第三十七話 夜の女王と呼ばれた女

 これは、夜の女王と呼ばれた女の最期の物語である。


 女は、生まれた時から、陽の光を浴びたことがなかった。

 それというのも遠い昔、彼女はとある若い夫婦の間に生を受けたが、母胎の中で生命を終え、誕生の瞬間を迎えてもその心臓が動くことはなかったらしい。

 はじめての子どもが死産してしまった事実を認めることができなかった夫婦は、周囲の反対を押し切り、ある呪術師の元へ彼女を連れて行ったそうだ。

 温情か、はたまた何か意図があってのことなのか。

 報酬も受け取ることなく、彼女は不思議な力か呪術の類で、一度の死を経てようやくこの世に生まれ落ちることが出来た。

 けれども、それは一般的なせいではない。彼女の心臓は動くことはないし、日差しを浴びると体は灰となって消えてしまう。その上成長もとてもゆっくりで大人になることはなく、少女の姿で止まってしまっている。

 両親の死後は、後に生まれた兄弟たちに疎まれ村を追われることになってしまったが、十代半ばほどの容姿の女に行くあてなどない。嫁の貰い手もなく、働くにも陽の光を浴びることができなければ難しい。死のうにもその身に傷をつけることすら叶わない。

 しかし、幸運な事に女はとても美しい姿を持っていた。

 夜の世界に入ると、女はたちまち成り上がり、その美しさと聡明さから、繁華街を牛耳る男のお気に入りにまでなることができた。

 男が死んでも、女は代わる代わる頂点に立つ男たちの美しい人形として愛でられ、夜の世界で働く女たちの頂点に立つ女王として、何十年もの間、変わらぬ少女の姿で彼女は繁華街で暮らしている。



 ……ここまでが、女の過去の話だ。

 そして今、彼女は俺の隣にいる。

 所属していた組織が摘発された彼女は、故意にしてもらっている組の元へ転がり込んだけれども、組長……親父は、トラブルに巻き込まれるのを恐れたのだろう。下っ端の俺に、彼女を連れて雲隠れするようにと命令を下した。

 雪の降り頻る冬、東北の片田舎。一時間に一本走れば良いローカル線の始発に揺られ、とても美しい少女の姿をした女は、すっかりぬるくなってしまったココアの缶を手に、小さな体を不安そうに丸めている。

 しかし、俺は彼女がどうも苦手だ。

 退屈凌ぎに話す過去の話題も、どうしても嘘くさく聞こえてしまう。実際、組の集会所に彼女と歴代の組長が写った写真も残っているのだから、信じざるおえないのかもしれないが……一体どれほどの人間が、素直に彼女の話を信じると言うのか。

「私たちは捕まってしまうのでしょうね」

 ふと、隣の彼女は小さく呟く。

 ここには、俺たちしかいない。この車両だけじゃない、いまこの電車に乗っているのは、俺たちだけだ。

 何も気にすることはないのに声を顰めてしまうほど、彼女は憔悴しているのだろう。

「すみません、姐さん。俺の、力不足で」

 まだ暗い窓の外を眺め、心にもない謝罪の言葉を返すと、彼女は首を振る。

「どうせ捕まるなら、ひとつだけ願いを叶えて欲しいのだけど。今まで誰も叶えてくれなかったものよ。」

「……まあ、少しだけなら。あまり資金もないんで、金がかかるのはできませんが……」

 預かっているのは、二人の人間を雲隠れさせるにはあまりに心許ない札束のみ。夜しか活動できない彼女を気遣い、ここまで来るのにだいぶ使ってしまったが、彼女の手持ちであった高級ブランドのバッグや小物、服を売り払った金もある。最後の晩餐くらいは多少豪華なものが食べられるはずだ。

 しかし、彼女の願いはそんなものではない。一度でいいから陽の光を浴びてみたい、というものであった。

 時代が進むにつれ、夜でも人工的な光によって昼間のように明るく、映画のスクリーンに映し出される映像により空の青さ、太陽の眩さを知ることができたが、よりそれが、実際の青空への憧れを助長させたらしい。けれども……

「陽を浴びると死ぬんすよね。……いいんすか、それで」

 彼女は迷いなく頷く。捕まるのなら死ぬことを選ぶのは、この世界の人間にとって当然のことだ。

 他のものにはそれを、止める事もできない。

「いいすよ。それなら、次の駅で降りましょうか。たしか、低い山があったはずなんで、そこに登りましょう。」



 もとより、彼女の戯言は信じてなかった。

 どうせ、陽の光を浴びない云々も、アレルギーで赤くなる程度だろう、大袈裟な。そう思っていた。

 少しずつ、夜の気温に温もりがまざる。途中の自販機でコーヒーを買って暖をとりながら、綺麗に舗装された道を登り、俺たちは展望台へと向かった。

 汚いベンチの上に、二人で並んで座る。目前には、雪の降り積もった真っ白な田んぼの跡地と、ところどころに見える民家の小さな灯りのみ。

 彼女と二人で旅をしてから、三日ほどだろうか。傍目から見たら、チンピラが年端もいかない少女を連れ回しているようにしか見えないが、我ながらよくごまかせたと思う。

 これがドラマや映画ならば、なにか素敵な恋でも芽生えるようなシチュエーションなのかもしれないが、実際のところは大して親しくもならず、俺は彼女のことが苦手なままだ。

「姐さん、本当に太陽浴びると死ぬんすか」

 時刻は、もうすぐ夜明けを告げる。

 死ぬわ、と彼女は細い声で呟いた。

 空は夜の藍色に水色、オレンジ、牡丹色。様々な色が混じっては溶けていく。

 ふと、ジリ、ジリ、と焦げる音がした。

 見ると彼女の美しい顔が、皮膚が、焼けて溶け始めている。驚き声も出せずにいると、彼女は爛れ、骨と肉の見えはじめた手を空に掲げ、ほう、とまるで綺麗な宝石を見るかのように、恍惚とため息をつく。痛みなど感じていないかのように。

 そして、こちらに気づいたのか、今まで見たことのない子供のような顔でにっこりと笑った。


 日が昇りきる頃には彼女はすっかり灰になり、あの美しい少女の姿はどこにもない。

 俺の隣には、まだほんの少し暖かい、彼女には全く似合わなかった安物の女の服に積もる大量の灰のみ。もうじき風が出て、彼女は本当にいなくなってしまうだろう。

 俺は、コーヒーを飲み干すと空き缶に灰を詰める。

「さあ、姐さん。次はどこに逃げましょうか」

 答えは当然ない。……やっぱり俺は、彼女が嫌いだ。

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