第三十八話 モロー伯爵の奇妙な恋人


フランス、ブルゴーニュ地方。

そこには、少し変わった男が暮らしていた。名はガブリエル・モローという。彼は土地の管理を王から申しつけられた、いわゆる領主であり、伯爵の称号を得ていた男であった。

彼はまるで絵画のように美しい姿をしていて、社交界に集うご婦人のみならず、催し物で女の格好をした時は、その場にいたすべての男が彼の虜になった。

私の主人である、ルフェーブル公爵もそのひとりであり、たびたび彼を屋敷へ呼び寄せ、ひどく寵愛していた。

私がこの屋敷で働くようになり、下僕から執事、従者として主人の身の回りの世話をできるようになるまで三十年。その間、彼は子どもから大人になり、結婚し愛人も作り子どももいる。しかし、どれほどの美貌を持った貴婦人ですらも、彼ほど愛されてはいなかったと思う。


さあ、ここからが本題である。

彼が変わっている、とされる由縁だが、彼はいつも大きな旅行カバンを持っていた。綺麗になめされた牛の皮を張った高価なカバンで、誰もその中を覗いたことがないという。

今日も、彼は立派な馬が引く簡素な馬車に乗り、我が主人の元へ例のカバンと共に訪れた。

「これは大切なものだよ。丁重に扱ってくれたまえ」

馬車を降りて早々カバンを私に持たせると、彼はマティス、マティス、いるかい?と主人の名を呼びながら、まるで我が物顔で屋敷の中を歩き回る。

ここからが私の仕事である。本来ならば主人のそばにいるべき従者である私が屋敷に残っているのは、このことを彼に伝えるように、主人に命じられていたからだ。

歩調を早め、大股で歩く彼の隣は並ぶと、きちんとした角度で腰を折り主人が不在である無礼を詫びる。

「失礼ながら、主人は急遽、城へ向かわなければならなくなり、明日まで戻りません。部屋を用意しておりますので、どうぞ今日はご宿泊を。身の回りのお世話は、わたくし……フェリックスが務めさせていただきます」

そのための部屋は、すでに主人が準備している。

彼に用意された部屋は、一番日当たりがよく本来なら客室に置くべきではない高価な調度品が並べられ、この屋敷のすべての部屋で一等素晴らしい部屋であった。

その素晴らしさに気をよくしたのか、彼は満足し執事へティータイムの用意を頼んだ。……事前に、主人から彼の好きな紅茶の銘柄から茶菓子、茶器のメーカー、その全てを聞き出している。失敗はないだろう。

客人の要望を聞き、執事とハウスメイド達が慌ただしく部屋を後にすると、まるで美術館のような部屋の中は私たち二人だけになってしまった。彼はくすんだ水色の瞳を向けて、まるで女のようにテーブルへ頬杖をついて首をかしげる。

「君、僕のカバンの中が気になるかい?」

「……いえ、大切な客人の荷物ですので」

まるで頭の中を読み取ったかのような、唐突な質問に対して戸惑う私に、いいさ、と彼は機嫌が良さそうに笑い、鼻歌混じりにテーブルの上へ大きなカバンを乗せて開けた。


中には、柔らかなクッションの上に艶めいたシルクが重ねられ、まるで宝石や美術品をしまっているかのようだった。

しかし、実際に中に入っていたのはそんなものではない。女の腕であった。ふっくらと柔らかいパンのような二の腕、肘から下はほっそりと長く、小さな手のひらと桜貝のような可愛らしい爪のついた指。それが一対。

切断されたものなのだろうか。淡いピンク色の肉はみずみずしく、赤い血はゼリーのように凝固し切り口を覆っている。

「これは……」

驚き、言葉を失う私に彼は得意げに笑った。

カバンの中から大切そうに腕を取り出し、恍惚と、そっと絹のような手の甲に頰をすり寄せる。

「これは、僕の恋人さ。……いや、恋人になる予定の女性だ。屋敷にはまだ脚と下腹部、眼球と、下顎、鼻から上顎、脳と……その他、ありとあらゆる女性の美しいパーツがある。組み合わせたら、僕に相応しい完璧な美しさを持つ、聡明で心優しい女性となるはずだ」

思えば、彼が主人のように、決まった男性と交流を持つことはあったけれども、女性とは同じように長い期間交流をすることはなかったように思う。それどころか、一定の交流を持った女性はある期間を境にぱったりと姿を消してしまう。

それは、これが理由なのかもしれない。彼の恋人になるという身勝手な理由で腕を、脚を、目玉を奪われたり、命すらもついでに奪われてしまっている者もいるのだから。

「主人は、この事を知っているのですか?」

平静を装って尋ねると、彼は女の細い指に自分の長い指を絡め、遊びながら首を振る。君だけさ、と呟く声がひどく、甘く聞こえた。……ああ、きっと主人も、他の男たちもこうして彼に堕とされていったのかもしれない。

「今日は目的があって来たんだ。この屋敷にいる厨房メイド……ニナと言ったか。とても美しい首筋の女性だね。彼女を是非、僕の恋人にしたいんだ。……意味は、わかるね?」

「ええ」

わざとそっけない返事を返す私の様子に、あれ、おかしいなと呟きながら、理解ができないといった様子で目を細めると、彼はもう少し踏み込んだ言葉で揺さぶりをかける。

「マティスから聞いたよ。君は、ニナに恋をしているんだってね?歳もずいぶん離れているし、身分だって違う。ああ、なんて美しい恋だろうねえ」

そうだ、私は数年前からこの屋敷で働く十七歳の少女、ニナに心惹かれていたのだ。親子ほど歳は離れているし、私は主人のそばに仕える従者、ニナはメイドの中でも低い地位の娘。しかし、花のように可憐で、素直にいうことを聞き懸命に働く彼女の健気な姿はひどく私の心を打った。

「どういう意図でしょうか」

私は、仕事に生涯を捧げると誓った身である。彼女も、父親ほどの年齢の男に求愛されても困るだろう。彼女への想いは叶わぬものとして心のうちに閉じ込めると決めていた。これが物語であったなら、彼の暴挙を止めて彼女を救い出し、命の恩人として愛情という名の恩恵を受けることもできただろう。けれど、現実はそう甘くないことを知っている。

落ち着いて尋ねる私に、彼はようやく心の内を把握することができたのか、にんまりと笑って

「いや、ただの意地悪さ」

と呟いた。


その後、私達は主人からの命令に従い彼をもてなし、彼も私たちの対応にひどく満足してくれたようだった。

帰る間際、彼は感謝の印にと頬に口付けを落として甘く囁く。

「君のことは、特に気に入ったよ。後日、特別なプレゼントをあげよう。待っていてくれたまえ」

そしてその日のうちに、ニナは彼の元へ愛人として迎え入れられることになった。きっと、彼の愛しい恋人のパーツとされてしまったのだろう。


……数日後。約束していた通り、彼から私の元へ大きな……とても大きなカバンが届けられた。自室で中を確認するように、と書かれたカードが差し込まれたそれを、部下と共に自室へ運び入れ、持ち手に括り付けられていた鍵で錠を開ける。

中は柔らかいクッションの上にシルクがひかれ、宝石や美術品、何か素敵な宝物を入れているかのようだった。

そう、彼からの贈り物はとても素敵なものであった。私が、何よりも欲しいと夢を見ていたもの。

折れそうなほどに華奢な四肢、体毛の薄い痩せた体、縫い合わせた跡がある、小さいけれども柔らかそうな胸、長いまつ毛が影を落とす緑色の瞳、小さな唇、そばかすの鼻、栗色の髪。まるで人形のように心の抜けた、見慣れた少女……ニナが、カバンの中に赤ん坊のように生白い裸のまま、細い体を丸めてみっちりと詰まっていた。

ニナは、命を無くしたにも関わらず血色が良く、あの腕のように特殊な処置をされているのだろう。まるで生きているかのようだった。

その姿はひどく美しく……そして、叶わぬ恋と、その身にすら触れる事すらできないと諦めながらも夢想していた、なにも知らない幼く純朴な乙女の体が自分の手の中にある、自分だけのモノとなった歓びを感じていた。

抱き上げて、その体の細さ……肉の柔らかさ、薄い肌から匂い立つ花のような乙女の色香に酔いしれていると、ふと、ニナの細い指から手紙が落ちた。

彼からのメッセージである。


『君なら、僕の想いがわかってくれるだろうと思い、愛しい君だけのニナを贈ります。

首から胸は、僕の恋人として頂いてしまったから、その代わりと言ってはなんだけど、余ったパーツから似たようなものを選んであげたよ。

共に、愛しい恋人と永遠の時を過ごそうではないか。


追伸、マティスに君が欲しいとおねだりしたら、快諾してくれたよ。この手紙を読んだら、すぐにニナと一緒に荷物をまとめて僕の屋敷へ向かうように。』


……新しい主人は、とても人使いが荒そうである。




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