第二十九話 少女兵器
ひんやりと、冷たい……文字通り身を凍らせるような寒さの中、少女は男たちと向き合っていた。
赤く悴んだ手で、ほんの一握りの雪を掴むと口に含む。……すると、白く曇りはじめた息が再び空中に紛れて消えていく。
細く筋肉質な体に鹿の毛皮を羽織り、灰色にほんの少しだけ森の緑を滲ませた繊細な瞳の色は、真っ直ぐに、瞬きをすることも忘れて、スコープの向こうにいる影を見つめていた。
肩に担いだ銃は重く、今にも空腹で途絶えてしまいそうな意識をなんとか繋ぎ止めながら……少女はじっと、その時を待つ。
故郷を焼き、まだ幼さの残る顔に土汚れのついた麻袋を被せ、その身を汚した男たちに復讐する。それだけが彼女の願いだった。
過酷な訓練に耐え続けたものの、痩せぎすな女の身では役に立たず、今もこうして銃を抱え、敵を狙い撃つ狙撃兵として戦場に立っているだけで精一杯。
……正直なところ、今回で戦果を残さなければ、軍隊に彼女の居場所は無くなってしまうだろう。
一瞬、遠くの影がゆらいだ。
……いまだ。
熊の毛皮を被った、文字通りケダモノのような男に鉛玉を食らわせてやるのだ。
しかし……彼女は引き金を引くことはできなかった。
男は、スコープ越しに見る男は、これほどまでに優しい目をした人間だったのか。
微かに声が聞こえる。ああ……なんて穏やかで、凛とした声だろう。言葉はわからないけれども、それは柔らかな響きとなって少女の耳をくすぐった。
その時……金色の光が雨のように降り、少女の体にいくつもの穴を開けた。
いつまでも引き金を引かない狙撃手に痺れを切らせての判断なのだろう。……結局のところ、少女の代わりはいくらだっているのだ。
しかし、どれほど銃弾にその身を貫かれても、少女は苦しげな表情ひとつ見せる事なく、腕の中から落ちてしまった銃を、不思議そうに……丸い瞳で、ただ呆然と眺めるだけであった。
先程まで少女がスコープ越しに見つめていた男たちも銃弾の雨の合間を縫って、味方の銃撃により死んだであろう敵兵を確認する。
……が、それがまだ幼い少女なのだとわかると、飛び散った鉛の破片で、刈り上げた髪を血で濡らしながら、太く骨張った腕で少女の華奢な体を抱き上げると、弾除けの向こうへと連れて行く。
「かわいそうに……敵国は、こんな少女すらも、戦争に駆り出すというのか。」
男は、穏やかな低い声で呟くと、すっかり冷たくなった少女の体を、鹿の毛皮ごと筋肉質な固い体で抱き寄せる。
それは極寒の地で戦う兵士にとって特別な意味を持たない、初歩的な……ただ体を温める救護法であるのだが、次第に少女の体は極寒の雪の中にもかかわらず、まるで熱帯の森にいるかのように熱く火照り、たらたらと汗を流し始めた。
じっ、と目を見開き、薄く開いた唇は何かを言いたそうにぱくぱくと動く。指の先からは、ぽた、ぽたと雫が落ち、それは氷になることはなく真っ白な雪を溶かして小さな穴を開ける。
そして、不思議なことに少女が汗を流すたびに、痩せた体も着込んだ服の下でその質量を減らしていった。
だんだんと、細くなっていく肉体。男たちも戸惑いながら、自分達の娘や妹と呼べるほどの年齢の敵国の少女を蘇生させようと健闘していたが、それも全て無駄に終わる。
……最後には包む肉体がなくなり、役割を終えた分厚い衣服を残し、少女の頭はごとり、と雪の中に落ちた。
その頃……息絶える少女と、通常の人間ではあり得ない死に様に慌てる、敵国の男たちを観察している集団がいた。
彼らは少女よりも、高価な装備を身につけた兵士に囲まれ、身なりも良く、雪の中にいるにも関わらず、革のブーツと高価そうな毛皮のコートを身に纏っている。
「あの女……」
ひとりの、集団の中で特に高価なものを身につけている男が口を開くと、眼鏡の男が小型の端末を手に説明を始める。おそらくそれに、彼の知りたいことが全て記されているのだろう。
「ああ、あれがスネグーラチカです。民話の、ジェド・マローズの手伝いをしている。子どもたちにプレゼントを配る、あれですよ。……もちろん、弁達上そう呼んでいるだけで、実際の精霊などではありません。作り方も簡単で、死んだ女の首を手に入れて、雪で体を作り……そして一度電気を通してやる。あとは戦争に使えるように記憶を改竄してやればいい。あの個体の記憶も、我々が創り出したものですよ。」
端末に映し出される画像を見せながら、眼鏡の男が紳士に説明をするが、それを頷き聞いている紳士の方は、未だ難しい表情で眉を寄せたままだ。
「しかし、あれは敵国の男に絆されているようだった。……戦争に投入するのは難しいんじゃないか?」
紳士の問いかけに、眼鏡の男は居心地悪そうに視線を泳がせ言い訳を探すが、彼へのごまかしは出来ないと考えたのか、苦い顔をしたまま頷く。
「はい……従順だからという理由でスネグーラチカを採用したのですが……こう、どの個体も男に弱い。いくら感情を消したとしても、いつもこうして自分の恋の熱で身を溶かしてしまう。……まだ実験段階ではありますが、次はルサールカを実戦に投入しましょう。あれは人間を嫌うから扱いが難しいが……人殺しには、それくらいの方が良いでしょう。」
端末からいくつかの画像を見せると、それはようやく彼を納得させられるものだったのだろう。紳士は満足げに髭を撫で付け、眼鏡の男の痩せた肩を叩き、笑った。
「よろしく頼むよ、この国の運命と……私の財布がかかっているんだからね。」
彼らにとって、敵兵の男達も……銃を抱えた少女も、みな自分の利益の種にしか見えていないらしい。
その視線の先では敵兵の男達が、不可思議な死を迎えた少女を、遥か異国の祈りの言葉で弔っていた。
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