第四十一話 女神の村


 これは、とある村で起こった出来事である。

 そこは、都市からもほど遠く、四方を山に囲まれたのどかな農村であった。狩猟時期になれば猪や鹿などのジビエ肉が名物で、米も美味しく果物もよく育つ……けれども、それ以外の娯楽というものは存在しない村だ。数年前に、大型ショッピングモールが住民の反対を押し切り出来たそうなのだが、そこも大型商業施設にしてはめずらしく、すぐに潰れてしまった。

 住民は、誰しもが親戚である、そんな村。

 不思議だとは思わないだろうか?どうして、そんな閉鎖的な街がこれほどまでに長く続くのか。人を出さず親戚同士で婚姻をし、血が濃くなってしまったらどうするつもりなのか。


 その答えは、とある民俗学者から聞いた話にある。

 彼は村を囲む山の中に隠れる古墳の調査をしに来た男であった。つい一年前に結婚をし、仕事での来訪ではあったが忙しい生活の中でまともに新婚らしい生活を送れなかった妻を気遣い、新婚旅行も兼ねようと二人で村を訪れたのだ。

 当然、村には宿泊施設などというものは存在しない。夫婦はバスに乗り、都市部の宿泊施設を拠点に調査をすることに決めた。

「はあ、あの村ですか。奥様は行くのは控えた方が……」

 よほど珍しいのだろう、幾度となくどこから来たのか、どこを観光する予定なのか、と清掃スタッフに話しかけられては、村に行きますと答え、同じ言葉を投げかけられる。

 男は流石に不安になり、妻へ残るようにと言い聞かせたが、妻は夫の仕事を手伝うのだと聞かない。仕方なく、夫婦で村に向かうことにした。

 村の皆はとても良くしてくれ、宿で調理してもらうようにと採れたての野菜や山菜を贈り、調査にも協力的だった。

 野生の動物が出るからと男は狩猟免許を持つ男たちと山へ入ることになり、妻は歳の近い女たちと世間話をしていくうちに仲良くなり、彼女らはこの村には美容に良い温泉があるのだと言い、妻をそこに案内してくれるのだという。

 二人は、別行動を取ることにし、夕方五時にバス停の前で待ち合わせをして別れた。


 しかし、約束の時間になっても妻は一向に現れない。

 村の老人たちは、動物たちが動き出す時間だからと男を村に泊まらせようとしたが、いつ妻が帰ってくるかわからないからと、夜が来て朝を迎えて、それが幾度となく続いてもその場を動くことはなかった。

 その間は村の者に食事と入浴の世話だけをしてもらうことにし、それ以外の時間を妻を待つことに費やした。

 そして、約束の時間から三週間。

 妻が、青い顔をして約束の場所へ現れた。髪は乱れ、糸くずひとつ身につけない生白い裸のまま、腹には丸い痣、両手首、膝、太ももと足首に縄の跡があった。眼球はくるくると回っていて、うつろである。千鳥足で、ふらふらと歩く様はまるで狂女のようであった。

 なにがあった、と男が聞いても、妻は金魚のように口をパクパクと動かし答えようとしない。

 村人達が、この妻の様子を見てもなお村へ留めようとすることを不審に思い、男は急ぎタクシーを呼び宿に戻った。

「お客さん、警察は呼びましたか?」

 小汚い男の姿と妻の有り様を見て、運転手は声をかける。男が宿に戻り次第すぐに、と答えると、彼は真剣そうに声を顰め、やめた方がいい、と返した。

「年に数回、こんなことがあるんですよ。なぜか若い女が、この村にやってきては奥様のような状況になって帰ってくる。私は今までで何人も乗せてきたんですよ、警察にだって連れて行ったことがある。けれどもね、警察は全くこのことについて動いてはくれないんですよ」

 ならば、どうするのが正解なのだろうか。

 運転手は、ひとまず病院で診てもらった方がいい、と二人を大病院へ連れて行った。

 怪我自体は大したことはない。腹は殴られた痣で、内臓の損傷は見られず、縄の跡も痣にはなるだろうが大怪我にはなっていないそうだ。……けれども、妻の体にはそんなことよりも大きな異変があった。

「奥様は、妊娠しておられます。ご主人、心当たりは?」

 男に身に覚えはなかった。

 まさか、自分が仕事にかまけている間、間男を作り子をもうけたというのか?しかし、宿に戻り妻のスマホを調べても証拠と思えるようなものはない。

 それなら、妻は、自分が調査に出かけている間に、体を縛られ暴行を受け、誰か分からぬ男の子を孕んだというのか。

 医者は精神的なショックが大きく、錯乱状態にあり自死の可能性もあると伝え、妻は一時的に入院することとなった。その間も、腹の子どもは順調に大きくなっている。

 予定では一週間ほどであった旅行も、あっという間にひと月が過ぎようとしていた。仕事のこともある、勤務先は事情を説明してもなかなか理解してはくれず、男は妻を気がかりに思いながらも、ひとり都会へ戻ることにした。


 そして、それからふた月たったある日、妻が病院から忽然と姿を消した。

 病院から知らせを受けた男は慌てて村へと戻った。心当たりはあった。あの村である。そこしか行き先はない、そしてそれは妻自らの意思ではなく、何者かによって攫われたに違いないのだ。

 バスを待っている暇はない。タクシーを呼ぶと、運転手は以前夫婦を病院まで送り届けた男だった。彼は全てを理解した様子であの村ですね、と言い、急ぎ車を走らせた。村の中を走り、そして、タクシーは村の中心にある神社の中で止まる。

「おそらく、奥様はこの中に」

 社務所を訪ねると、中から十代半ばほどの少女が現れた。少女は繕ってはいるものの古さを感じさせる巫女服を着て、小さな身体で大きく手を振り人懐っこい笑顔を見せる。

「あ、八島さん!来ると思ってました!いらっしゃい。さあ、奥様はこちらです。もう、逃げてしまわれましたので、村のみなで探しましたよー」

 男の思いに反して呑気な声をあげる少女は、男の名を呼び、ついて来てください、と神殿の奥へと歩き出す。

 村の神社は通常の神社とは違うようで、古びてはいるものの豪奢な屋敷のように思える。長い廊下を挟んで、どこまでも続く襖。その向こうには、どんな部屋があるのかはわからないけれども……なにか柔らかいものが叩きつけられる音、濡れた音、微かに人の声のようなものも聴こえる。

「ここですよ!」

 その一番奥の襖。少女は一際美しい金箔と天女の絵で彩られた襖を開けた。

 そこにあったのは、色とりどりに咲き乱れる花々。お供え物のように綺麗な器に盛られた山でとれる果物……野菜、肉の加工品、そして女だ。

 この部屋には五人ほどがいるだろうか。太ももと足首、手首ををまとめて辱しめられるように縛られ、ほとんどの者が腹を膨らませている。みな、うわごとのように何かを呟き、あーあー、うーうー、とうめき声をあげ、何人かは髪が全て抜け落ち、それ以外のものもまだらに頭髪がない。おそらく、この状況にストレスを受けてのものだろう。

「美しいでしょ?この方達は女神様!この街は、女陰信仰なんですよ。男根信仰はよくありますけど……この街は古くから、外から来た女性を女神として崇めているんです」

 少女は、まるで台本を読んでいるかのようにこの有り様を紹介した。男は、花々に飾り付けられた女の中から妻を探す。

 いない。どこにも。女達の膨らんだ腹の間から、艶めかしい裸体から、正気を失った眼差しから、男は愛しい妻の面影を探す。……そして、女達の影に隠れるようにして、男は妻の姿を見つけた。乾いた唇から漏れる声は、絶望に満ち、まるで呪詛のようであった。

「女神様は、こうして村の男衆の子を産んで、村を存続させてくれているんですよ。一人産んだら、また作って、産んで。その繰り返し……加齢によって産めなくなったら、祭りの時のご馳走になって、最後まで村のために尽くしてくださるんです」

 男は妻から目を逸らした。彼女は、こんな姿を自分に見られたくないと思ったのか、それとも現実そのものから目を逸らしてしまったのか……おそらく、その両方だろう。

「女が生まれたら、どうするんです?」

「その時は、私のようにここの管理を任されます!女神様の産んだ女は神の使いですから。男が生まれたら、里親が大切に育てて村の女達に子どもを授ける役割になります」

 二人は、男は妻の元から去った。男は逃げたのだ。

 連れ出しても、また、妻は連れ戻される。それに、腹の子どもは自分の子ではないのだ。子どもがどうなろうと……自分には関係のないことだ。自分は、男だから助かった。妻は女だから女神になった……運が悪かったのだ。

「女神様には、人間の世界のことを忘れさせるためにお薬を飲ませます。村に自生する植物の茎からとれる液体で……それをコーヒーに混ぜて飲ませると、だんだん神に近づくんです」

 そして、少女は一番大きな襖を開く。そこには虚ろな目で遠くを見つめる女たちがいた。抜け落ちた頭髪は戻ることはなかったようだが、彼女達は縛られることなく、膨らんだ腹を美しい衣で包んでいた。まるで、尼僧のような姿である。

「奥様は、まだ人間ですので……まだ人の欲に未練があってお苦しい様子でしたが、お薬の力でここまで神様に近づけるんですよ。すごいでしょう」

 いずれは、妻もこのような姿になるのだろう。それまでに、どれだけ子を産むことになるのだろうか。

 おそらく、少女の言う薬は麻薬のようなものだろう。人間の精神に作用して落ち着かせる代わりに、心を壊して何も考えられなくさせてしまう、そんな違法なもの。

 男は少女に見送られ神社を後にすると、あのタクシーの運転手はまだ、男を待っていたようで、一目散に駆け寄ると男の肩を掴んで強く揺さぶった。

「奥様は?奥様はどうしたんです!!」

 男は何も言わない。

 それで、全てを察したのか、彼は何も言うことなく車へ戻ると男を乗せるために後部座席のドアを開いた。

「ああ、まただ。残念です……せっかく助け出したのに、またダメだったのか。……これ以上、娘のような被害者を出したくはなかったのに」

 彼は、おそらく過去に娘が村の女神にされてから、幾度となく村に囚われた女達を救おうとしていたのだろう。……そういえば、案内してくれた少女は目元が少し、彼に似ていた気がする。

 娘は、初老のように見える彼の歳から考えると、もう村のご馳走にされてしまっているだろうか。

 けれども、どれほど責められたとしても、男にはこれ以上どうすることもできない。膨大な知識があっても、たった少しだけ、勇気と力がなくてはどうしようもないのだ。

 タクシーに揺られながら、男はただ自分の無力さと、あの場で見た光景が自分に対するものではなかった、という喜びに打ち震えていた。



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少女と怪異についての掌編集 柊 秘密子 @himiko_miko12

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