マスク

 俺の世代で白いマスクといえば、口裂け女を思い出す。


 俺は子供の頃、本気でそういう女がいると信じていた。

 妖怪ではなく、普通の人で口が耳まで割けている女だと思っていた。

 だから、夕方になると外にいるのが怖かった記憶がある。

 

 ジーンズに長いポケットがついていて、そこに鎌が入っているという、ちょっと不自然な設定でも、本気で信じていた。


 昔は不織布マスクは売ってなくて、ガーゼのマスクだけだった。だから、口裂け女のマスクも特大の布マスクだろう。


 これは、マスクに関係した話だ。


 マスクは怖いと思う。顔がわからないからだ。

 例えば、マスク、眼鏡、帽子なんかをつけたら、まるでイスラム今日のブルカを被った人並みに人相が何も見えなくなってしまう。

 

 俺は向こうからそういう人が近づいてくると身構えてしまう。刺されるのではないかと思う時もある。


 この間、マスク、眼鏡、帽子、手袋という完全防備の人が近づいて来て、俺の目の前に立った時は恐怖だった。

 その人は、実は会社の人で、あちらは俺がその人を認識していると思い込んでいた。

 しかし、俺は誰かわからないから、喋っても、しばらく気が付かなかったこともあった。


 先日、俺は女とスタバで待ち合わせをしていた。

 週末、買い物につきあってと言われたのだ。


 俺はドリンクを買って、女が座っている目の前の席に座った。「ごめん。待った?」と気障に言った。相手は「いいえ。それほどでも」と返した。随分、他人行儀だと思ったが、左右に人がいるからだろうと気にしなかった。

「電車混んでました?」

「うん。もう、コロナ前とほとんどかわらないね」

 俺は答えた。

「最寄り駅はどちらですか・・・?」

「え、知らなかったっけ。〇〇〇。前は千代田区だったけど、一戸建て買ったから」

「へえ。すごい」

 女の目がぱっと明るくなった。

「〇〇〇に一戸建て買ったんですか?」

「うん。え、言ってなかったっけ?後で来てみる?」

「ええ。もしご迷惑でなければ」

 両側に知らない人がいるから、俺は個人情報が流れないように気を遣った。

 俺はその女と30分くらい話していた。

 なぜか、いつもより話が弾んだ。

 気が付けば俺ばかりしゃべっていたが。

 

 女の手は張りがあって生活感がなく、ダイヤの指輪が光っていた。

 こんな手がきれいだったっけ。肌も白くて・・・。

 いいなぁ。思ったよりいい女かも。

 俺はその女を見直していた。


 その女は、前に会った時は、ぱっと見はきれいだけど、体のケアをしてない感じだった。

 マニキュアも塗ってなかったのに、今日は隅々まできちんとしている。


 俺はじっと女の目を見た。


「マスク外してみて」


 俺は照れながら言った。

「え?」

 女は笑った。コロナだから・・・躊躇しているみたいだった。


 すると、俺の隣に誰かが立った。

 俺は上を見ると、待ち合わせをしていた女が立っていた。

 あ、やばいこっちだった。

 俺はすぐに気が付いた。

 

「こちら、どなた?」

 俺は今まで話していた女の顔を見た。

 知り合いの女に目元が似ているが、別人だった。

「すみません・・・人違いでした」

 俺は動揺して頭を下げた。

「いいえ。楽しかったです」

 女は笑いながら答えた。


 俺は待ち合わせの相手より、そっちの女の方を気に入ってしまい、連絡先を聞きたくなった。

「ごめん。ちょっとだけ、外で待っててくれる?」

 俺は女に店の外で待ってくれるように頼んだ。


「すみません・・・てっきり君がさっきの子だと思いこんじゃって」

「いいえ・・・私もここで人と待ち合わせしてたので・・・気が付かなくて」

「その相手の人は?」

「今、Lineを見たらその人がもう来てるって・・・」

 その人は、本来待ち合わせをしていた相手がどこにいるか、気が付いたようだった。遠くに男が一人で座っていた。

 冴えない感じの男だった。

 その女もちょっとがっかりしているような気がした。


「知らない人と待ち合わせしてたの?」

「ええ。お見合いで」

「よかったら連絡先交換しない?もし、あの人とうまくいかなかったら・・・今度会ってくれない?」

「ええ。いいですよ」

 女は快く連絡先を教えてくれた。


みんなは、「さすがに途中で気が付くだろう」と思うだろうが、俺は女に夜2回くらいしか会ったことがなかった。それに、取引先の社長の秘書の人で、いつもメールだけのやり取りしかしてなかったから、顔をじっくりと見たことがなかったのだ。


 でも、結局、俺はやっぱりスタバで会った子に連絡をしなかった。

 だって、マスクを取った顔を見ていないから。

 それに、途中で俺が別人だと気が付かないはずはないのに、そのまま話続けていたなんてちょっとおかしいからだ。

 一戸建てに目がくらんだんだろうか。

 何なのかよくわからない。

 

 彼女の手に光っていたダイヤ、それに店でやったようなネイル。

 金がかかりそうな人だった。

 

 俺の連絡先を教えなくてよかった・・・。


 その後、社長秘書の女と話しながら、やっぱりあっちの女の方がきれいだったなぁ。俺はしばらく上の空だった。

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