第18話 兆し

アレトは近くに落ちていた折れた枝と鋭利な石を拾い、ハイエナウルフの群れに向かって突進しようとした。しかし、その瞬間、体が凍りつくような感覚に襲われた。


「ぐっ...!」


恐怖スキルが再び発動した。前回の戦いで一時的に克服したはずだったが、再び目の前に迫る死の危険に、スキルが反応してしまったのだ。全身の毛が逆立ち、冷や汗が噴き出す。足が震え、前に進むことができない。


「ま、また...こんな時に...!」


アレトは歯を食いしばり、必死に恐怖を押し殺そうとする。しかし、目の前のハイエナウルフの牙と爪が、死の恐怖を増幅させる。


その時、意識を失ったままのアイの姿が目に入った。無防備な彼女を守らなければ。その思いが、わずかに恐怖を押し返した。


「う...うおおおっ!」


震える声で叫びながら、アレトは一歩を踏み出した。その瞬間、ハイエナウルフが襲いかかってきた。


「がああっ!」


鋭い牙が腕に食い込む。骨を噛む音が聞こえ、激痛が走る。血が噴き出し、アレトの視界が真っ赤に染まる。恐怖と痛みが混ざり合い、意識が遠のきそうになる。


「い...やだ...死にたく...ない...」


恐怖で体が縮こまりそうになるが、アレトは必死にそれを押し返す。震える手で鋭利な石を掴み、ハイエナウルフの目を突いた。


「キャウン!」


獣が後退する隙に、アレトは這いつくばって逃げ出す。全身が悲鳴を上げ、動くたびに新たな痛みと恐怖が襲ってくる。


「ハァ...ハァ...」


息が荒い。心臓が口から飛び出しそうなほど激しく鼓動している。恐怖で視界が歪み、周囲がぐるぐると回っているように感じる。


それでも、アレトは魔法袋に手を伸ばした。「火炎草の粉」を取り出し、震える手でハイエナウルフたちに投げつける。


「く...食らえっ!」


赤い煙が立ち上り、獣たちが苦しみ始める。しかし、その姿を見ても安心できない。むしろ、反撃への恐怖が増大する。


「落ち着け...落ち着くんだ...」


アレトは自分に言い聞かせる。全身の傷が痛み、恐怖で胃が裏返りそうになる。それでも、アイを守るという一心で、限界を超えた身体を動かし続けた。


周囲を見回すと、青い花を咲かせた「眠りの蔓」が目に入った。恐怖に震えながらも、アレトは必死にそれを集め、即席の網を作り上げた。


「うおりゃあっ!」


網がハイエナウルフの一匹に絡まり、その動きを封じた。獣の動きが鈍くなり、やがて眠りに落ちた。


しかし、他のハイエナウルフたちが再び迫ってくる。アレトの体は限界を迎えていた。傷だらけの体からは血が滴り、視界も霞んでいる。恐怖で体が震え止まない。


「ま、まだ...終わりじゃ...ない...」


アレトは歯を食いしばり、残りのハイエナウルフたちに立ち向かおうとした。その時、突然、指先に何かが触れた。見ると、それは黄色い粉に覆われた丸い実「麻痺の実」だった。


最後の力を振り絞り、麻痺の実を掴んで最も近くにいるハイエナウルフの口に押し込んだ。


獣は苦しそうに咳き込み、体を震わせ始めた。その動きが次第に鈍くなっていく。


「効いた...!」


ハイエナウルフは激しく暴れ始めたが、やがてその動きが止まった。アレトは息を呑んで見守った。


獣は地面に倒れ、動かなくなった。


「や...やった...?」


信じられない気持ちでアレトは倒れたハイエナウルフを見つめた。彼は何とか一匹を倒したのだ。


しかし、安心するのはまだ早い。他のハイエナウルフたちが迫ってくる。アレトの意識は遠のき、体は動かなくなりつつあった。


「もう...ダメ...だ...」


絶望感と恐怖が押し寄せてくる。そんな中、アイの顔が目に入った。まだ意識を取り戻していないが、その表情は穏やかだった。


「そうだ...アイを...守らないと...」


アレトは最後の抵抗として、自分の体でアイを守ろうとした。


その時、突然、耳に聞きなれない音が響いた。


*ピロリン♪ ピロリン♪*


まるでゲームのシステム音楽のような、軽快で神秘的な音色がアレトの周りに響き渡った。


「な...なんだ?この音は...」


アレトは困惑した表情で周囲を見回した。ハイエナウルフたちも一瞬動きを止め、不思議そうに辺りを見回している。


その音と共に、アレトの体に不思議な感覚が走る。まるで体中に力が満ちてくるかのような...痛みが和らぎ、疲労が少しずつ消えていく。そして、心を支配していた恐怖も消えていった。


「これは...一体...」


アレトの目が大きく見開かれた。体が淡い光に包まれ、傷が少しずつ癒えていくのを感じる。何が起きているのか理解できないまま、彼はこの不思議な現象に呑まれていった。


恐怖との戦いに勝利し、新たな力を得た瞬間だった。

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