第23話 翠風の民ギルド
アレトとアイが「翠風の民ギルド」の扉を開けると、その内部の光景に圧倒された。
高い天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、広々とした大広間を優しく照らしていた。壁には精巧な彫刻が施され、床には複雑な模様の絨毯が敷き詰められている。まるで豪華な宮殿のようだ。
「すごい...」
アレトは思わず声を漏らした。
「まるでスコクエのメインギルドホールみたいだ」
アイは微笑んで説明を加えた。
「このホールは、かつての図書館の大閲覧室を改装したものです。天井の装飾には、古代の魔法文字が刻まれているんですよ」
ホール内には、様々な人々が行き交っていた。アレトは目を丸くして、その光景を眺めた。
まず目に入ったのは、屈強な体つきの冒険者たち。鎧に身を包み、大剣を背負った戦士。ローブを纏い、杖を持った魔法使い。軽装の盗賊のような人物も。
「まるでパーティを組んでいるみたいだな...」
アレトは呟いた。
アイが補足する。
「ええ、多くの冒険者はパーティを組んで活動します。あの集団は、最近『魔竜の洞窟』を攻略したチームですね」
次に、カウンター越しに忙しそうに働く道具屋の姿が目に入った。色とりどりのポーションや、キラキラと輝く魔法のアイテムを並べている。
「あのおじさん、スコクエの『ポーションマスター』にそっくりだ」
アレトは驚いて言った。
アイは楽しそうに付け加えた。
「あの方は実際、この街で最高のポーション作りとして知られているんですよ。裏話によると、若い頃は冒険者だったそうです」
武器屋のカウンターでは、がっしりとした体格のドワーフが、剣や斧を丁寧に磨いていた。
「ドワーフの鍛冶屋か...まさにゲームの世界だな」
アイが説明を加える。
「あの方の作る武器は、とても人気があります。特に、彼の『ドラゴンキラー』は伝説級の武器なんですよ」
宿の受付では、優しげな笑顔の女性が冒険者たちと談笑していた。
アレトは懐かしそうに微笑んだ。
「あの人、スコクエの『母なる宿屋』のNPCにそっくりだ」
「実は彼女、元冒険者なんです」
アイが小声で言った。
「様々な冒険の経験を活かして、今は冒険者たちのサポートをしているそうです」
アレトは周囲を見回しながら、現実とゲームの世界が重なり合う感覚に戸惑いを覚えていた。懐かしさと新鮮さが入り混じる不思議な気分だった。
そんな中、アレトの目に大きな掲示板が飛び込んできた。そこには無数の名前が連なっていた。
「あれは...?」
アイが説明する。
「あれは冒険者たちの実績を記録した掲示板です。モンスター討伐数やクエスト達成数、そしてそれぞれのクラスが記されています」
アレトは興味深そうに近づき、名前を眺めていった。そして、ある項目に目が釘付けになった。
「勇者...?」
そこには「勇者ロア」という名前があり、その横には途方もない数字が並んでいた。
「勇者ロア...」
その名前を口にした途端、過去の苦い記憶が蘇ってきた。カボタ村での惨劇、村人たちの悲鳴、そして自分の無力さ。アレトの中で、怒りと恐怖、そして深い悲しみが渦巻いた。
アイが静かに説明を加えた。
「勇者ロアは、この世界で最も強い冒険者の一人です。彼の実績は、他の冒険者たちの憧れであり、また畏怖の対象でもあります」
アレトは歯を食いしばった。
「憧れ?畏怖?」
彼の声には苦々しさが滲んでいた。
「奴は...ただの殺人鬼だ」
アイは驚いた表情を浮かべた。
「アレト様...?」
アレトは拳を握りしめ、低い声で続けた。
「あいつは...俺の村を...俺の大切な人たちを...」
言葉につまり、アレトは深く息を吐いた。
周りの冒険者たちが勇者ロアの名を敬意を込めて語り合う様子を見て、アレトの中で複雑な感情が渦巻いた。憎しみと恐怖、そして無力感。同時に、どこか羨望の念も。
(あんなに強くて、みんなから慕われているのに...なぜ奴は...)
アレトは掲示板に記された勇者ロアの圧倒的な数字を見つめ、自分との差を痛感した。怒りと共に、深い絶望感も湧き上がってきた。
「こんな強い奴が...あんな残虐なことを...」
アレトは呟いた。
「でも、俺には何もできなかった...」
アイは心配そうにアレトを見つめていた。
アレトは複雑な表情で続けた。
「憎い...でも、恐ろしい。あんな強さを持っていながら、なぜ人々を守らないんだ?俺が...俺があの力を持っていたら...」
そこで、アレトは自分の思考に驚いた。憎むべき相手の力を欲しいと思っている自分に気づいたのだ。
「俺は...一体何を考えているんだ...」
アイは優しく微笑んだ。
「アレト様、誰もが最初から強いわけではありません。きっとあなたにも、独自の道があるはずです」
アレトは深く息を吐き出した。ギルド内の喧騒を聞きながら、これから始まる自分の冒険に、期待と不安、そして復讐心と正義感が入り混じる複雑な思いを抱いていた。
(いつか...必ず...あいつに立ち向かえるようになるんだ。でも、そのためには...)
アレトが掲示板を見つめていると、突然、大きな声が背後から聞こえてきた。
「おお!坊主!冒険者に憧れてるのか?」
驚いて振り返ると、そこには巨大な斧を背負った屈強な男が立っていた。男は人なつっこい笑顔を浮かべながら、アレトの頭を優しく撫でた。
「う、うぅ...」
アレトは思わず体を硬直させた。
男は構わず話し続ける。
「いいぞ、いいぞ!夢を持つのは素晴らしい!俺も昔はお前みたいに、ここに来ては冒険者の話を聞くのが楽しみだったんだ!」
アレトは困惑しながらも、何とか口を開いた。
「あの...実は、僕は...」
男は笑いながら遮った。
「はっはっは!分かってるよ。でもな、冒険者になるには15歳にならないとダメなんだ。それに、試験も結構難しいんだぞ」
アレトは驚いて目を見開いた。
「え...?」
アイがここで口を挟んだ。
「はい、その通りです。冒険者になるための規定についてご存知なんですね」
男は得意げに胸を張った。
「当たり前さ!俺も通ってきた道だからな」
アイは丁寧に説明を加えた。
「冒険者になるための条件は、実は非常に厳格です。まず、15歳の誕生日を迎えていることが最低条件です。これは、肉体的・精神的成熟度を考慮してのことです」
アイは続けた。
「そして、試験は筆記と実技の二段階で行われます。筆記試験では、基本的な読み書き計算はもちろん、モンスターや魔法の知識、地理、歴史なども問われます。実技試験では、基礎的な戦闘能力や魔法の使用、そして何より危機対応能力が重視されます」
男は頷きながら
「そうそう、その通りだ」
と相槌を打った。
アイはさらに詳しく説明を続けた。
「試験の合格率は年によって変動しますが、平均して20%程度です。つまり、5人に1人しか合格できない難関なのです。さらに、合格後も1年間の見習い期間があり、その間に実績を積まないと正式な冒険者としては認められません」
アレトは徐々に表情が曇っていった。
「あの...アイ」アレトはおそるおそる口を開いた。
「はい、アレト様」
アレトは周りを気にしながら、小声で尋ねた。
「俺って...何歳だっけ?」
アイは少し首を傾げ、
「アレト様は7歳です」
と答えた。
その言葉を聞いた瞬間、アレトの表情が凍りついた。
「7...歳...」
アレトの声は震えていた。15歳まであと8年。それは、彼が今まで生きてきた時間よりも長い。
「そんな...」
アレトは膝から崩れ落ちそうになった。
アイは心配そうにアレトを支えながら、
「アレト様、大丈夫ですか?」
と尋ねた。
アレトは呆然とした表情で、ぼんやりと前を見つめていた。彼の中で、希望の光が消えていくのが感じられた。
「8年も...そんなに長い時間...」
アレトは呟いた。
「その間、俺は何をすればいいんだ...」
アレトが絶望的な表情を浮かべる中、アイは静かに口を開いた。
「アレト様、実は...」
アイは慎重に言葉を選んでいた。
「あなたのクラスは『農民の子供』です。そのため、もともと冒険者にはなれないのです」
アイの説明を聞いて、アレトは複雑な表情で頷いた。
「そうだよな...俺のクラスじゃ冒険者にはなれないんだ」
アレトの声には諦めと落胆が混ざっていた。以前から自分のクラスの制限について知っていたことを思い出し、再び現実を突きつけられた気分だった。
アイは優しく続けた。
「はい、でも道具屋としての道は十分に開かれています。アレト様の経験を活かせば、素晴らしい道具屋になれる可能性は高いです」
アレトは黙って聞いていたが、その目には複雑な感情が宿っていた。
「わかってる。道具屋になるのは悪くない。でも...」
アレトは掲示板の方を見やった。そこには冒険者たちの華々しい成績が並んでいる。
「やっぱり、冒険者になりたいんだ。モンスターと戦って、世界を救うような...そんな冒険がしたいんだ」
アイは心配そうにアレトを見つめた。
「アレト様...」
「武器も持てないし、戦えもしない。わかってる。でも、どうしてもあきらめきれないんだ」
アレトの声には強い思いが込められていた。道具屋として成功する道がある一方で、心の奥底では冒険者への憧れが消えていなかった。
冒険者の男は、そんなアレトの様子を見て優しく声をかけた。
「坊主、夢を持ち続けるのは素晴らしいことだ。でも、今の自分にできることから始めるのも大切だぞ」
アレトは男の言葉に少し励まされた様子で頷いた。
「ありがとうございます...」
アイは静かに提案した。
「アレト様、まずは道具屋としての技術を磨きながら、冒険者の世界にも近づいていくというのはどうでしょうか。道具屋として冒険者をサポートすることで、間接的に冒険に関わることができますよ」
男は、アイの説明を聞いて大きく頷いた。
「そうだそうだ!道具屋の道も素晴らしいぞ。実は、この冒険者ギルドの3階に『星天職能所』っていうのがあるんだ。そこに行けば、様々な職業の情報が得られるし、相談もできるぞ」
男は親切そうに続けた。
「3階の東側にあるから、行ってみるといいぞ。きっと参考になると思う」
アレトは複雑な表情を浮かべたまま、言葉を失っていた。男の親切な助言に対して、お礼の言葉を口にすることができない。
アイはアレトの様子を察し、男に向かって丁寧に頭を下げた。
「貴重な情報をありがとうございます。参考にさせていただきます」
男は満足げに笑って去っていった。
アイはアレトの肩に軽く手を置いた。
「アレト様、『星天職能所』に行ってみましょうか」
アレトは無言で頷いた。
二人は階段を上がり始めた。壁には古い壁画が描かれており、冒険者ギルドの歴史を物語っていた。最初の冒険者たちが魔物と戦う姿、新しい大陸を発見する場面、そして平和をもたらす英雄たちの姿。
3階に到着すると、そこは予想以上に賑わっていた。広い空間には様々な人々が集まり、活気に満ちていた。
「星天職能所」の入り口には、魔法の光で浮かび上がる看板が掲げられていた。その周りには、様々な職業を表すシンボルが輝いていた。鍛冶屋の金槌、錬金術師の薬瓶、魔道具師の杖など、多種多様な職業のアイコンが並んでいる。
中に入ると、壁一面に魔法の掲示板が広がっていた。そこには、様々な職業の求人が魔法の文字で表示されている。
「魔石鉱山『深淵の瞳』、採掘師募集」
「王立魔法院付属病院、見習い治癒術師急募」
「竜騎士団、ドラゴンの世話係(経験者優遇)」
「異界商会『虹霧の市』、次元間交易士見習い」
アイが説明を始めようとしたその時、突然優しい声が二人に向けられた。
「星に導かれし者たちよ、何をお探しかな?」
振り向くと、そこには美しい受付嬢が立っていた。長い銀髪を後ろで束ね、紫水晶のような瞳が優しく微笑んでいる。彼女は星空を思わせる深い青の制服を着ており、胸元には「星天職能所」の紋章である七芒星が輝いていた。
「私はセレスティア。この星天職能所の案内人です。あなた方の運命の職を見つける手伝いをさせていただきます」
セレスティアはアレトの落ち込んだ様子に気づいたようだ。
「おや、若き冒険者志望の方かな?何か悩み事があるようだけど...」
セレスティアの優しい声に、アレトは少し顔を上げたが、まだ言葉を発することはできなかった。
周りでは、様々な種族の人々が熱心に求人を見たり、相談したりしていた。エルフの見習い魔術師が魔法院の求人について尋ねている姿や、ドワーフの鍛冶屋が新しい徒弟を探している様子も見える。部屋の隅では、獣人の商人が異界交易の面接を受けているようだった。
この賑やかな雰囲気の中で、アレトはますます自分の無力さを感じ、肩を落としていた。
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