第三十九話 Sくん


 彼と出会ったのは、夏のとても暑い日。

 当時付き合っていた恋人と、とても嫌な別れ方をしてしまったのが始まりだ。友人たちは次の相手を探せばいいと言うけれど、同じ境遇のものは皆自分のことで必死だったり、恋人がいるものも自分のパートナーに夢中で話にならない。

 本来なら、こんな出会い方で次の恋人を探すことなどなかったのだが……焦っていた私は、とあるマッチングアプリに登録してみることにした。

 名前と生年月日、趣味や住んでいる都道府県、性別、アピールポイントを入力して登録は終わり。

 数分後には、何人かの男性からアプローチがあったが、そのいずれも、蓋を開けてみたらひと夏だけの関係で済む都合の良い、若い女性を探している体目的の男性ばかりで、なかなかまともな出会いにつながることはなかった。

 もう辞めてしまおう、無理に出会おうとするのがいけないのだと思った時だ、彼に出会ったのは。

 彼は名前をSくんといった。

 Sくんは、私よりひとつ年上の二十二歳、大学生。甘いものが好きで、社交的で褒め上手で優しい、まさに理想の男性だった。

 私たちはすぐに仲良くなり、アプリからメッセージアプリでのやり取りに移行してからは、更に関係が深まったように思う。Sくんはコーヒーショップの新商品が出るたびに、これ美味しいよ、と写真を撮って見せてくれる。他にも季節の花や、おかしな形の雲、散歩中のかわいい犬。Sくんは、いろんなものを私に送ってきた。

 私からも、いろんなものを送った。今日のランチ、お気に入りの本、新しく買った服、塗りなおしたネイル。その全てを、Sくんは褒めてくれる。私はとても嬉しかった。


 ある日のこと。

 SNSを見ていたら、コーヒーショップの新作を写真に撮って投稿している人がいた。秋の訪れにぴったりなモンブラン風味のデザートドリンクだ。Sくんも、近い内にきっと同じものを飲んで、私に勧めてくれるのだろうな、と思っていたその時、Sくんからのメッセージが届いた。

 私が見た、SNSの写真そのまま添えて。

 私が見たアカウントは、Sくんのアカウントだった? いや、そのアカウントは確か綺麗な女性で、恋人との仲睦まじい写真や流行のファッション、新作の化粧品を紹介している写真もある。Sくんのアカウントにしてはおかしい。

「Sくんって、彼女さんいる? 同じ写真投稿してるひとを見つけたんだけど……女の人だったんだよね」

 何気ない風を装って訊いたつもりだった。Sくんのことを、真剣に考えていたからこその質問である。もちろん、彼女がいてもおかしくはないだろうな、とも思っていた。あれほど優しく社交的、褒め上手な男性に恋人がいない方がおかしい。

 だから、Sくんに恋人がいて、私とのことは遊びのつもりでも責めるつもりは全くなかった。

 けれどもSくんは

「ごめん……あんまり、写真が得意じゃなくて。何度も自分で撮ったものを送ろうとしたんだけど、君に送るものはやっぱり綺麗なものが良くて。……怒ってる?」

 と言う。実際に話してはいないのだけれども、申し訳なさそうな様子が文章越しにも感じ取れ、私はそれ以上追求することはできなかった。

 今思えば、これもまた言い訳にしては苦しかったと思うのだが、日々の楽しいことや辛いこと、あらゆることをSくんと共有していたのだ。その時の私は文字だけのやりとりだけでも十分にSくんに対して心を許していた。


 しかし、その後どれほどやり取りを続けていても、Sくんは一向に私と会おうとはしなかった。それとなく住んでいる場所を聞き出そうとしても、はぐらかされるばかりでなかなか掴むことはできず、ただ言葉だけの愛を交わして月日だけが過ぎていく。

「Sくん、からかってるの?」

「どうして?」

「会ってくれないから」

 痺れを切らして尋ねると、Sくんからの返事はとても早かった。まるで用意していた答えをコピーして貼り付けたかのようで、なんとなく気味が悪かったし、何より不快だった。

 だってこんなに早く返せるという事は、彼はこのような問いを投げかけられる事を、想定していたということだから。

「俺は、君に全てを見せているよ。何も隠し事なんてしてない。君に伝えた事、君に見せたものが僕の全てだよ」

 それ以上は、何も言葉を交わす気にはなれなかった。

 私はすぐにSくんの連絡先を消し、彼の前から姿を消した。度々、彼と話し言葉がとてもよく似た男から連絡が来たけれど、怪しい人物と話すつもりはなかったので、真相はわからない。


 それから三ヶ月後。

 私は友人の紹介で一人の男性と知り合った。友人の恋人の友人という、遠いのか近いのかよくわからない縁ではあるが、一度会っただけでも私達は相性が良い事はわかった。そして、その日のうちに次のデートの約束を交わして交際を始めた。

 私は、現在とても幸せである。

 けれども、友人の一人が最近一人の男性について悩んでいるようであった。彼女は長年付き合い大学卒業後には結婚の約束までしている恋人がいるはずなのだが、彼とはまた別の男性とマッチングアプリで知り合ったらしい。

 どんなひとなの?と尋ねると

「あのね、すっごいイケメン。それでさー、めっちゃ優しくて褒め上手で、頭もいいし……正直あたしさ、健人と別れて彼と付き合おうかなと思ってるんだ。今度会うって約束してるし」

 と、得意げに自慢をする。写真を見せてもらったけれども、確かに容姿はいい。加工をしていたにしても、それでもモデルや俳優などとは引けを取らないだろう。やりとりしているメッセージも、彼女の言う通り優しいし、気持ちよく褒めてくれている。

 しかし、私はその文章に見覚えがあった。これは私個人の考えなのだが、人間は些細な、たとえメールやメッセージの文章一文だけでも個性が出るものである。それは今でも著作が読まれている文豪も、平凡な女である私も同じだ。

「ねえ、彼の名前聞いていい?」

「え、なにそれ。……本当の名前はわかんないけどさ、アカウントはSって書いてあるから、そう呼んでるよ」

「そっか」

 Sくんは、私と離れた後も元気そうだった。

 SNSを検索したら、彼が送った写真と同じものが、自撮りを多く投稿している男性のアカウントから出てきた。やはり、あの姿もSくんのものではなかったのだろう。

 そして、一週間後。Sくんと会うと言っていた友人は姿を消した。

 私はSくんが怪しいと思っているのだが、彼女とは友人という関係ではあるものの、さほど仲が良いわけではない。犯人探しをしてやる義理もないだろう。

 運が悪かったのだ。

 彼女のことは、忘れよう。

 

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