足摺岬
俺はよく一人で旅行に行く。
若い頃は交通費がもったいないと思ったものだが、今は人生を充実させる方に金を費やしたい。
それで、金曜日有休を取って、三連休にして旅行に行く、というのをよくやる。
数年前、俺は高知県の足摺岬に行った。
足摺岬というと、地元の人には申し訳ないのだが、自殺の名所だ。そして、心霊スポットとしても知られている場所でもある。
昼間の足摺岬は風光明媚な観光スポットとして知られ、弘法大師が開創した金剛福寺という寺がある。88か所の霊場の38番目だそうだ。足摺七不思議というスポットがあるし、2月は椿がきれいで観光客で賑わう場所だ。
自殺の名所になった
仏教では、南の海の果てに補陀落という観音菩薩が降臨する霊場があるそうだ。
インドの南の方にあるらしい。
僧たちが屋形船でそこを目指して船出して行くのだが、途中で発狂したりしても、船から逃げられないように釘を打って密閉する。僧たちはわずかな食糧と灯火のための油だけを持て行き、船の中でお経を唱え続ける。
補陀落渡海の船は沖まで、別の船が引っ張って行って、綱を切って放たれるので、岸に戻ってくることはほぼなかったそうだ。
これは自身の極楽往生のためではなく、民衆を先導するための捨身業だったというから驚きだ。人間というのは、自分の極楽往生のためにはできなくても、他人のためには驚くべきパワーを発揮するものなのかもしれない。
修行と言ったって、生きたまま棺桶に入れられて水葬されるのと変わらないじゃないか。
違うのは、それが自らの意思であると言うことだけだ。
考えただけで憂鬱になる。
俺は飛行機で高知空港まで行き、重要文化財の高知城を観光してから、特急で足摺岬に移動することにした。
特急を予約してみると、なぜか混んでいて、隣の席にはすでに女の人が座っていた。
俺は通路側。
「すいません」なんていいながら荷棚に荷物を乗せた。
俺は隣の人が気になった。観光客っぽいが、女の一人旅にしては、荷物が少ない気がした。足摺岬に行くなんて、もしかして・・・と思ってしまう。
俺はガイドブックを読みながら、女の人のことがずっと気になっていた。
その人はずっと黙っていた。
本を読んだり、スマホをいじったりすることもなかった。
ただ、外の景色を見ていた。
俺も海を見ようと隣を見ると、その女の人が泣いていた。
俺はびっくりしてたまたま持っていたハンカチタオルを手渡した。
「でも、化粧が付いちゃうから・・・」
女の人は断った。
「いいんですよ。どうぞ、使ってください。せっかく、きれいな景色を見れなかったらもったいないですから」
「すいません」
「立ち入ったことを聞いては失礼ですが、何かあったんですか?」
「ええ、最近母を亡くして・・・」
その人は、元気な頃の両親と旅行した、思い出の場所を訪れたかったそうだ。父親も10年くらい前に亡くなったばかりだったそうだ。年齢は俺と同じくらいだろうか。たまたま俺も、両親がどちらも亡くなっていたのでそう言った。
そしたら、あちらは同じような境遇の人に出会えて嬉しかったらしい。
色々話してくれて、すっかり打ち解けてしまった。
中村駅からは、バスで行くと言うので、次も隣同士の席に座った。
初めて会った気がしないほど、話しやすくて、いい人だった。
影のあるきれいな人だった。
どこに住んでいるか聞いたら、神奈川の川崎だった。
もしかして、旅行が終わった後も会えるかもしれないと思った。
母親の看病のために仕事を辞めていて、しかも独身だった。
「今まで結婚したことはないの?」
「うん」
「俺もだよ」
俺たちは笑った。色々な共通点があった。酒もたばこもやらないことや、一人暮らしのところ。旅行が好きで、恋人がずっといないのも一緒だった。
「東京に戻ってもまた会いたいな」
俺はその人の手を握った。華奢でなめらかな手だった。その人は嫌がっていなかった。
「宿はどこ取ってるの?」
「日帰りするつもりで・・・」
「じゃあ、俺の所に泊れば?」
「いいの?」
「うん」
俺は何のために高知まで行ったかわからないが、ホテルのフロントで部屋をツインルームに変えてもらい、その初対面の人と泊ることにした。
1日目はホテルで過ごし、2日目は2人でいろいろと観光した。俺は7不思議を見たいといったら彼女は付き合ってくれた。俺はその人に、3日目はどうするか尋ねたら、しばらく四国で88か所巡りをするという返事だった。
彼女はよく笑う人で、「旅行はやっぱり一人より誰かと一緒の方がいいね」と言ってくれた。俺は「また一緒にどこか行こうよ」と誘うと、その人は「うん」と答えた。
「一人暮らしだから遊びに来てよ。いつも一人だから寂しくて・・・俺、3LDKに一人で住んでるんだよ。もったいないよね。そのうち結婚するだろうと思ったら、今だに独身で・・・」と、俺は独り者アピールを盛んにしていた。
彼女はすごく包容力があって、俺は甘えたくなってしまったのだと思う。
最終日、彼女は駅まで見送ってくれた。
俺は飛行機に間に合う、ぎりぎりの時間まで電車に乗らず、最後まで未練がましく口説いていた。
「一緒に帰らない?チケット代出すから」
「あと一週間したら帰るから、そしたら会おうよ」
「うん。絶対連絡してよ」
「うん」
俺はその人の手をずっと握っていて、待合室でキスまでしてしまった。
50がらみの男で、昼間からそんな破廉恥な真似をしている人はみたことがない。
俺はすっかり彼女に夢中だった。
「好きだよ」
俺は初めて女に好きだと言った。
俺は帰りの電車の中でも、飛行機の中でも、あそこでキスしたのはまずかったと思って後悔していた。きっと嫌われたに違いない。
家に着いたらすぐに「東京着いたよ」とラインを送った。
それが、既読にならなかった。
その夜も、翌日も・・・。
俺はフラれたのだと悟った。しつこ過ぎたのだ。
数日後、警察から連絡が来た。
足摺岬で自殺した女の人の持ち物に、俺の名刺があったと。
俺もその目的で行ったけど、彼女のお陰でこの世に帰って来れた。
しかし、彼女はそのまま行ってしまったんだ。
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