第二十七話 S市連続殺人事件についての備忘録

 飯島大我、六十歳。

 彼は刑事であった。非常に有能で、体格にも恵まれていたため、叩き上げで出世街道を駆け上がり、そして定年が間近に迫る今も、新人刑事たちには負けず劣らず、数多の事件をその身ひとつで解決に導く男であった。

 彼の相棒は、紙巻きタバコと紙パックに入った日本酒。後輩には酒はともかく、タバコはやめた方がいいと忠告を受けるものの、こればかりは辞めることができない。

 今日ももう、何本目か分からないタバコをふかしながら、男は最後の大仕事に挑んでいた。


 それは、都内の某所。

高級住宅街とも言える閑静な場所に建つ一軒家。

最近建てたばかりだという、現代的な作りの屋敷に近頃世間を騒がせている、悪人のみを殺す殺人鬼が住んでいるというのだ。

 それは、善人そのものと言って良い……とても幸せそうな夫婦であった。殺人など犯すような人間ではないはずなのだが、必ず現場にはこの家に住む夫婦の姿がある。

 更に、あまりにも証拠や遺体の扱いが杜撰すぎる事もあり、他に真犯人がいるのではないか?と幾度も捜査が振り出しに戻ってしまったが、飯島が執念で数多の証拠や他に上がった候補者のアリバイを集め、どうにか逮捕状を出せるようになるまで捜査を進めることができた。


 そして、逮捕の当日……金木犀の香る十月の日曜日。

飯島は部下の武田と共に張り込みをしていた。

 一家の隣に建つアパートの一室を借りて、武田は二週間前からここに住み、見張りを続けている。不審に思われないよう、近隣住民には売れない小説家だと身分を偽り、飯島は編集者のフリをして週に何度か、こうして武田の元を訪れている。

「どうだ?ホシの様子は」

「ええ、シマさん。……相変わらずですよ。午前中は家族で子供を連れて近くの公園まで散歩。昼は家で昼食。今は……子供が昼寝をしている時間でしょう。近隣住民への聞き込み通りです……まったく、怪しい様子なんてない。」

 ふぅん、と興味なさそうな返事を返し、飯島は紙パックの酒にストローを差し込む。それを見ると武田は怪訝そうに眉を寄せ

「シマさん!仕事中に呑んじゃだめですってば!!」

と小言を挟む。それに対し、飯島は聞かないふりをするとチビチビと安い酒を飲んでは紙タバコに火をつけふかす。

「……今日で事件に関わるのは最後なんだ。最後くらい好きにさせてくれよ。」

 それを言われてしまっては、武田は何も言えない。

暫し見張りを飯島に任せ、武田は遅い昼食としてカップ麺に湯を注ぐ。

 武田にとって、飯島は信頼ができるものの男として……人として不器用で、三十ほど歳が離れているにも関わらず、放っておけない存在だった。彼は今まで、仕事一筋に生きている。女と遊ぶこともせず、女房には先立たれ、男手ひとつで育て上げた子どもも巣立っていて、定年を迎えてしまったら一体どうやって暮らしていくのだろう。

「……シマさん。これが終わったら、どうするつもりなんです?どっか南の島でゆっくり暮らすとか。」

「ああ……南の島か。それもいいなあ。実を言うとな、全く考えてなかったんだ。この仕事が終わったら、もう俺の人生も終わってしまう……そんな気がしてな。」

 電話が鳴った。

どうやら、逮捕に必要な書類の準備が終わったらしい。

 武田はラーメンを慌てて胃の中に放り込み、飯島は吸いかけのタバコを灰皿に押し付ける。……最後の仕事の始まりである。


 警察の車が家を取り囲み、武装した警官がベルを鳴らす。

相手は二人の殺人鬼だ……警戒をするに越したことはないだろう。

 最初に母親が出てくると、彼女は甲高い悲鳴をあげ家の中へ逃げてしまった。武田の合図と共に警官が靴のまま家へ上がり込むと、リビングのソファの上……幼児向けの番組を見ている女の子を力一杯抱きしめる母親と、二人を守るように両手を広げて対峙する父親の姿があった。

 女の子は無邪気に笑っている。

そして、何人もの無実の人間を殺した夫婦の殺人鬼は、抵抗する様子も見せず呆気なく捕まった。

 飯島が、引き取り先が見つかるまで女の子の世話をすると申し出ると、皆は、一旦施設に預けてしまった方が良いのではないかと心配をしたが、飯島はシワのよった分厚い掌で女の子を撫で、首を振る。

「そんなに俺に任せられないか?……若い奴らが、年寄りの老後の楽しみを奪うんじゃない。」

 飯島にそう言われたら、反論できるものなどその場に存在しなかった。こうして、飯島は最後の大仕事を終え……女の子は、彼の元で暮らすことになった。


 それから一週間。

武田は夫婦の取り調べをしていた。

 最初の二日は口を開こうとしなかった二人であったが、日が経つに連れ母親は憔悴し、父親の口からはぽつり、ぽつり、と事件の詳細が溢れ出す。

「刑事さん。僕たちが彼らを殺したと思っているなら、それは半分正解です。……僕たちが、殺人鬼を産み出してしまったんだ。」

 父親の声は、震えていた。

武田が、続けて、と話を促すと父親はとても恐ろしいものを見た時のように、みるみる顔が青ざめていく。

「最初は、三月……五歳の誕生日だった。あの子の情操教育のために、ウサギを飼うことにしたんです……ところが、僕たちが目を離した隙にあの子は電気コードでウサギの首を……親として、必死に矯正しようと努力しました。でも無駄で……せめて、罪のない人間を殺さないように、僕たちが悪い人間を調べて攫って……あの子に与えることにしたんです。」

 次第に、事の詳細が見えてきた。

殺人鬼は、娘だったのだ。自我が芽生えると同時に殺人衝動に目覚め、まだ幼くその衝動を治めることを知らない……だからこそ、この夫婦は間違いを犯すならせめて少しでも罪のある者をと考え、不慣れながら娘の殺人の手伝いをした。

 おそらく、あの杜撰な遺体の処理もドラマやニュースなどから学んだのだろう。

「どうか、お願いします……あの子は危険です。あの子が無実な人を殺さないうちに……僕たちと一緒に殺して下さい。僕たちはあの子の親です……死ぬのなら、あの子と一緒に……!」

 武田は飯島へ急いで連絡をとったが、電話には一向に出ない。

 その場を先輩刑事に任せ、武田は車を走らせ飯島の元へ向かった。彼は今、自宅にあの女の子……愛らしい天使の顔をした悪魔を匿っている。

 今まで殺しても良い人間を提供していた両親がいなくなった今……あの子はきっと、飯島を殺すはずだ。

「シマさん!!」

 玄関は開いていない。大声で叫ぶと……窓を割って、中へ入る。

 居間では女の子が歌いながら、ままごとをしていた。

 ガラスの器には、切り刻まれた虫と、ねずみと、トカゲの死体が入っている。……料理のつもりなのだろう。

 そして、子ども役を演じていたのは、だらしなく舌を伸ばして血色もなく、首にネクタイが固く結ばれほんの少しだけ首が伸びた飯島の、死体であった。

無垢な女の子が、にっこりと笑う。

小さな小さな脚が、軽やかな足音を立てて武田へ近づく。

 その手には、ねずみや、トカゲを調理した血で塗れた包丁が握られていた。体の前にしっかりと構え、体当たりと同時にその刃を武田の腹に納めるつもりなのだろう。

……やられる!

 突発的な行動だった。武田の骨張った指が拳銃を握り引き金を引く……それは笑顔の少女の額に小さな穴を開けた。


 事情を知り得る者ならば、誰もが仕方がないと思う悲劇であったが、殺人犯とはいえ、刑事が幼く無垢な女の子を銃殺した……というニュースは瞬く間にメディアにより世間を賑わせることとなった。そしてその行動は長く世間から非難され……やがて武田は退職へ追いやられた。

 両親は、娘の死を知ったその日……獄中で首を吊った。

 これが、ひとりの男が刑事として命をかけて追った、最後の事件の詳細である。

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