第二十三話 少年Aの終末紀行

 麗かな午後、三時。

 おやつの時間といきたいところだが、そうはいかない。俺は今、母親に追われているのだ。何か悪いことをしたのかもしれないし、単なる八つ当たりかもしれない。とにかく、今日のお袋は非常に機嫌が悪い。

 籠城していた部屋のドアを乱暴に叩いては追い立てられ、廊下を散々追いかけ回されて、たどり着いた先は古い蔵だった。

 そこは裸の白熱灯がぶら下がっているだけで薄暗く、わずかな日の明かりを頼りに照明をつけても微かに先が窺えるだけ。

 蔵の鉄板で補強された分厚い扉を、しきりに叩く音が聞こえる。

 出てきなさい、早くと呼ぶ声もする。

 ……さあ、いつまで持つだろうか。

 お袋が諦めるまでは、ここにしばらくいなくてはいけない。……何か必要なものを物色しなくては。部屋に置いていた菓子類も全てさっきの騒ぎで置いてきてしまった。ここで食べられるものと言っても、せいぜい生米、果実酒や梅干しくらいしかないだろうけど……それでも無いよりはずっとマシだ。

 次に、この薄闇の中でどう退屈を潰すべきか。

 五月人形と市松人形で、おままごとでもするか?……いや、冗談にしては笑えない。


「おい、お前。見慣れぬ顔だな……宗兵衛の子孫か。」

 不意に、男の声がする。

 低く、地を這うように響く男の声。しかし……この家に今いるのは、俺とお袋と婆さんのみ。男はいないはずだ。

 宗兵衛は確か……死んだ爺さんの名前だったか?

「なんだ、気が利かない小僧であるな。……さあ、早くここから出すんだ。上に何かが載っていて息苦しくて堪らん。」

 ……しかし、どうやらこの声の主は今のこの状況を救う手立てとなるかもしれない。声の指示に従い、段ボールに入った五月人形……茶道具、花器を避けて桐の箱を引っ張り出す。それはとても細長く……だいたい腕一本ほどの長さだろうか。

 開けると、とても見事な日本刀が入っていた。きちんと鞘も鍔もあって、すぐにでも振るえそうである。

「これが、話してたのかよ……」

 思わず心の声が出てしまうと、刀はカッカッカ、と笑い威厳のある声色をさらに低くして、頭の中に語りかけてくる。

「俺は、とある男の打った無銘の刀であるが……今まで数多の人の手を渡り歩いてきた。そして人を斬ることにおいて、これほどまでに優れた刀はないと言われておる。……しかし、宗兵衛の時代になってから刀は意味のないものとなった。ああ、人を殺せぬ時代のなんとつまらぬものか。」

 人を斬るための、喋る刀……これは神様からのプレゼントだ。

 刀自身は俺を驚かそうと言ったのだろうが、こいつはこの状況を打破する上で、文字通りこの上ない武器になるだろう。何より話し相手になるのがいい。

 桐の箱から刀を取り出し、すぅ、と滑らかな……まるで魚の腹のような光沢の刀身を鞘から引き摺り出す。

「いいぜ。俺もいま、ちょうど人が斬りたくてウズウズしてたんだ。……斬ろうぜ。何千人でも斬ってやる。」

「……は?」

「なぁに変な声出してんだよ、ほら、行くぜ!」

 俺は陽の光を反射して鈍く光る刀を手に、勢いよく蔵の扉を開け放った。


 数十分ぶりに浴びる日差し。

 麗かな陽気の中、外はゾンビで溢れかえっている。

 お袋も、爛れ腐り肉が落ち、骨まで見えた腕を振り下ろし壊れたレコードプレイヤーのようにひたすら、出てきなさい、早く、と掠れた声で叫ぶだけ。

 ……婆さんは、ゾンビになっても呑気に終末を映し出すテレビを見ては茶を啜っている。どうやら、ゾンビになっても生前と同じ暮らしをしたがるようで、テレビに映るお笑い芸人も、全盛期に一番ウケていたネタを何度も繰り返している。

「……おお、なんということだ。俺が眠っている間にこんなことになっているとは……」

 刀は、呻き声と死臭に満ちた惨状を見ては驚きを隠し切れない。俺だってそうだ。まだ事態を受け止めきれていない。

 世界がこんなふうになってしまったのは、ついニ週間前……ひとりの国民的、いや、世界的アイドルが感染した未知のウイルスが、彼女の引退コンサートを期に世界中へばら撒かれてしまった事が原因らしい。感染してしまった人間は自分の感情に嘘をつけなくなってしまう。ひどく傲慢でわがままになった人間は、ぶくぶくと体液が沸騰して爆発。見事ゾンビの誕生である。

 このウイルスは非常に感染力が強く、国も対策が取れないまま、あっという間に世界中で広まってしまったが、なぜか家族の中俺だけが感染せずに今、ここにいる。


 武器を手に入れたことにより、対抗する手立てもできた。……乾く唇を噛みながら、俺の体を喰らおうと大きく口を開けるお袋を楽にしてやろうとしっかり刀を握る。

「……なあ、刀のおっさん。俺、剣道とかしてないんだけど。」

「なあに、心配することはない。俺は人斬りの刀だ。言う通りにすればいい。……いいか。刀は斬るものではない、断ち切るのだ。……そして、俺は最高の人斬り刀だ。お前のような素人でも、骨の節目、関節を狙えば切断も容易だ。……俺を信じろ、久しぶりに腕が鳴るなあ!」

 漆塗りの鞘をお袋の大きく開いた口へ、まるで猿轡のように噛ませ、臓物のはみ出た腹へ思い切り蹴りを入れる。……ああ、俺も十七年前はここにいたんだな、と感慨深く思うけれどもそれも長くは続かない。首を切らなければ。

 体勢を崩した隙に、その首へ、真一文字に刀を振るった。

 言葉通り、気持ちいいほど鮮やかに腐った肉が裂け、呆気なく骨まで到達した。そして返した刃で剥き出しになった頚椎……その軟骨部分を半ば力任せに断ち切った。

 本物の、腐った死体になったお袋を庭に埋め、婆ちゃんは……とりあえず放置しておくことにした。

部屋に残したままの飲み物や菓子類を手当たり次第リュックに詰めて、次に狙うは隣の家に住む大学生の男が最近買った、大型バイク。……一度、乗ってみたかったんだ。

 同じ日常を繰り返している隣人は、鍵を盗まれている事を知らずに優雅に家族の団欒中。澱んだ紅茶と腐ったケーキを皿に乗せてつつき回している。

 そして、丁寧に手入れを終えた刀を鞘に戻しベルトへ括り付け、見よう見まねでエンジンをふかすと、想像よりも大きな音が出た。あとは自転車と同じ要領で乗ればいい。

 ……どうせ、今の世の中交通ルールなんてなくなっているのだから、死ななければそれでいいじゃあないか。

「……まだ俺みたいに感染していない人がいるかもしれない。頼りにしてるぜ、刀のおっさん。」

「なに、俺がいればお前は無敵だ。……死ぬんじゃないぞ、相棒よ。」


 さあ、行こうか。終末世界へ。

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