第三十一話 キツネの洋食店



 この物語を、九歳の君に捧ぐ。



 これは横浜の、山手にある小さな洋食店の物語である。

 そこは若い夫婦が営む店で、もう年も暮れようとしている十二月でも、閑古鳥が鳴いているような店であった。

 それというのも、シェフである店主の男はフランスで修行をした腕利きの料理人だったが、土地柄だろうか……若輩者では良い場所に店を構えることができず、木々に囲まれるような土地に小さな店を持つだけで精一杯。僅かな常連客が通ってくれるおかげでなんとか切り盛りできてはいるものの、なかなか新しいお客さんは来ない。

 腕は良いのに、食べてもらわなければ意味がない、と……経営を任されているおかみさんは、いつも頭を悩ませていた。


 そして、雪の降るクリスマス。

 店に、不思議な客が訪れた。

「すみません。僕たちは、クリスマスパーティをしたいのですが……どこのお店も予約が必要なのを知らなくて。なにか、食べさせてはもらえませんか?」

 肩や頭に雪を積もらせた艶やかな赤毛の男は、店に入るなりそう、おかみさんに声をかけた。

 おかみさんは、大丈夫ですよ、と返すと、一番大きなテーブルにお客さまをお通しする。

 客はみな、身なりが良い。赤毛の外国人とザラザラと肌の荒れた車椅子の男、華やかなドレスの女。赤毛の男と女は夫婦で、車椅子の男は異国の軍人だろうか?とても逞しい体をしている。

 狭い店の中、席に向かう最中もみな、いい匂いだ、こんな素敵なお店に入るのははじめて、など口々に褒めた。

 久しぶりの客人に気を良くした店主が厨房で料理の支度を始めると、おかみさんはテーブルへ手書きのメニューを広げた。そこにはビーフシチューや魚のグリル、サンドイッチなど自慢の料理の数々が写真と共に並んでいる。

「まあ、いろいろあるわ。何にしようかしら……」

 ドレスの女が声を弾ませると、車椅子の男は顎を撫でながら、おかみさんへ向き直り

「ふむ、オススメはなにかな?」

 と、尋ねる。おかみさんは待っていました、とばかりにオムライスがおすすめです!と勧めると、三人は顔を見合わせ頷き、それではそれを、と声を重ねた。


 注文を聞くと、店主は腕捲りをして料理を始める。

 鉄のフライパンにたっぷりのバターを溶かし、細かく切ったハム、たまねぎ、ピーマンを入れて炒める。

 そして、艶やかに炊き上がったお米を投入し、ケチャップとウスターソース、ほんの少しの砂糖と塩胡椒で味を整える。

 次に、たまごの準備だ。

 別のフライパンに再びたっぷりとバターを溶かし、たまごを三つ解いて注ぐ。じわじわと熱が通り始めたら、出来上がったチキンライスを包む。

 器用に返しながら、ゆっくり、慎重にチキンライスにたまごのドレスを着せていくのだ。

 仕上げに、ケチャップをたっぷりかけたら出来上がり。

 小さなサラダにスープも付けて、おかみさんはテキパキとテーブルへセッティングをしていく。黄金色のたまごと真っ赤なケチャップの彩りに三人は瞳を輝かせて、まるで子どものように歓声を上げる。

 これほどまでに喜んでもらえるとは。店主とおかみさんは顔を見合わせ、とっておきのワインと、ホットケーキにたっぷりのホイップクリームを添えてサービスとして出すことにした。

「せっかくのクリスマスパーティーなのに、ケーキも酒のひとつもないのはいけない。今日は特別だ。私はパティシエではないから、満足して頂けるかは解らないが……ないよりはマシだろう。」

 お客様は大喜び。ふわふわのホットケーキに甘いホイップクリーム、美味しいオムライスにワイン。最高のクリスマスだと呑んで、騒いで、羽目を外してしまったのだろう。

 ぽんっ、と音がして、もくもくと煙があがり店の中をいっぱいにしてしまった。

 煙が晴れた頃……そこには人間の姿はなく、小さなキツネとウサギ、車椅子に乗ったサメがいた。彼らは器用に人間の道具で食事をとり、おいしいおいしいと料理に舌鼓を打ちながら、自分達の姿が変わっていることに、まるで気づいていないようだった。

 おかみさんはとても驚き、大きな声をあげそうになったけれども、店主ははっと、おかみさんの口を塞いだ。

「いけない、どんな姿であろうと私たちの店を選んで来てくれたのだから大切なお客様だ。最後までもてなそう。」



 そして会計の時。

 ガラス窓に映り込んだ自分達の姿を見て変身が解けていることに気づいた三人は慌てふためき、申し訳なさそうに耳を、尾びれを垂れさせた。

「申し訳ない……楽しいパーティに、すっかり浮かれてしまいました……お二人とも驚かなかったのですね。」

「ええ、大切なお客様ですから。」

 店主が答えると、三匹は更に申し訳なさそうにする。

 その手には、どんぐりが握られている。どうやらそれをお金に換えて、支払いをするつもりだったのだろう。

 この様子だと、人間のお金を期待しない方が良いかもしれない。

 すると……ウサギは、小さな木の葉のバッグから真っ白なウサギの前脚を取り出した。

「それでは私はこれを。これは私の主人が、ミートパイにされた時に残してくださった前足ですわ。人間は私たちウサギの脚を幸運のシンボルとするのでしょう?どうぞ受け取って。」

 それでは、とサメは車椅子のポケットから、大粒の真珠と、とてもザラザラとした……紙やすりのような革を取り出した。

「では俺はこれを。人間は俺たちサメの肌で食べ物を加工するのだと聞いた。しかも、とても高級品になるんだろう?これで、もてなしてくれた分の金は払えるはずだ。それと、海で拾った真珠でおかみさんのアクセサリーを作るといい。」

 ウサギとサメの二匹がお金の代わりの宝物を差し出す横で、キツネは更に居心地悪そうに、もじもじと毛並みの良いしっぽを触っている。

「ええと、ええと……僕は……その、僕の毛皮を剥いで、奥様の襟巻きにしてください!僕は、化けることができるだけで……みんなのような宝物を何も持っていないのです……」

 消えてしまいそうな声で呟くキツネ。その目は、死んで襟巻きになってしまうという恐怖からきつく閉じられ、涙が滲んでいる。

 店主は、ぶ厚い手のひらでキツネの頭を撫でる。おかみさんも、隣でニコニコと微笑んでいた。

「では、キツネさん。私の店で働きますか?人間の姿で、皿洗いや妻の手伝いをしてくれればいい。」

 他の二匹も、それはいい!と大賛成。キツネも嬉しくなって、ふわふわの毛並みを更に膨らませ、キラキラとしたまん丸の目でにっこりと笑った。


 それからというもの、店はとても繁盛した。

 とても美しい異国の少年が弟子入りをしたというのだ。

 彼はとても明るく、よく働き、厨房の手伝いもなんでも器用にこなした。手の空いた時には、ビラを手に山下公園の辺りへ向かい客を呼びこむこともあったらしい。

 二人も彼をいつしか、本当の息子のように世話を焼き、数年後……可憐な美女と幼子を連れてきた時には盛大に祝い、生活や子育てのサポートも惜しまなかった。

 そして今も、あの店は人間と……人間に化けたキツネの一族で、切り盛りされているらしい。

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