第十四話 幸福な男の遺書
この手紙を読んでくれている人がいるということは、私はすでにこの世界からいなくなっているということです。
しかし何も、心配する必要はありません。
私は命を絶つことはないのですから。
ああ……でも、このような文面を見せられて、心配しない方がおかしいですよね。
あなたは本当に心の優しい人だ。
けれども、本当に私は命を絶つつもりはないのです。
私には、美しい妻と愛らしい娘がいます。
精一杯努力をして、収入だってあなたよりも多いことでしょう。
より良い大学も卒業しているし、休日には友人たちとキャンプに出かけている。
日々が充実している私には、命を絶つ意味がないのです。
だって、こんなにも幸せなのですから。
ああ……早く帰って妻の手料理を食べて、娘の寝顔を見たい。
優しいあなた。
このような独り言に付き合ってくれて、ありがとう。
さようなら。
学校の帰り道。
この手紙が置かれていたのは、隣町とを繋ぐ大きな河にかかった長い橋……その中ほどである。歩道の端に丁寧に並べられた、高級ブランドの革靴の上に、ぽん、と雑に置かれていた。
靴はとても……顔が映り込みそうなほどにピカピカに磨き上げられ、傷ひとつない。
恐る恐る下を覗く。……ああ、やはり。
僕は警察と、念のため救急車を呼んだ。
彼らはすぐに駆けつけて手際よくその場をまとめてくれ、発見者である僕も、嘘偽りなく警察にことの詳細を話した。
僕は十七歳の高校生で、サッカー部の帰りに毎日ここの橋を通る。そしていつもはない不自然な靴を見つけて、確認し、学校での指導どおりに通報した、と。
……ただひとつ、この手紙だけは渡す事ができなかったが。
遅れて、彼が手紙の中で自慢していた妻と娘が慌てた様子で現れた。……妻は、なるほど。確かに年齢は感じさせるもののアイドルやモデルに並ぶほどの美しさだ。
けれども、僕はその出立ちに違和感を覚えていた。
今現在、夕方の六時である。
彼女の服装はと言うと、裾や胸元にシワの寄った高級ブランドのワンピースだ。化粧もしっかりとしているが……少しよれているのが目立つ。着衣の乱れは急いでいたのだろうと理由がつくけれども、華やかで、露出が多い……忙しい時間の主婦にしては、派手なこの服装はどうだろうか?
娘も……富裕層の子供が通う高校の制服を身につけ、平均より身長が低く見える夫婦の間から産まれるには少し不自然な、生まれつき淡い茶色の髪の、彫りの深い顔立ちをした背が高い少女だ。
二人は抱き合いながら、彼の死を嘆いている。
……僕が警察に手紙を渡さなかったのには理由があった。
手紙の裏には、先ほどまでとは考えられないような、乱暴に書き殴ったような文字で続きが記されていたのだ。
僕は善意で、これを家族の目に触れさせないことを選んだ。
僕だけの心に秘めておこうと。
そこには、幸福な男の死の真相が記されていた。
ああ、あの女。あの女。あの女。
殺してやる。呪い殺してやる。俺の死で思い知らせてやる。
自殺じゃ保険は出ない。
貯金もみんな慈善団体に寄付した。
ついさっき一千万借金して、みんな競馬に突っ込んで派手に負けてやった。
お前に何一つでも残してやるものか。
許さない。許さない。許さない。
今頃お前は、顔と若さだけしか取り柄のない、つまらない男にうつつを抜かしているんだろう。
歳も考えずに若作りしやがって、見苦しい。気持ち悪い。
あのガキも、俺の子じゃないんだろう。
あのクソガキ、お前の腹の中で死ねばよかったんだ。
俺は精一杯努力した。金も稼いだ。
親の言う通り、見栄えのいい馬鹿な女と結婚した。
けれどもなんだ、結局何も苦労してない馬鹿どもが気持ちよく、幸せになるばっかりじゃないか。
みんなみんな俺が死んで、地獄のような苦しみを味わうがいい。
俺はあの世で笑ってやるよ。
おいお前、こんなところまで読むんじゃない。
お前もどうせ、あいつらと同じなんだろう?
まあいいや、ついでにお前も呪ってやる。
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