第三十二話 神の理

 極東の地、日本。

 黄金が眠るとされている彼の地は、はるか昔に我らの教えが根付いたと聞いているのだが、最近は他国を排斥し、宣教師もその地に足を踏み入れたら最後、その命を取られるか教えを捨てるかの二択を迫られる。

 現地の信者は隠れながら信仰を続けているうちに、その土地その土地の土着信仰と交わり、我らの教えとは違う形で後世に伝わり……根付いてしまったらしい。

 そんな地で、誤った教えを正そうと教会からの指示で密航した、我が師であるオーギュスト神父が、三年前から消息を立ったという知らせが入った。教会は、生死の確認の後……もし生きて、信仰を捨てたと言うのなら、再びそれを思い出させるようにと、数ある弟子のひとりである私へ依頼をした。

 両親や友人は身を案じて止めたものの、他でもない……師のためである。迷うことなどない。私は教会が手配した貨物船に乗り込み、長崎への密航を決めた。


 荒波に飲まれ、人間として到底扱われない、奴隷と同じ環境で暮らして半年……排泄物と吐瀉物にまみれ、衛生的にも悪く、幾度も体調を崩しては、生死の境を彷徨うほどの地獄の日々を過ごしたが、そこから先も苦難の道であった。

 活動がしやすくなるだろうと教会は数多の弟子の中から、唯一、ブルネットの髪を持つ私を選んだようであったが、日本の人々と私たちでは顔立ちがまるで違う。どれほど現地の衣服を纏い顔を隠しても体つきまで違うのだ。

 幾度となく捕らえられそうになりながらも、教会から支給された金銀宝石の数々を代償にして、命からがら師の最後の手紙に記されていた……長崎の山深くに隠れるように位置する、小さな村へ辿り着くことができた。

 茂みを分けてたどり着いて早々、見張りのものだろうか……質素な織りの着物と袴、腰には立派な刀を付けた男に、首を掴まれ頭を地面に押しつけられる。

 私よりも小柄ではあったが、過酷な長旅の末にたどり着いた、満身創痍の私には抵抗する気力もなかった。私を見るなり、立場があるように見える男は冷たく声を響かせる。

「お前は……南蛮から来た男であるな。ここに貴様の居場所はない。幕府に引き渡されたくなければ大人しく立ち去れ。」

「オーギュスト神父を探している。……なにか、知っていることがあれば教えてほしい。」

 幕府に引き渡されれば、私の命はない。……信仰を捨てれば良いのかもしれないが、神にその身を捧げると決めた私にとって、それも等しく死を意味するのである。

 せめて師の消息だけでもと尋ねると、男は、ため息ひとつ、着いてくるといい、と言い放ち、拘束から解放してくれた。


 人々の注目を浴びながら村の中を移動し、男に案内された先は、はずれにある……粗末なあばら屋であった。

 中には入れない、と男はいい、小さな窓から中を覗くように促される。

 中には女と、世話係と思われる老婆がひとり。女は二十歳ほどだろうか……その場に似つかわしくない、とても豪華な染めの着物を着て、双子か……三つ子が入っていると思われるほど、その腹は大きく膨らみ、帯を胸の位置で締めている。対する老婆はボロを継ぎ接ぎしたかのような粗末な着物を身につけ、ふたりの身分の違いは明らかだ。

 ……しかし、そのどこにも、我が師の姿はない。

「彼女が聖母である……名はマリアと言う。生まれた時から口がきけぬ女だが、十四の春から何も食わずとも生き、不思議な力でこの村を守ってくださっているのだ。」

 男の得意げな言葉をよそに、慎重に辺りを見回しても薄暗く、師の姿は見当たらない。

 私の質問の答えにはなっていないではないか……この男は、私を邪教への道に引き摺り込もうとしているのだろうか?しかし、それ以上に我らの教えを愚弄するような、そんな言葉には我慢ができなかった。

 神の母となるような女が、こんな……極東の、山奥などにいるはずがない。

「そんな……ありえない。聖母と呼ばれるのは、我らの主を産み落とした女性……ただひとりだけだ。ただ名前が同じだけではないのか?……こんなところにいるわけがない。」

「神を産み落としたのなら聖母と呼ばれるのであろう?……ならば、彼女もまさしく聖母だ。しかも、彼女はお前の主ひとりだけ産んだ女とは違い、もう何人も神を産み落としている。」

 神を、幾人も産み落とす……とは?

 馬鹿にするなら好きにしろ、と男は少し得意げに笑い、乱暴に私の伸び切った髪を掴み、悪戯に頭を強く揺さぶった。

「そろそろ、聖母様が神をお産みになる。……実際に見れば、お前もわかるだろう。」


 その村で、聖母と崇拝される女に出会ってから、ひと月が経った。

 その間、私は男の屋敷の座敷牢で半ば監禁されるような生活を送っていた。辛うじて、食事や暖かな寝具、体を清潔に保つことは許されるもののそれ以外の自由が全く効かない日々。……以前の私ならば根を上げていた事だろうが、過酷な長旅を終えた私には、これ以上の居心地が良い空間はなかった。

 男が見張りだといい、度々私の様子を見にきては、会話を楽しむことができたのも、大きな理由だろう。

 男はかつて……まだ日本が開かれた国であった頃は、私たちの国の言葉を学び、簡単な日常会話をすることができるのだと語った。久しぶりに聞く母国の言葉に知らず知らずのうちに望郷の念が押し寄せる。

 オーギュスト神父も、同じように彼と会い、私たちのことを思い出してくれたのだろうか?……あのあばら屋へ入ることができれば、師が本当にそこにいるのか、確かめることができる。……私はその日が、とても待ち遠しかった。


 そして……その日はまるで、堕ちてきそうな満月の日であった。

 夜。私は再び、男と共にあのあばら屋へ訪れた。

 もう男は、私の事を拘束することもなく……友のように肩を並べている。ようやく足を踏み入れることが許されたそこは、以前のような暗い空間ではなく……数多の蝋燭が所狭しと置かれ、まるで昼間のように明るい。

 見上げると、梁の部分が見えた。そこには、何体もの……十五体ほどはいるだろうか?布に包まれた骸骨が、じぃっ、とこちらを見つめていた。……気味の悪い場所である。

 視線を移すと、寝台に横たわる裸の女。大きな……とても大きな、傷跡のある膨らんだ腹をむき出しにして、ちょうど産み落とす頃なのだろう。息は荒く、とても苦しげである。老婆もボロの着物が汚れるのも気にせず、女の介抱をし続ける。

 ふと、私の隣にいた男も含め、そこにいたすべての者たちが歌いはじめた。……それは、我らの讃美歌に、この土地に伝わる歌が混ざった、とても奇妙な調べであった。

 その歌に乗せ、老婆は女の腹を縦、真一文字に切り裂く。

 血が噴き出す女の腹へ、容赦なく皺だらけの腕を突き入れ、掻き回し、何かを引き摺り出す。……それは、骸骨であった。老婆が一本一本、女の体から骨を取り出し、それを丁寧に布でくるんで抱き上げる。

「神が、お生まれになりました。」

 その村の神官と思われる老人がそう、呟くと、村人は歓声をあげる。喜び……泣くものもある。

 ……骸骨を産んだのだ。しかも子供の大きさではない。

 では、あの腹に入っていたのは大人の人間なのか?こどもを、大人になるまで腹の中に入れ、殺し、腹の中で腐らせ骨だけ産む?……そんなことができるはずがない。

 これが聖母なのだというのか?……否、これは悪魔の所業だ。

「あのお方は、年に一度……選んだ者を腹の中に収め、神として産み落とすのだ。ほら……ちょうどお前の真上におられるあのお方……あの神が、お前の探しているオーギュスト神父だ。」

 厳かな空気の中、男が耳打ちする。

 その方を向くと、他の骸骨が包まれた布よりも少しだけ大きいものがいた。その骨はまだ新しく、ほんのりとこびりついたままの血が赤黒く残っている。

 ……なんということだ。師は、我らの教えを捻じ曲げた邪教に屈してしまったというのか?

「さあ、これから聖母様が次の神を身籠られる……次は誰が選ばれるのだろうな。ああ……俺であれば良いのに。」

 隣の男は期待に高揚し、その逞しい体にじんわりと汗を滲ませ息を呑んでいる。……ここの人間にとって、あの女の腹で骨にされて産み落とされる事が、至上の名誉なのだろう。

 皆が、息を呑む。

 ふと……女の指が、真っ直ぐに私を指した。

再び、人々が歓声をあげた。男は私を力いっぱい抱き寄せ、祝福の言葉を述べている。

 神に、なれるというのか?この私が……神に忠誠を誓い、神を愛して生きていくと決めた私が、神に……。

 神に、なる……?


 神官の男たちに女の元へと連れて行かれ、着込んでいた服を脱がされていく。何一つ身に纏わない、赤子のような姿になると、寝台の上に横になる裸の女を見下ろす。

 大きく膨らんだままの腹を、真一文字に切り裂かれた女は、麻酔などしていないにも関わらず、その表情は恍惚に揺れ、呼吸は甘く、視線はとろけそうに潤んでいる。

 女を知らぬ私でも、その有様はまるで娼婦のような、情欲に満ちた姿なのだろうと想像できる。

 ……ああ、初めて目にする女の体が、腹を裂かれたものだとは。

 けれども、とても……とても、美しい。どんな優れた絵画に描かれた聖母像でも敵わない……その姿はひどく私を興奮させた。

 私は、女が差し出す手を取り、ゆっくりと……割り開かれた、ドロドロとした赤い粘液に満たされた、大きく膨らんだままの子宮の中へ、その身を収め、膝を抱えて目を閉じた。

「では、閉じます。」

 神官が声を上げると、村人がまた……我らの讃美歌に似た、奇妙な調べを歌い始めた。はじめは不快に思えたのだが、今は……とても心地よい。

 ゆっくり、老婆により傷が縫い閉じられると、視界が徐々に狭くなっていく。目を閉じるととても温かく、血液の流れる音とすぐそばで聞こえる心音が、私を本当に、赤子に戻していく。

 肌がチリチリと痛んだ。

 酸のような香りがする……ああ、この女は人間ではない。……まるで蛇かなにかのように、腹に取り込んだ人間を養分として生きながらえているのか。

 察したところで、もう、逃げられもしないが。

 ……けれど、もう、どうでも良い。私はひどく疲れたのだ。

 この女の腹の中で、私は神となろう。

 歪な讃美歌と血の匂い……それが、私の旅の終焉である。

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