第三十話 ヴィオレッタ嬢の悲劇

 僕の最愛の女性であり婚約者である、ヴィオレッタ・ボードワール嬢は、巷では悪女と呼ばれている。

 艶やかなすみれの色を帯びた銀髪は手入れが行き届き、文字通り陶器のような肌……鮮やかな薔薇のような瞳は強い意志を感じさせ、姿形の美しさはもちろんのこと、気高く品のある物腰……置かれている立場を理解し、自他共に厳しくあろうとする姿は、婚約者という立場にあっても尊敬に値する。

 王族として、僕と共に国と民を守るものとして、これほどパートナーとして最適な女性はいないだろう。

 出会った頃は、僕に対してもまだ男として……国を率いるものとして未熟だったこともあり、彼女の気を引くことができず冷たい物言いが目立ったが、結婚を間近に控えた今では……柔らかく笑顔を見せてくれるほどにまで親しくなれた。

 僕は、僕たちは、とても幸せなはずだった。


 ところが、だ。最近の彼女はすっかり変わってしまった。

 きっかけは、魔法の実習中の事故で雷に打たれてしまい、生死の境をさまよったことにあるのだと思う。

 辛うじて美しい姿形も、なにも欠けることはなかったのだが……それ以上に大切な……以前の、貴族のご令嬢のお手本として、完璧すぎるほどの立ち居振る舞いはしなくなり、平民と共に畑に出向いては視察と言い農作業の手伝いをし、茶会には許可なく仲良くなった庶民を呼び、下働きのメイドや身分が下の奴隷たちにも容易く話しかけ、高価な菓子や着なくなったドレスを与え、にこにこと愛想を振りまいている。

 これは、ありえないことである。……彼女のいるべき場所は僕の隣であり、他国の令嬢や王妃たちとのお茶会で国交のパイプを築くのが彼女の役割だったはずだ。

 国の仕事を疎かにしては遊び歩く彼女に、僕は幾度となく、注意をした。

「ヴィオレッタ。最近は公務をサボって随分遊び歩いているようだが……自分の立場を忘れてしまったのかな?君の仕事は、そんな場所ではなく王族の社交界だったはずなのだけど。」

 その度に、彼女はまるで……犯罪者を見るような目を向け、声を荒げながら貴族以前に人間として扱ってほしい、自分のいた世界と比べて女性の立場の向上がなっていない、もののように扱っていると……訳の分からない理屈で僕を責めた。

 ……次第に、彼女への熱が冷めていくのを感じる。

 甘い恋人ごっこなど、よその男とすればいい。僕も、どうせ王という立場になったら他の女と子供を作らなければならなくなるのだから、お互い様だ。……僕は、彼女をそんなものより大切な……誰よりも信頼を寄せる、腹心として、唯一無二のパートナーとして愛していたのに。そのためにどんな努力だってした。……それは全て無駄になってしまったというのか?

 彼女以外に、僕の隣を任せられる女性などいるというのか?


 そんなある日のことだ。あの子に出会ったのは。

 あの子は名をエリナと言い、庶民の出で彼女ほど美しくはないものの、コロコロとよく笑い、可憐で純朴な愛らしさを持ち……なにより、人のこころに取り入るのが上手だった。

 エリナは出会った日から、僕につきまとってはまるで心の中を読むかのようにほしい言葉をかけてくれる。

 あなたは寂しい人、私が力になる……正直、うっとおしい。その立場では何もできないくせに。どうせこの女は、僕の立場や財産が欲しくて近づいていたんだろう。わかっている。

 ……ならば、僕もあの子を利用してやろうではないか。

「エリナ、ちょっといいかな?実は……明後日、隣国の王妃と姫君を招いたパーティを開催する予定があるんだけれど、ヴィオレッタは都合が良くないようでね。これも公務だから、ひとりでは参加ができないんだ。……よかったら、彼女の代わりに参加してはもらえないだろうか?」

 彼女はにっこりと、花のような笑みを見せて頷いた。

 そして、その結果は想像以上だった。

 彼女は、最初は下手に出ては歳も上……権力も上の女たちを褒め、情報を集め……会話の中で一番に立てるべき相手を見極めて取り入る。知識も教養もない女のはずなのに、そうしている間に、あっという間に彼女は輪の中心となっていた。

 身につけた知性と教養で他を圧倒し、渡り合うヴィオレッタのやり方とは違う。

 その上で、あろうことか彼女は僕に、これでも私はあなたの隣に立てませんか?と乞うのだ。僕が拒否できない結果を見せつけておいて。

 ……希望が、確信に変わる。

 ヴィオレッタがやりたいようにやるのなら、好きにさせてやれば良い。……その代わり、僕も同じように返すだけだ。


 そして、月日は過ぎ……今日はヴィオレッタの十八歳の誕生日。

 この日に、僕から正式に彼女へ結婚を申し込み、そのまま婚姻の手続きに入る予定だった。……そう。だった、のだ。

 僕はヴィオレッタへは告げることなく、今日のための準備を済ませてきた。……あとは、言うだけである。

「今日は、皆様に大切なお知らせをしなくてはなりません。私のわがままだということは、重々承知しておりますが……私……アルフレッドとヴィオレッタ嬢の婚約を白紙にしたいと思っております。」

 壇上に上がった僕は、来賓へと高らかに告げる。

 ヴィオレッタは、またいつものように金切り声で僕を責め立てるが、隣に並ぶ父も母も、彼女の親族……両親すらも、まるで聞き入れる様子はない。

すべて、計画通りだ。

 ざわめく来賓を前に、僕は静かに言葉を続ける。

「彼女は、私の妻となるべき女性ではありません。……彼女は、変わってしまった。王家の令嬢として、あってはならない行いをした。彼女は……王妃にはふさわしくない。」

 ……さあ、不満があるのなら言うといい。最後になるんだ。言うだけ言わせておこう。

 僕は来賓席へ降りると、その隅で居心地悪そうなふり、をしているエリナの前へ跪き、柔らかな手の甲へ口づけを落とし……そして、細い肩を抱き寄せる。

「代わりに、このエリナ嬢を私の妃といたします。」

 人々のざわめきは、さらに大きくなっていく。

 それもそうだ、王家の……将来は国王となることが約束された人間が平民の女を娶るなど、あってはならないのだから。……しかし、彼女は今日のための準備の間も、国王や他の王族達に取り入り、誰もが彼女を愛す……その様子を見てきた。

 文句を言う者はいるだろうが……必ず、この女は結果を見せてくれるはずだ。

 平手打ちをしようとするヴィオレッタの細い手首を掴むと、衛兵へ合図をし、あっという間に彼女は場外へ連れて行かれてしまった。……僕の隣で不安げなふり、をしていたエリナが一瞬……ニヤリと笑った。そうだ、お前はそのままでいてくれ。僕の、国のために。

「この国を出るのなら好きにすれば良い。私が公務で忙しくしている間も、他の男とつるんでいた不貞行為も不問にしよう。……いいか、お前はもう私とは立場が違うのだ。お前の、自らの行動が、招いた結果だ。」


 その後、あの女はすぐ、特にお気に入りにしていた隣国の王子に娶られていった。

 その男は、ひどく情熱的で……国を任されているにもかかわらず、愛などという不確かなものに生きる、傲慢な男であった。

 しかし、その後……ほんのわずかな間に、ふたりは他国との戦争により国を滅ぼしたらしい。

 愛だ恋にうつつを抜かし、国政をおろそかにし……そして、あの女独自の……訳の分からない理屈で、国交に悪影響を及ぼした結果のようだ。

 まあ、民衆の支持は熱かったようだが、そんなもの……国同士の関係を良好に保つことには、全く意味を持たない。当然、政治に明るい者はあの二人を強く非難したそうだが……あの、バカな男は盲目的に女を愛し、あの屁理屈に同調しないものはみな処分したそうだ。

 その結果の戦争……そして、本当の断罪。

 笑い話にもならないが……あの女が、どうして変わってしまったのか……それはもう、聞くことはできない。

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