第四十話 箱

 それが、人類の前に姿を見せたのは、ある暑い夏の日のこと。

 太平洋沖で魚を獲っていた漁船が、ある海域で網をかけると必ず何かに引っ掛かり、破けてしまう場所がある、と気づいたのがことの始まりである。

 不思議に思った漁師が匿名掲示板で、自らの体験談と共に情報を集めたところ、同じような事を経験している漁師が日本のみならず、アメリカや諸外国にもいることがわかり、次第にその話はインターネットから飛び出して、世界はそこに何が沈んでいるのかの話題で持ちきりになった。

 メディアは金銀財宝を詰め込んだ沈没船であると言い、オカルト雑誌は地球上にまだ人類が存在し得ないころにやってきた、宇宙人が乗り捨てた宇宙船なのだと言いはじめる。

 政治家はそれを、いっときのブームとして過ぎ去るものだと思っていたのだが、噂は収まることなく更に盛り上がりを増していき、その一方で網や道具を壊され続けた漁業関係者の被害は甚大で、世界中で大規模なデモまで起こりはじめた。

 こうなっては無視することはできない。

 そして日本の漁師が掲示板で情報を募ってから一年後のある日、とうとう、国が動く形になってしまった。


 最初はカメラを持たせた潜水士達に撮影をさせる予定であったが、人間が潜ることができない、相当深い場所に沈んでいることだけしかわからず、計画は断念。

 急遽、海洋研究のために開発していたロボットを流用することに決め、それは無事に成功し、数多の専門家たちは海に沈められた異様なものを見る事ができた。

 そう、異様なもの……海の中に、箱が沈められていたのだ。

 陸と陸を繋いでいるのではと思えるほどの大きさで、船や軍艦が何隻も収まってしまいそうな、とても大きな箱である。

 大きさもそうだが、重量自体もとても重く、引き上げることは困難であったが、目視により外側は木でできていると分かり、海の水による腐敗や経年による劣化もあってか、それは撮影用ロボットで軽くつつくだけで簡単に崩れてしまった。


 その中に入っていたのも、また箱であった。

 次は、コンクリートの箱である。

 厚みがあり、まるで石棺のようである。

 中からは、ほんのわずかに放射線反応があり、これを開けてしまっては海や作業している人間が汚染されてしまう可能性がある。このまま、何もしないで置いておく方が良いのではないか?

 人類はそれを開けるか話し合った。

 しかし、それほどまでに危険な物体を置いておき、後の世に朽ちてしまえばそれもまた大問題である。話し合いの結果は容易に想像できるだろう。

 箱を開けるために、全世界の企業は我先にと、ありとあらゆる手を尽くし技術開発を行なった。

 結果、採用されたのは、スイスの研究所で開発されたある程度の放射線を遮断することができるシートで箱を覆い、そのなかでロボットがドリルを使い削る、という案である。

 研究者たちに見守られながらロボットは健気に作業を続け、二ヶ月ほどたったある日、ようやくコンクリートに小さな穴を開けることができた。破片の厚さからみて、二十メートルほどの厚みがあるだろうか。そして、同様にして分厚いコンクリートを砕き、中身を取り出すことができるようになるまで穴を広げていく。

 一年後、中から出てきたのは、黒い箱であった。

 大きな段ボール箱ほどの大きさのそれは、厳重に放射能対策を施し、名乗りをあげたアメリカの研究機関に送られた。


 無事、研究機関に送り届けられた未知の材質でできた箱は、あらゆる分野の科学者が顕微鏡で覗き、突いて破片を採取したり、薬品に浸したりと地道な作業を繰り返した結果……炭素が結合してできた、いわゆるダイヤと同じようなものだとわかった。

 となれば、後の作業は簡単である。ノミで箱に一点だけ衝撃を与え、砕いて箱を壊すと、中からは強い放射線を放つ小さな箱が出てきた。

 それは先の箱同様、未知の物質であったが脆く、容易く壊すことの出来る材質であったため、すぐに然るべき環境下で開かれた。

 するとまた、箱が出てきた。

 今度は金属製の箱である。

 それは継ぎ目の一切ない、つるんとしたサイコロのような美しい形で、開け方すらも見た目だけではわからない。

 箱を振るとカサカサと音がするため、中には何かが入っていることは確実なのだが、研究者達がいくら調べてもわからなかった。幸い、放射線や体に害をもたらす物質ではないようだ。

 研究者は長年の調査と連日の作業に疲れ果てていた。そこで駆り出されたのは、ギフテッドの子供たちである。

 彼らは小さな手で箱を撫でまわし、難しい数式を組み合わせ、応用し、まるで遊んでいるかのように試験を繰り返し、箱を一定の速度で転がすことで、開けることができるのだという解を導き出し、そして成功した。


 中は、ボールペンで殴り書きをしているかのような、不思議な絵画が入っていた。

 集められた子供たちのうち、言語能力に特化した少女が、描かれている内容に一定の規則性がある事を見つけ、これはなにかの文字なのではないかと推測をした。

 それから二年、少女は言語学者や民俗学、歴史学者たちとそこに書かれている言語の解読に取り掛かった。

 ここまでとても長い年月が過ぎていった。初めの頃はあれほど熱狂していた民衆も、すでに箱のことは忘れているだろう。

 しかし、この箱の謎を解くために、数多の人間が関わってきたのも事実である。

 関係者は、皆固唾を飲んでその時を待った。

 そして少女が口にした、そこに書かれていた言葉は


今日も、とても空が綺麗です。


 の、一文であった。

 それが何を意味しているのかは、未だ不明である。

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