働き続ける人

 みんなは仕事をしていて、労災事故に遭ったことはあるだろうか。俺はもう30年近く働いているけど、幸い一度もなかった。


 労災事故とは、仕事中に起きた怪我や病気のことで、もちろんいい話ではない。


 労災を使うような怪我は、職種によって、多い少ないが絶対ある。

 事務職はほとんどなくて、製造業、建設、運輸などは多い。


 俺は学生時代、製本のバイトを時々やっていた。

 製本の機械が危険なのは想像がつくだろうか。

 細かいことはわからないが、簡単に言うと、紙を機械で上から押さえつける時に、作業員が機械に指を挟んでしまうのだ。


 だから、製本会社の工場で社員で働いている人は、指が何本かなかった。若い人は1本だけない、という人もいたが、大抵2、3本欠損していた。


 これが、もっと大きな機械を扱うような会社、金属加工の会社などだと、機械に巻き込まれて腕がないという人もいたりする。工場では死亡事故なども起きる。どんなに作業手順を厳守してやっていても、事故は起きてしまう。


 これは、取引先の社員から聞いた話だ。その人は工場で働いている。


 勤務先はブラックな会社で、現場の社員は納期に間に合うように、夜遅くまで残業させられていた。割と古くからある会社なのだが、サービス残業が常態化していた。


 古株の社員にAさんという人がいた。当時40代後半で、課長クラスだった。

 Aさんは納期を守るために、深夜まで残業したり、土日出勤したりと、私生活を犠牲にして働いていた。「会社のために、お客さんのために」というのが口癖の真面目な人だった。


 ある夜、Aさんは頭痛を訴えて、突然、倒れてしまった。

 側にいた人は、きっと脳出血か何かだと思って、すぐに救急車を呼んだ。


 Aさんは、くも膜下出血を起こしていて、そのまま亡くなってしまった。

 

 Aさんが亡くなった夜も、残った社員たちの元で工場の機械は動き続けていた。

 通夜や葬式の時でさえ、事務方の人たちが手伝って、現場は普通に動いていた。


 働き物だったAさんがいなくなったしわ寄せが、早速、他の従業員たちに来てしまった。現場は重苦しい雰囲気に包まれていた。


「俺たちもどうなるかわからないな」

「こんな時間まで働いてたら体壊すに決まってるって」

「何でこんな会社入っちゃったんだろう」

 

 3人は泣きながら仕事をしていた。

 早く辞めた方がいいとそれぞれが思っていた。


「でも、去年、家、買っちゃったし。」

「うちもまだ子供が小さいからな・・・」

「どこも変わらないって」

「うちはブラックだけど、業績は悪くないし安定してるから・・・」


 その会社は業界では老舗で、取り敢えず堅実な経営をしていた。

 給料は悪くなかったし、将来性がないというわけではなかった。


「Aさんは独身だったのに、何であんなに一生懸命やってたのかな」

 3人はしばらく、Aさんの話をしていた。生い立ち、人柄、家族、会社での思い出などだ。それぞれが、Aさんに掛けてもらった言葉などを思い出していた。


 すると、向こうから作業着を着て、ヘルメットをかぶった人が歩いて来た。

 コツ、コツ、コツと安全靴の音がした。


 しかし、そこにいる人たち以外は、全員家に帰ったはずだった。


 一体、誰なのか3人とも検討がつかなかった。

 

「Aさん!」


 1人が叫ぶと他の2人も「生きてたの?」、「助かったの?」と声を掛けた。

 それは間違いなくAさんだった。

 生前の元気な姿のままだった。


 Aさんは3人の問いには答えずに、所定の場所に行くと機械を触りだした。

 しかし、機械は動かなかった。


 でも、Aさんはそのまま操作らしきことを続けた。

 そして、傍らに立って、機械が動いているかのようにじっと見ているのだ。


「Aさん!」


 社員が声をかけたが、やはり返事はなかった。 

 機械も止まったままだった。


 社員たちは、しばらく何が起きているかわからず呆然としていたが、そういえば、今やっている部品の納期が明日だったと思い出して、Aさんがいるのにも関わらず仕事を再開した。


「Aさん、あの世でも仕事をしてるんだろうな」


 1人が呟いた。


 他の人がたまらなくなって「Aさん、もう働かなくてもいいんだよ」と、泣きながら話しかけたが、聞こえていないようだった。

 

 Aさんは生きていた時と同じように、そのまま機械をあちこち見回っていた。


 その後も、Aさんは時々、深夜の工場に現れるそうだ。

 いつ現れるか誰もわからないが、週1度くらいはふらっと現れて、無言のまま静かに機械を触って、問題なく動いているか見ているとか。


 今では、Aさんが工場の守り神のような存在になっていて、生きていた時に事務所で使っていた机は、ずっとそのままになっているそうだ。

 職場の人たちは、みんなに配るお茶やお菓子も、生きていた時と同じように置いているとか。

   

 

 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る