第三十五話 やさしい街

 僕の唯一の趣味は、旅行である。

 ……否、旅行であることは確かなのだが、観光ではなくその土地その土地のスーパーへ行くことを目的とした旅行だ。

 ミズタコ、マダコの違いに始まり、東北圏にしか売っていないカップ焼きそば、九州で売られている甘い醤油……その地方にしか出荷されないメーカーのものを探すことはとても楽しいし、食文化の違いも勉強になる。


 ある日、取引先との飲み会でひとりの男に出会った。

 彼はとても人が良く、気が利き、酒の席にもかかわらず物腰は丁寧だ。車に乗るからと言い酒は飲まず、遅くまで飲み明かし、ついには立たなくなった上司や同僚の介抱までしてくれる。

 帰りには、酒にはなかなか酔わない体質の僕と手分けをして、タクシーを呼び、同じ方面に住むものをそれぞれ車内に詰め込むと、住所をメモしてドライバーへ渡しお釣りはいりません、と少し余るほどの紙幣を手渡して見送る手伝いもしてくれた。

 さすがに疲れたのだろう、彼は少し赤らんだ顔で息を吐くと

「水島さん、こちらは終わりました。そろそろ帰りましょう。」

 と、声をかけてくれた。しかし時刻はすでに深夜。ちょうど終電が行ってしまったころだ。

「ああ……しまった、終電が。」

 ひとり、夜の繁華街のホテルで一晩過ごすことになるのかと、ため息ひとつついた僕を見かねたのか、人の良い彼はとても嬉しい提案をしてくれた。

「それなら、うちに来ますか?少し遠いですが、自家用車があるので大丈夫ですよ。近くに、二十四時間営業のスーパーもありますので、買い物に付き合ってくれればですが……」

 僕がその誘いに頷いたのは、容易に想像できるだろう。


 彼の車は、少し型の古い軽自動車だった。

 中は清潔で、男同士で隣に座るのもおかしいと思い後部座席に座ろうとした僕を引き留め、彼はアプリに沿ってナビゲートして欲しいと僕を助手席に座らせた。

 ボトル入りのガムや、昭和の歌謡曲のCDが並ぶ車内。彼はアプリを起動したスマートフォンを僕に持たせ、車を発進させる。

 都会の明かりが、少しずつ、まばらになっていく。……沈黙が、とてもつらい。

 そういえば、彼の上司が興味深いことを言っていた。それを話のネタにしてみてもいいだろう。

「高野さんはきらめき町に住んでいると言ってましたね。……最近できたばかりの街だと聞いていたけれど、住み心地はどうです?観光名所とか、ショッピングエリアとかは。」

 きらめき町……つい二年ほど前に、山を切り開いて作られた新しい街で、各種支援もありえないほどに充実し人気のある街にも関わらず、賃貸物件や土地がまだ少ないのだろう。住むのはとても難しいのだと聞いた。

 彼は前方から目を背けることなく、僕の問いかけに苦笑する。

「ああ……本当に、ベッドタウンのようなところなので、そういった名所は全然。でも、住民はみんないい人ですよ。水島さんも引っ越してみては?きっと気にいると思います。」


 一時間ほど、車を走らせただろうか……手に持たされたスマートフォンが、目的のきらめき町へ入ったのだと告げる。

 時間が時間であるし、仕方ないのだが街には明かりもまばらだ。看板の照明も消えているが、有名なファストファッションの店も、チェーン店のコーヒーショップやドラッグストアもあり……広い公園も多く住みやすそうだ。

 車内から流れる景色を眺めているうちに、あっという間にスーパーへ辿り着いてしまった。

 全く車が停まっていない、広い駐車場へ車を停める。

 スーパーはとても広く、二階が衣料品店舗なのだが……どうやら二十四時間営業なのは、食料品を販売する一階だけのようだ。

 野菜売り場には季節の野菜が並び、そのいずれにも、私が作りました、と顔写真付きのポップが飾られている。

 鮮魚コーナーには、その魚を釣り上げた漁船の名前、船長の顔写真……半額のものしかないお惣菜コーナーは、作ったであろうパートの女性の顔写真。

どうやら、ここはとても意識の高い人が住む場所のようだ。

 無農薬、生産者の顔……それを知らなくては、何も購入することができない人間の街……なるほど、それならばあんな理想郷のような街になるはずだ。

そして、精肉売り場。ここにも人の顔写真があった。

 人の良さそうな妙齢の女、太った中年の男性、少し怖そうな見た目の青年……商品に貼り付けられた顔は様々だ。にこやかに笑う顔写真の下には、おいしくたべてね、の文字。

 どの人も、酪農をしているようには見えないのだが……。

 訝しく思っていると、カゴを片手に持つ彼が呟く。

「あ、今日は山田さんの奥さんか……野口先生と不倫していると噂だったからなあ……あ、高橋さんの息子さんも。」

 ぎょっとした。……何らかの冗談なのだと思っていたのに。

 動揺し、言葉を返すことができないままの僕に彼はにこやかに笑い、女の顔写真が貼り付けられた、まるで豚のロース肉と変わらない姿に加工された肉のパックをカゴに収める。

「この町では、悪い人間はこうして肉として売られるんです。ほら、牛や豚、鶏を殺しては可哀想じゃないですか……でも、悪いことをしている人間は可哀想じゃない。ただ殺すだけではなくて、食べてしまえば環境にもいい。いいことづくめですよね。」

 ……では、商品ひとつひとつに貼り付けられている顔写真は。それはすべて、この人間の肉だということか?

 この街の人間は、くだらない正義感で人を殺して、食べているおかしな奴らなのか?

「高野さんは、怖くないんですか?人は、必ず過ちを犯すものだと思います。人間ならば……逃れられないことだ。それなのに、こうして殺されてしまうなんて……」

 誰かに聞かれては、僕たちもまた精肉として売られる運命を辿るかもしれない。……彼だけに聞こえるように耳打ちをするが、彼は全く気にしていない様子で首を振る。

「ここは、優しい人しか住めない町なんです。罪を犯した人は処分しなくては、次々に優しい人たちに広まっていってしまう。……ああ、やっぱりあなたは、この街に住むのに向いていますよ。」

 精肉売り場のあちこちに飾られたポスターには、引き伸ばされた三人の写真と、それぞれの罪状、どの部分が可食できて、店頭に並んだかが手書きで書かれていた。

 彼は、まるでそれが自然なことであるかのように、平然と、カゴの中に……まるで豚バラ肉のブロックのように加工された中年の男性の肉を収めていく。

 だんだんと、背筋が寒くなっていくのを感じる。

「僕、料理が趣味なんですよね。よかったら、明日の昼は何かごちそうしましょう。」

 落ち着いた様子の彼を急かしてスーパーを出ると、その後は何もなく……彼の住むマンションへと案内してもらうことができた。

 部屋も、車同様清潔である。その日は、シャワーを貸してもらい彼の家のソファで夜を明かした。


 次の日の朝は、とてもいい匂いで目が覚めた。肉の焼ける匂いだ。塩と胡椒で味を整えた肉と油の匂い。

 ……ハンバーグだろうか?

「おはようございます。……いい匂いですね。」

「そうでしょう。野口先生は、とても脂が多かったので……脂肪の少ない山田さんの奥さんと合わせてみたんです。ちょうどよく仕上がっていると思いますよ。」

 ああ……そうだった、この街の人間は人を喰うのだった。

 すべては、酒が見せた夢だと思いたかったのに……酔いが覚めても、現実は何一つだって変わっていない。

 しかし……出来上がった料理は、とても美味しそうだ。牛や豚……鶏など、家畜のものと見た目に大差はないが、香りは少し違う……獣のような独特のえぐみはあるが、ジビエのようなものだと思えば嫌ではなかった。

 清潔なテーブルの上に配膳された料理へ、箸をつける。

 あれほど、心の中で強い抵抗があったとはいえ……人間であるという面影もなくひき肉に加工され、こう美味しそうに料理されてしまっては、人間を食べているのだという罪悪感も消え失せ、ハンバーグを口へ運ぶ。

 ……とてもおいしい。

 獣のような臭みはあるが、柔らかく、脂も上品である。

 彼の料理の腕が素晴らしいのもあるのかもしれないが、きっとそれだけではないだろう。

「おいしいですよ、高野さん。こんなに美味しいハンバーグははじめてです。」

「そうでしょう。やっぱり水島さんは、この街にぴったりですよ。……ぜひ、引っ越すことも考えてみてください。あとで、一緒に資料を取りにいきましょうか。僕に案内させてください。」

 人の良い彼は、にっこりと笑った。

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