第十八話 桃娘


 桃娘トウニャンという都市伝説を知っているだろうか。

 彼女たちは赤ん坊の頃から桃だけを食べて育てられ、その体液や排泄物にまでもが芳しい桃の香りがする。そして、彼女達はとても体が弱く長く生きることは出来ない。たった一回男を受け入れるだけで命を落とし……その後は食肉となる。大変美味と言われるその肉や一回きりの行為には不老不死の効果があると言われ、大変重宝されたというものだ。

 貧しかった頃の中国では、出所不明の肉も多く流通していた。そのため、その中には人肉も混じっているのではないか?という噂から出来た話であるが、もちろん、全くの嘘である。

 ……今までは。

 現代の日本において、桃娘の噂は現実のものとなっている。


 僕がそれを知ったのはつい先日。

 知人の付き合いで気まぐれに買った宝くじで一等を当ててしまい、ただの一般市民であったはずの僕は一日にして莫大な富を得てしまった。使いようのない大金の使い道に迷い、気まぐれに企業に投資をしたらそれも当たってしまい資産は膨れ上がり……ほんの数ヶ月の間に、階段を駆け上がるかのように大富豪の仲間入りをしてしまった。

 お金持ちとしての立ち居振る舞いも、財産の使い方もわからない中で勉強も兼ねて、そうした富裕層の集まるコミュニティへの参加を決めたところ……僕は、とある大企業の社長にひどく気に入られた。

彼は庶民からの叩き上げで会社を成長させ、社長の座に上り詰めた努力の人である。生まれながらの資産家や、それを鼻にかけるようなメンバーを嫌いコミュニティの中でも孤立していたのだが、運だけで莫大な富を得てしまい右も左も分からない僕のことだけは、どうやら放ってはおけなかったようだ。

 ある晩、彼はお前には特別いいところを教えてやろうと言い、高級クラブが立ち並ぶ繁華街の中、華やかな場所を離れて路地裏……煙草の吸い殻や酒の瓶が転がる場所へと足を踏み入れる。しばらく歩くと、質素な木の扉と巨大な豆腐のような無機質な建物に突き当たった。

 脆そうに見える木の扉は見た目よりずっと頑丈で重たく、力を込めてそこを開くと、中はとても煌びやかな……金と赤、水晶の置物や煌々と明かりを灯す提灯で彩られ、まるで中国のお屋敷のような華やかさだった。

 彼は恭しく出迎えてくれた従業員に僕のことを紹介し、黒いカードで高額な紹介料を支払う。

 エントランスの一角に設置された金の格子の中は、色とりどりのチャイナドレスを着た、十三から十八歳ほどの少女たち……それもこの世のものとは思えないほどの美少女が、互いに口付け、悩ましげにこちらに視線を送り、笑みを見せ、柔らかな肌に手を滑らせあい手招いていた。

 彼は僕の肩を叩くと

 「好みの女の子を選ぶといい。姿形は成長に応じて変わるし……顔は化粧でいくらでも変わる。出来れば、若い子がいいぞ」

 と助言してくれた。……しかし、僕にだって好みがある。

 僕は数多の少女の中から、まっすぐな黒髪を長く長く伸ばした、涼しげな瞳の少女を選ぶことにした。元々幼い少女になんの感情も持てない男であったし、彼女が一番、豊満な体つきをしていたことが大きな理由である。

 十八歳の彼女は五千万円の値がついていて、若ければ若いほどその値段は膨れ上がるようだ。従業員からの説明によると、女の子を買い取ると、ここでは飲食物以外何も支払うものはない上に、買い取った女の子にはどんな行為をしても構わないらしい。

 金持ちにはそうした特殊な嗜好を持ったものが多くいるイメージであったが、あながちそれも間違いではないのだろう。


 簡単にこの施設の説明を終えると、彼は自分で買い取った十四歳ほどの幼い少女に連れられて奥へ消えてしまった。

 施設の中にある彼女の自室はとても殺風景で、一見すると窓のない1LDKのアパートのようだ。装飾は自分を買った主人に用意してもらいなさい、ということなのだろう。ひとつ、大きなベッドだけが置かれたベッドルームで彼女ははじめて口を開く。

 「私たちには名前がありません。今までは、必要なかったから……けれど、これからの私はあなたの所有物です。どうか、その証として私に名前をつけてください。」

 想定外の申し出に少し悩み、彼女にタマと名前をつけることにした。

 猫のような目が印象的だったのも理由のひとつだが、人間の名前をつけてしまえば愛着が湧いてしまう。……ここは、それではいけない場所だと思ったからである。

 僕たちは何時間も愛情の交換をした。その日以降、毎日、毎日、何時間も。……いや、愛情を送っていたのは彼女だけで、僕はただそれを貪っていただけなのかもしれないが。


 彼女の体や体液はいつも、桃の匂いがした。

 施設に入った時から、まとわりつくように濃厚で、むせかえるほどの桃の匂いが気になっていた。何か、みなで揃いの香水でも付けているのだろうか?ある日、タマに訊くと彼女は鈴のなるような声でおかしそうに笑う。

 その頃には僕たちはだいぶ打ち解けていた。

 「私たちは、ミルクを飲む時期を過ぎたらみんな、中国から取り寄せた特別な桃だけを食べて育つの。だからほら…体の匂いも、体液の味も、血も肉も、みんな桃の匂いがするのよ。」

 試してみる?と、タマは耳元で囁く。

 そして、僕らは口付け、いつものように互いの事しか見えなくなるほどに……甘いひと時に身を焦がした。

 ずっと、永遠と思えるほどの時間だった。



 タマを買い取り二年ほど経った冬の日。

 部屋の中で退屈そうに待つ彼女の姿がなかった。代わりに男がひとり。タマのために買い送った、ぬいぐるみや家具、家電、食器……彼女を飾り立てるための服を無造作にぎゅうぎゅうと、段ボール箱に詰め込んでいた。

 ……そういえば、タマは最近ひどく具合が悪そうだった。会っている時はとても元気そうにしているが、一瞬目を離すとひどくやつれ、生気を失っているように感じる。

 「タマは」

 僕が震えた声で尋ねると、男はようやくこちらに気づいたようで慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。彼は自分を施設で働く新人のスタッフだと説明すると、僕の気持ちも知らず事務的に、とても残酷な宣告をした。

 「彼女……タマでしたか。タマは、死にました。高齢の桃娘を購入したので……もっと若い子を購入してくだされば、もう少し長く楽しめたのですが……いやあ、あの子はこれでも長生きだった方ですよ。」

 頭の中が真っ白になる。

 事実を理解することができずにいると、男は不思議そうに首を傾げ、ああ!聞いていなかったのですか、と勝手に納得をし、更に聞かれてもいない説明を続けた。

 「あの子たちは、みな重度の糖尿病です。そのおかげで……あなたも味わったでしょう?あの甘い香りと味を。現代の医療技術と薬の力でお客様に奉仕できるほどの体力もありますが、とても弱い。……だからこそ、ここの桃娘達は一人一人買い取るシステムなのです。彼女たちは、命を落とした瞬間……あなたのための食材になるのです。とても肉質も良く美味しいですよ。」

 ……何を言っているか、わからない。

 ひとを、たべる……とは。

 ふと、無機質な電子音が響く。

 それはどうやら男のスマートフォンからのようで、短い電話の応対の後にっこりと笑い、再び僕に対して深く頭を下げた。

 「今……タマはあなたのために美味しい料理になりました。どうか、彼女を骨の髄まで味わってあげてください。」


 程なくして訪れた華やかな漢服を着た、ほんの幼い、十にも満たないほどの年齢の桃の香りがする女の子に手を引かれ、僕は呆然としたまま施設の奥へ奥へと足をすすめていく。体に力が入らず、時々脚がもつれて転んでしまう……まだ、心と体が彼女の死を受け入れられないのだ。

 歩いて、歩いて……施設の一番奥に据えられた、一際華やかな扉にたどり着く。待機していた男たちが力いっぱい押し開くと……そこは、エントランスよりも更に豪華な装飾が施された宮殿の一室のような小部屋だった。大きなテーブルと、その大きさには不釣り合いな一脚だけの椅子。

 テーブルには大量の……とても豪華な中華料理が並んでいる。

 その中央には、調味料と共に花に彩られた見慣れた首。

 涼しげな猫のような目に、薄い唇。艶やかな長い髪。血色が良く見えるよう、いつもより濃い化粧をしているようだ。

 奥から彼女を調理したと思われる料理人が顔をだす。

 「さあ、どうぞ召し上がれ。」

 促されるまま、椅子に腰掛ける。ここにある料理の、ひとつひとつが彼女の肉なのだと思えば思うほど、彼女の死が心にすうっ、と染み込み現実のものとして受け入れられていくのを感じる。

 饅頭や角煮、餃子……唐辛子をまとって焼いた肉も、内臓とニラの炒め物、骨で出汁をとったスープも……見たことのない美味しそうな料理もある。

 ……ふと、腹が鳴った。

 これは、どこの肉だろう?甘辛く煮付けられた肉塊を箸で刺す。食べやすいよう切ってはいるが……この形状。ああ……これは胸の肉だ。僕は、彼女の豊かな胸を特に愛していた。

 一口かじると、それはとても柔らかく煮込まれている事もあってか口の中で一瞬で溶け、後からふんわりとした桃の香りが残る。

 「美味しい。……とても、おいしいよ、タマ。」

 時間の経過と共に少しずつ濁り始める瞳が、ほんの少しだけ笑ったような気がした。

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