第十五話 銀翼の天使
この世界には、天使が存在する。
天使は人の罪を裁く存在。母親の腹を切り裂いて産まれ、人を騙し、裏切り、傷つける者の前に彼らは現れ、その背中にきらめく何千ものナイフの羽を浴びせて殺してしまう。
天使の翼は有限だ。
己の骨を変質化させて生成する翼は、腕……脚に始まり、肋骨、背骨と大切な骨も消費し、いつしか全ての骨を使い切り、天使はその命を維持できなくなってしまう。
少しでも長く天使を使用するために……そして、天使の裁きを悪用されないように、いつしか管理者として、ある役職が制定された。それは神父……女性の場合は聖母と呼ばれるようになり、適性試験を経て訓練学校を卒業し、短い研修を終えた後、歳は二十代から六十代まで務めることができる。大抵は軍人、警察、そういった者たちの第二の職場である事が多い。
そして、とある街の教会……そこに新しく配属された若い神父に、一人の天使が恋をしてしまった事から物語は始まる。
その天使は、そばかすと赤毛が特徴的な、まだ幼い十三歳のとても痩せぎすな少女だった。その翼は、白銀の中にほんのりと花々が散りばめられたかのように、薄桃色や萌黄色の光が反射し、天使たちの中でも一際美しい羽である。
夢見がちで、童話の中の王子様に神父を重ねて見ている節があり、兄姉分の天使たちは皆、長く生きる事ができない……人間と番う事のできない自分の身の哀しさを知っていたため、彼女の恋を諦めさせようと懸命に働きかけたが、彼女はなかなか聞く耳を持たなかった。
一方、彼女の恋した神父はというと、とても真面目な男で精神的な病により軍を退役した後、彼の将来を憂いた上司のアドバイスにより神父の訓練学校に通い、主席で卒業を果たした優秀な人間である。神父として働き始めてからは年長の天使たちには良き友として……そして年少の天使たちには兄のように、父のように慕われ、彼が管理している天使は長く働く事ができた。
外の世界を知らない幼い少女が彼に恋焦がれ、彼以上に素晴らしい人間はいないと思い、盲信するのも当然のことだろう。しかし、その恋は突然に終わりを告げた。
彼には、幼い頃から彼を愛し支えている女がいたのだ。兵役により心を病んでも、それにより幾度となく暴力を振るわれても変わることなく信じ支え続ける、心の優しい女。
そして神父としての仕事が落ち着いた夏の終わりに……二人は結婚の約束を果たした。
天使たちは自分達の慕う神父の幸福を喜び、祝福として自分達の羽を一枚ずつ抜き、花のように細工を施し二人に送った。
ただひとり、赤毛の幼い天使を除いては。
彼女は、事実を受け入れる事ができなかった。
それほどまでに、彼に恋焦がれていたのだ。そして、禁じられた方法で彼の心を試すことにした。
……簡単な事である。質問に対して自分の羽が彼を傷つけるか否かをを見届ければいい。
任務を終えるのを待ち、彼女は彼に真意を問うことにした。
妻とする女性を本当に愛しているのか、長いこと共に過ごした自分ではなく知らない女と添い遂げるのか、と。
神父は笑い、何を言っているんだい?と返す。
「彼女のことは心の底から愛しているし、とても大切な女性だ。……もちろん、君のことも仲間として……妹のように大切に思っているよ」
それが彼女にとって、どれほど残酷な言葉なのかも知らずに、神父は優しく兄のように言葉をつづける。
せめて、天使の羽が彼を傷つけてしまえばいいのに……少女は強く願うが、翼はぴくりとも動かない。
「わたしは…あなたの事が大嫌い」
翼が、ぽろりと剥がれ落ち、薄桃色や萌黄色の光が少女の肌に傷をつける。けれども少女は口をつぐむ事はない。肌を切り裂く痛みよりも、初めて知った胸が張り裂けてしまうような恋の痛みの方が重く辛く、耐えられなかったのだ。
少女は天使だ。
大粒の涙を流しながら、本当はどこにも行ってほしくない……独占したい、愛している男を嘘で塗り固めた言葉で罵倒するたび、優しい色に光る美しい羽が細い体に傷をつけ、肉へ突き刺さり、だんだんと……小さな体は鮮やかな色彩を放つ、幾千もの白銀色の羽にすっぽりと覆われてしまった。
懸命に神父が止めても聞くことはなく……やがて、彼女は全ての骨を使い果たす前に、池のような血溜まりの中で命を落とした。
仲間の天使たちは神父を責める事はなく、妻となった女性共々心を病まないように労わり続けた。そして激しい恋の末に死んでしまった少女の命のかけらである羽根を、その亡骸から一枚一枚抜いて自らの戒めとし、生涯大切にした。
もちろん神父と彼の妻も、少女のことを片時も忘れる事はなかった。
やがて妻は二人の子供の母になり、三人目の子どもの命と引き換えに命を落とした。……その子供は天使であった。
色鮮やかな薄桃色と萌黄色の光を放つ白銀色の……とても美しい翼を持つ天使の赤ん坊は、母親の腹を切り裂き、この世に祝福をもたらすために生を受けた。
男は、その女の赤ん坊に……ミカエラと。あの、恋に焦がれて命を落とした幼い天使の名前をつけることにした。
無邪気に笑う、妻の面影を残した少女。
その名を呼ぶたび、彼は胸を刺すような、強い……深い罪の意識に沈んだ。
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