第十一話 赤い果実の女

 思春期の男子はだれでも……どこへいても一人ぼっちなのだという考えが付きまとい、誰にも理解されることはないのだと、心が常に曇る時期がある。

 僕もそうした一人で、そんな自分を慰めるための隠れ家として、学校をサボりとある廃屋で過ごしていた時があった。

 そこは高名な画家が住んでいたお屋敷で、元はとても品のある作りだったのだろうが、今はその影もなく、落書きとごみで汚れている。どうやら深夜に不良が肝試しに来ているらしいが、昼間は誰も訪れることはなく、時が止まったように静かな場所であった。


 とある日のこと。

 いつものように物思いに耽るのにも飽き、屋敷の中を探検していた僕は……朽ちた本棚の裏側に、不思議な部屋を見つけた。

 そこは身を屈めてようやく潜れるような、小さな扉で仕切られた部屋で、落書きがなく……それどころか、廃墟の一室にも関わらずまるで埃ひとつない、綺麗な部屋だ。真っ白な壁紙……レースのカーテンが踊る窓。お姫様が眠るような、可愛らしい寝具で彩られた小さなベッド。オルゴール。……そして、女。

 ぐったりと力無くベッドに横たわる女は、まるで芸能人のような美貌で、チープなミニスカートのメイド服を着ている。

 髪は明らかに人工物のピンク色。そして腰には、サワムラヤヨイと書かれた名札。

 死んでいるのかその瞳は白濁しているが、化粧をしているため、まるで生きているかのように見える。

 よくよく観察してみると、柔らかな粘膜に包まれるように、小さな口の中には大粒の葡萄が房から外された状態で、ぎっしりと詰まっていた。

 僕は、その姿にひどく興奮し心を揺さぶられた。

 誰も見ていない。死んでいるかもしれないが、化粧のおかげで生きているようにしか見えない美しい女が目の前にいる。

 僕は、彼女の乾いた口の中へ手を伸ばすと葡萄を一粒とって、口の中へ放り込んだ。ぷつん、と薄い皮がやぶれ、つるんとした果肉と共にたっぷりとした果汁が口内へ溢れる。新鮮で、とても、とても美味しい葡萄である。

 ひとつ、ふたつ、と口に含み、五つめで口の中が空になってしまうと、僕は満足をして家路についた。


 次の日も、女はいた。

 その日は長い長い黒髪で、とても豪勢な染めの振袖を纏い、赤い襦袢からは細い足首が覗く。そして、血色は前日よりよく見え、瞳も少し色を取り戻し始めていた。傍に置かれた紙には、筆で書かれた意味のわからない詩に、マツダサクラコというサインが添えられている。

 女の変化に驚き観察を続けていると、ふと……瞼が不自然に腫れていることに気づいた。

 冷たい女の頰に手を添えて覗き込む。……すると、ころんと赤いザクロの実が、まるで涙のようにこぼれ落ちた。

 女の下瞼を引っ張ると、次から次へとルビーのような小さな果実が溢れて落ちる。それは十粒ほどでとまり、僕は美しい女を眺めながら、彼女の目から溢れ出たザクロの実を口に含んで、サクサクとした食感と共に口の中に広がる強い酸味を味わった。


 今思えば、いろいろと不可思議な事が多いものの、当時の僕は不思議な部屋で、生きているのか死んでいるのか分からない女との言葉のいらない交流を楽しみ、普通では味わうことのできない体験をしていることに優越感を感じていた。

 セーラー服の時は、さくらんぼ。

 フリルとレースのロリータ服の時は、いちごを仕込まれていた時もあった。いずれもその時の服装に見合った小物が置かれ、書かれている名前は毎日違う。

 そして、僕が彼女の体に仕込まれた赤い果実を口にしていくと、彼女は次第に生気を取り戻していき、最後……廃墟が取り壊される前日には、頰や唇は化粧に頼らずとも薔薇色に染まり、瞳は白濁した色から栗色へ戻って、今にも起き上がりそうなほどにまで回復していた。




 廃墟がなくなった今、その跡地にはコンビニが建てられている。取り壊しの最中、女や不思議な部屋が発見されてしまうのではと気にかけていたが、そうした噂は一切なく、あれは夢か……なにか不思議な現象か、全くわからない。

 当時を懐かしみ……また、大人になった今では何も恐ろしい事が起こらなかったことに安堵しながら、その店舗は今でも良く利用している。

 今日も、茹だるような暑い夏の日……その日の夕食を買ってコンビニを出ると、遠くにとても美しい女を見つけた。……さて、近所にこんな美貌の女はいただろうか?景色が揺らぐほどの猛暑のなか、祭りでもないのに絞り染めの浴衣を着て、涼しそうな顔をしながらこちらへ向かってくる。

 僕はその顔に見覚えがあった。……あの、死体の女だ。

 あの時と全く変わることのない姿のまま、女は視線に気づくと、にっこりと笑う。

 少年の時の行為を責められるのではないか……と、思わず身構えたが、女はそのまま目の前を横切り夕暮れの街へと歩いてゆく。呆然としながらその後ろ姿を見送ると……ふと、浴衣の裾、細く折れそうな足の隙間から、真っ赤な果実がころりと落ちた。

 それはみずみずしく、今さっき摘み取ったばかりのような、赤い……赤いりんごであった。

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