り当てられたいた。一方、男性B男さんにはエントランスのモップ掛けなど、若干、力のいる仕事が割り当てられていた。  


 その日の朝、A子さん、B男さんはいつもの通り、1階エントランスで顔を合せた。

「おはよう」

 A子さんは声を掛けた。B男さんはいつものように伏し目がちに「おはよう」と返した。そして、それ以上言葉を交わさずに、二人は仕事を始めたそうだ。


 A子さんは50代で気が強くてシャキシャキした肝っ玉母さんタイプ。前は主婦だったけど、子供が高校生になってから、ちょっとだけ働き始めたような人だ。

 B男さんは40代で、独身で、無口で静かな人だった。戦争があったし、小学校しか行ってないような人で、身寄りがなかった。


 A子さんは、各階のトイレ掃除が終わったら1階に戻った。

 すると、1階にいるはずのB男さんがいなかったそうだ。

 床を見ると掃除をした形跡もない。

 A子さんは、B男さんが仕事を放り出してどこかに行ってしまったと怒った。

 

 そして、どうしたらいいか確認するために、うちの会社に電話を掛けることにした。

 お客さんの事務所で電話を貸してもらい、大きな声で「私は今トイレ掃除が終わったんですけど、B男さんがやらないといけない掃除をやらないままどっかいっちゃって。私はできないんで、このまま帰っても大丈夫でしょうか」と、電話で言ったらしい。

 その会社の人は「1日くらいいいよ」と隣で言ってくれていた。「会社の方も、今日はいいって言ってくださってます」

「ああ、なら、いいよ。会社の方に変わってくれない?社長さんとか、偉い人に・・・」

 昔は保留ボタンなんかなくて、その場の責任者の人に電話口に出て来たもらった。50代後半くらいの人だった。


「え!そうだったんですか。もちろん、いいですよ。そんな、掃除なんか・・・1日くらいしなくたって。いやぁ、びっくりしました。すごくまじめでいい人だったから」


 A子さんはそのやり取りで、B男さんに何かあったんだと察した。

 責任者の人は暗い顔で電話を切った。

「B男さん、今朝交通事故で亡くなったそうです」

「え!?でも、私、今朝会ってますよ」

「でも、ここに来る前にバイクの事故で亡くなったって言ってましたよ」


 A子さんは、そんなはずはないと思って、もう一回うちの会社に電話を掛けた。

「私が朝ここに来た時、B男さんいましたよ」

「いやぁ・・・その時はもう亡くなってたよ。〇〇の交差点で車とぶつかって・・・そのまま救急車で運ばれたって」

 

 A子さんがB男さんに会った時間は、B男さんは病院で息を引き取っていた頃だ。

A子さんは、いつもB男さんにきつく当たっていたことを後悔したそうだ。その後、B男さんはもうその会社には現れなかった。


 亡くなったばかりの人は、自分が死んでいることに気が付かないことがある。そんな時期は、生きている人とまったく区別がつかないそうだ。嘘か本当かわからないけど。


 B男さんはわりとすぐ自分が亡くなったと気が付いたのかもしれない。

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