第三十六話 恋とゾンビとチョコレート

 少女は、今まで生きてきた十六年の中で、最大とも思える決心をした。……二月十四日、バレンタインに憧れの如月先輩にチョコレートと共に想いを伝えるのだ。

 そうと決まったら、少女の行動は速い。スーパーへ出向いて、大量にチョコレート……もしくは生クリームやバターなど、必要と思われる製菓材料を買い込む。そして、インターネットの中を大量に流れてくるレシピで研究し始めた。

 テンパリングの技術、温度、手の動き……溶かす時の注意点、カカオ濃度の違うチョコレートを混ぜるバランス。調べれば調べるほど、チョコレートは奥深かった。

 それでも、少女は愛しい先輩に想いを告げるため……少しでも、おいしいと食べてもらうために必死だった。


 そして、二月十三日。決戦前夜。

 少女は母親をキッチンから追い出し、家族全て……飼い猫すらも立ち入ることを禁じた。

 手を洗って、腕まくり。道具の準備は完璧である。

 まずはチョコレートを刻み、カカオ濃度が五十パーセントのものと二十パーセントのものを、七対三で調合する。

 そして、ボウルに移したチョコレートを湯煎で溶かす。……手軽なレシピだと、レンジで溶かすやり方が主流だろうが、熱の伝わり方がまばらになり焦げる確率も高いのだ。

 次に、少女は細い指にナイフの刃先を押し当てて、真っ赤な血を注ぎ込む。当て方が悪く、多少皮膚も入ってしまったようだが、分かる量ではないだろう。

 テンパリングを終え、とかしたチョコレートに、温めた生クリームを注いで口当たりなめらかなガナッシュに仕上げていく。

 真四角の型に注ぎ込み、冷蔵庫で固めている間にコーティングのチョコレートを溶かしていく。これは、中身よりも少し苦めの七十パーセントのものが望ましいだろう。少量をテンパリングして艶のあるチョコレートに仕上げていくのだ。

 ガナッシュが冷やし固められたら、次は切り分けてコーティング用のチョコレートに浸していく。

 少女の努力の甲斐もあり、ツヤツヤとした宝石のようなチョコレートが出来上がると、丁寧にラッピングをして、準備は完了。

 すでに深夜の三時を回っている。

 きたる決戦に向けて、少女は短い休息をとった。


 そして、次の日。

 少女はチョコレートを持って学校へ行った。

想いを寄せる如月先輩は、今日もとてもカッコよく、陰で見ているだけでも胸が押しつぶされてしまいそうだ。

 朝も、昼も、放課後も。

 じっと、影から見つめているだけで精一杯で……ついに少女はあれほど努力して作ったチョコレートを渡すことができなかった。

 絆創膏を貼った指が、チリチリと傷む。

 ふと……廊下で、愛しい如月先輩が、幼馴染らしいが……大して目立たない、美しくもない女と腕組みして仲が良さそうに歩いているのが見えた。

 ……ああ、きっと、勇気が出て渡せたとしても受け取ってはもらえなかったんだ。

 そう考えると、途端にバカらしくなってしまった。あれほど努力して作ったチョコレートもゴミ箱に投げ捨ててしまおうかと考えたが、あの時の……何も知らずに先輩に想いを寄せていた、キラキラと輝いていた自分の気持ちすら投げ捨ててしまうようで、できなかった。


 だから、少女はちょうど目についた男子にそれを押し付けた。

「フラれたからあげる。捨ててもいいから。」






 少年は、周囲には隠していたことがある。

 彼はゾンビの母親と、人間の父親から産まれた異質な存在なのだ。父親が、死んでしまった愛しい女性を強制的に蘇生させ、関係を持った挙げ句に生まれた子供。……その後、そのゾンビは蘇生を繰り返すほどの肉体を保つことができなくなり、現在父親は事情を知る人間の女と結婚し、彼女が母親代わりとなっている。

 からだは痛覚が鈍いらしく、重傷を負っても平然としていられるほどに丈夫だが、普通に暮らしていく分にはそんな怪我を負うこと自体ないため、問題はないだろう。

 しかし、味覚が普通の人間とは違うのだ。

 ひとの血液や、肉が美味しいと感じる……家畜の肉や血も、十分に美味しく感じられるのだが、やはり人のものに比べれば劣る。

 生命の維持に必要なものでもないため、人間の血肉の摂取は特別な日に、母親の血液だけを少量舐めさせてもらうだけで我慢していた。

 そんな少年だからか、彼は自分から周囲と距離を置くようになり今日……二月十四日も平日と変わらなかった。……はずだった。

 隣のクラスの女子から、チョコレートを渡されたのだ。

 確か彼女は、サッカー部部長である如月のファンだった……可愛らしい顔立ちだが、少し変わった格好をした女子だ。

 丁寧にラッピングされ、ピンクのリボンまでかけられた箱。……中のチョコレートは、まるで売り物のようだが細かい粗が見えて、手作りなのだろうと伺える。

 本人は、捨てても良いと言っていたが……。

 捨てるには、少しもったいなかった。普通の人間なら、身の危険を感じて捨てることも考えたのだろうが、少年は普通の人間ではない。多少おかしなものが入っていようと、何事もなく食べることができる自信もある。


 ひとくち、かじるとそれはとてもおいしかった。

 コーティングのチョコレートはほの苦く、中のガナッシュは口溶けがなめらかで甘い。それに、ほのかに良い香りがした。

 花のようで、まるで酒のようだが……違う、これは血だ。母親の血液の香りとは少し違う……あの少女の血?

 よくある話だ。バレンタインのチョコレートに、血を混ぜる恋のまじない……この類だろう。自分に対してのものではないのだ、自惚れてはいけない……いけないけれど。

 はじめて味わう、母親以外の女の味に動きの鈍い心臓が強く脈を打つ。この感情は、これは、本の中でしか知らないこれは。


「……どうしよう、好きになった……」

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