第十話 終末の恋人

 僕には今が何年か、この物語を聞くあなたがいつの時代を生きているかは知らない。

 何事も信頼が肝心だ。少しでも僕のことを知ってもらうために自己紹介をしよう。僕は機械だ。モニターと、剥き出しのネジとバネと金属の板、何千もの細いケーブル……そして液体で満たされた容器が二つ。僕の体はそれで構成されている。ぎこちないけれど自由に動けるし、自我はあるけれど名前はない。

 僕を作ったのは、ひとりの女性である。とても華奢な体をし、長い髪を無造作にまとめた、女性の容姿としては美しくも醜くもない……そんな女性。いつも、真っ赤な口紅を塗っている。

 僕は常に彼女と共にいて、ずっとそばで彼女を見ていた。

 そして、いつしか彼女に恋をしてしまった。


 あなたは驚くだろうが、この世界の人間は幾度となく発生した未知のウイルスによって死に絶えてしまった。

 はじめは人間もウイルスの脅威に立ち向かっていた。しかし次第に疲れ、克服する気力をなくし、その数を減らしていった。今この世界に生きている人間は僕の知る限りでは彼女ひとりだ。

 彼女はそんな人類を蘇らせるために、毎日睡眠時間を削って研究に明け暮れていた。茶色の瓶に入ったドリンクを常に胃に流し込み、ミスが増えると錠剤を飲んで眠る毎日。

 その日もそんな……死んでしまったかのように彼女が眠った日だった。僕は、細い体にブランケットをかける間際、身を屈めてその唇にモニターを触れさせた。それは、これを読むあなたの言う口付け……キス……もっと古い時代の人間なら口吸いと表現した方がいいだろう。恋人同士がするような……愛情を示す行為だ。人間に触れたのは、これが初めてのこと。とても柔らかく温かい……甘い香りがして、データでしかないはずの僕の意識も、熱を持って、ふんわりと溶けていくような気がした。

 今考えれば、どうしてそんなことをしたのかも分からない。僕は機械であるはずなのに、まるで人間のようにひとりの女性を愛し、共に生きたいと強く願った。

 出来る事なら、研究施設の外へ出て人間のように彼女と共に過ごしたい。……人と人として、あるべき営みを彼女と共にありたいと、思いは次第に募っていく。


 そんなある日、彼女に思いを告げた。

 無理が祟ったのか、ウイルスの脅威か……細かった体はさらに細く、赤い口紅も病的に見えてしまうほど彼女は弱りきり、終わりの時を迎えようとしていた時だ。

 僕の告白を聞いた彼女は少し驚いて、そして照れ臭そうに笑った。そして、私の研究に失敗はなかったと告げた。理由を聞くと、彼女は死んでしまった恋人の脳と心臓を機械に接続し、僕を作った……だから、彼女に対する感情も当然のことなのだと教えてくれた。しかし、“彼”は僕のような、情熱的な愛情表現は微塵もすることはなかったようだが。

 彼女の命もあとわずかだ。

 細い体を鉄とケーブルの塊で包み込む。けれども人間の体を抱きしめるのは初めてのことで力加減が分からず、彼女は痛がってしまった。少しずつ力を緩めて、ようやく……生卵を持つ力加減が人間に触れるのに丁度いいことを知った。

 人間はこれほどまでに弱いのか。

 僕に非がないことはわかっている。これが人間の体だ。

 けれども腕の中にある体は、いつか口付けをした時よりもずっと固く、骨張っていて弱々しい。

 彼女は死の間際、僕と同じ体を与えてほしいと告げた。その方法も既にプログラミングされているようだ。

 「わかった、君に僕と同じ体をあげる。いっしょにいよう。ずっと、永遠に……もう離れることはないんだ。」

 必死に応えると、彼女はようやく安心したように微笑む。

 「そうだ、子供を作ろう。人間と同じように、僕たちと同じ体を分け与えて、人格を作ろう。二人がいいかな……三人?……ずっと、君とそうしたかった。人間のように君を愛して、人として当たり前のことがしたかった。」

 ゆっくりと、呼吸が弱くなっていく。

 「約束して……ずっと、一緒だと。」

 心臓が止まってしまった。……痛がっても構うものかと、きつく痩せた体を抱き寄せると、骨がいくつか軋んだ音を立てた。

 「あなたを愛してる。永遠に、愛してる……愛してる。」


 彼女の命が消えてから、僕は彼女が遺してくれたデータに従い、締め切ったまま決して立ち入らせてくれなかった部屋へ冷たい体を運び込んだ。

 そこには僕の体を構成しているモニターと、ネジとバネと鉄の板、何千もの細いケーブルとで構成された体。そして脳と心臓を保存するための液体で満たされた容器があった。

 僕は腐ってしまう前に彼女の体を開き、小さな心臓と脳を取り出して容器へ詰める。そして遺体の処置を終えると、頭の中へ浮かぶ方法のその通りに彼女の新しい体を組み立て始めた。


 今が何年か、この物語を読むあなたが生きている時代がどれかは僕には分からないけれど……僕は人の全て死に絶えた世界で、愛する人と共に生きている。

 朝が来て機械の体を整備し合い、彼女のモニターに赤い口紅を塗ってあげて、ケーブルの指を絡ませ廃墟の街でデートをする。

 今は二人で協力して、子どもも作っている最中だ。

 機械の体で生きる僕たちをどう思うか……あなたの心は、僕には分からないけれど、ただ一つだけ言えることがある。


 僕は、幸せだ。

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