猫の群れ(おススメ度★)
20年以上前の話だ。
俺は仕事関係で知り合った女の家に行くことになった。
そこは新宿から私鉄に乗って20分くらいかかって、さらに駅から歩くと聞いていた。その頃、俺はすごく忙しかったけど、住んでいた部屋は、単身者向けの1Kで、ベッドはシングルで狭いしで、女を呼びたくなかったからそっちに行くことになった。
それに仕事が忙しすぎて、掃除に手が回らなかったせいもある。
女は一人暮らしなのに、猫を飼っていたから2階建ての一戸建てを借りていた。
当時は、ペット飼育可の賃貸は今よりずっと数が少なかった。
賃貸物件の借り手がつかない時に、家主が渋々ペット可に踏み切るようなケースが多かった。
新宿からも遠くて、さらに歩かないといけないから、俺は仕事のカバンを持ちながら、来なければよかったと思っていた。
家に行く前に、女はもう一回「うち、猫いっぱいいるけど大丈夫?」と、尋ねた。
「まあ、大丈夫だと思うよ」
俺は甘かった。
家の玄関を開けると、猫が雪崩のように押し寄せて来た。
その女は一人暮らしなのに、何と十匹もの猫を飼っていたのだ。
しかし、雑種の猫ではない。
真っ白のペルシャ、シャムネコ、アメリカンショートヘアなど有名どころが次々と女の足元にまとわりついた。
ペルシャ猫の目なんか宝石のようで本当にきれいだった。
「高そうな猫ばっかりだね」
田舎育ちの俺はまず猫の値段が気になった。
女は公認会計士でかなり稼いでいたから、1匹数十万くらいするだろう。
自分で世話しきれなくて、昼間に家政婦さんを呼んでいるくらい金もかけていた。
「うん。みんな血統書付き」
「雑種になったら困るんじゃない?」
「雄はみんな去勢してるから」
「ああ、そう」
どれが雄かわからないが、何だか可哀そうに思えた。
まるでその女が女王バチで、猫たちは働きアリのように思えた。
女王を喜ばせるために、死ぬまで側に仕え続けるわけだから。
機嫌を損ねたら待遇に差をつけられてしまう。
一生檻から出れない、少し広めの動物園のようだった。
女の家は猫仕様にカスタマイズされていた。
すべてのドアに猫用の小さな出入り口があった。
だから、猫は24時間好きなように出入りできる。
入れないのは風呂とトイレくらいだった。
女はいつもそこに住んでいるから気が付かないのだろうが、入った瞬間から猫臭かった。
俺は着ているスーツにダニや毛がついたら嫌だなと思ったが、
女は気を利かせて、脱衣室にハンガーと部屋着を置いてくれていた。
その部屋着は他の男も袖を通しているだろうが、そんなのはどうでもよかった。
俺たちは2人でシャワーを浴びてから、キッチンで何か食うことにした。
食べているとテーブルに猫が乗って来る。
間違って毛も食べてしまいそうだった。
床はフローリングだが、あらゆるところに、毛が落ちている。
「前にも男が来たことある?」
俺は笑いながら尋ねた。
「うん」
「何て言ってた?」
「ちょっと多すぎるんじゃない?って」
「俺も同じこと思った」
「だから独身なのかも」
女は30代後半だった。
その頃、俺は20代。
「猫と男とどっちを取る」
「そんなの選べない」
女は甘えたような声で笑ったが、多分猫だろう。
去勢した雄猫たちの面倒は一生見るべきだ、と俺は思った。
雄猫たちの大事な所はみな、睾丸を抜かれた袋だけになっていて侘しかった。
女はテーブルに上がって来た猫たちを叱りもせず、嬉しそうに「この子はね~」といちいち説明していた。
「猫、何匹いるの?」
「今は10匹。ここで死んだのは5匹。実家でも飼ってるし、今までトータルで100匹くらい飼ったかも。最初は野良猫を飼い始めて、大学の時も飼ってたから」
「よく勉強できたね」
「予備校で勉強してたから」
猫が机に上がって来て、勉強どころではないのではないかと思った。
女は酒を飲んで猫のように崩れていった。
俺はしらふ。俺は酒に酔った女があまり好きじゃない。
「猫ってね。死んでからもその辺にいるんだよ。猫って人じゃなくて家につくっていうじゃない。だから、死んでもずっと家にいるの。これ本当なんだよ」
俺は女が舌ったらずの声でしゃべり始めるので、薄気味悪くなった。
「私には見えるの」
「へえ。すごいね」
「普段は霊感ないのに、猫の霊だけはわかるの」
女は俺を見て笑った。
「江田君の膝にも今三毛ちゃんが座ってる。この人誰?って顔して」
俺は何となく膝が痒くなって来た。
「やめろよ。そういうの怖いって」
「大丈夫。その子がね、江田君はいい人だよって教えてくれてるから。私ね、つき合おうか迷ってる人は家に連れて来るの。それで猫にいい人かどうか見てもらうんだ」
先生はそれからしばらく、部屋にいる目に見えない猫の存在について熱く語っていた。
「何か俺、鼻がムズムズして来た。アレルギーかな」
俺は本当に鼻がつまって来た。
「もう一回シャワー浴びる?」
「うん。先生、ティッシュある?」
ティッシュも猫の匂いがした。
俺はもう一度シャワーを浴びて、タクシーを呼んでもらって帰った。
ティッシュを一箱もらって。
その先生のことは今も知っているけど、苗字が変わらないからずっとお一人なのかなと思う。猫たちがきっと先生を慰めてくれるに違いない。
俺はお陰様でその時から猫アレルギーになってしまった。
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