第八話 かつて、マミと呼ばれた怨霊


 少女が気づいた時には、ハロウィンの仮装でよく見るお化けのように、真っ白なシーツをかぶっていた。

 とても懐かしい匂いがする。

 前が見えずに困っていたが、ふと眼前に覗けるくらいの虫食い穴があったため、そこから周りの景色を伺う事にした。

 そうだ、ここは病院だ。

 少女は幼い頃から虚弱だった。もしかしたら家にいるよりも病院にいる方が多かったかもしれない。そして少女はその穴を覗いたことで自分の死を知った。

 大好きなパパとママ、幼い妹が泣いている。その前には真っ白な布をかぶって横たわる自分の姿。布団からわずかに見える手首と足首は枯れ木のように細く白い。その姿は死、そのものだと少女は感じ、どうりで今まで苦しかったわけだと、あっさり自分の死を受け入れた。

 「マミちゃん、こんにちは!」

 可愛らしい声がする。少女はその声に聞き覚えがあった。実際に耳にしたわけではない。けれどもそれはいつでも少女のすぐそばにある……友達のいなかった少女の空想の友達、ウサギのぬいぐるみの、確か名前は……

 「チャッピー」

 自然と名前を口にして声の方向を向くと、記憶に新しい薄汚れた姿ではなく新品のように色鮮やかなピンクのウサギが手を振っていた。しかも、きらきらと妖精のように光り輝き宙に浮かんでいる。

 「マミちゃん、ぼくは君を天国まで案内しにきたんだ!今までおつかれさま……とっても辛かったろう。」

 少女がチャッピーを抱き抱えようとシーツに包まれた手を伸ばすと、ふわふわ温かな毛並みがしがみつき少女の体を包み込んだ。

 「ずっと、苦しんでいる君にこうしてあげたかったんだ。……さあ、おうちに帰ろう。それまでに、天国に行くまでの事を教えてあげる。」


 ぷかぷかと晴れやかな晴天を泳ぐように浮かんで、チャッピーはいろんな事を話してくれた。天国へは、大人も子供も幼い頃の空想の友だち……イマジナリーフレンドが案内をしてくれて、四十九日目まで自分に縁のある場所へはどこへでも行ける。食べ物は家族が供えてくれたものしか食べられないが、眠くもならないしお腹も空かない。そして四十九日を過ぎた時、空想の友だちの手をとって神の元へ旅立つ。

 加えて、かぶっているシーツは外の空気から少女を守ってくれる大切なものだから、神様の御前に向かうまでは決して脱いではいけないとも。


 少女はいろんなところに行った。ひとりだけ行けなかった家族旅行先や、近所に住んでいる大好きだった犬に会い、クラスメイトにもひとりひとりお別れの挨拶をした。

 同じように四十九日を過ごしている人にも出会った。彼らは皆、とてもお洒落な服や着物を身に付け、生前好きだっただろうお菓子やお酒を口にし、少女が羨ましがるとみな家族が供えてくれた、棺に入れてくれたと答えた。

 少女もそのうち自分もお気に入りだった服を着れるのではないかとずっと待っていたが……少女の部屋からは次第にものが無くなっていき、最終日になっても少女のシーツの下は枯れ木のような脚が覗くだけ。

 少女はとても惨めだった。


 そして、その日の夜……天国へ旅立つ間際に、少女は空っぽになった部屋で両親が話し合う声を聞いた。

 「そろそろ、この家も引っ越さないとね。マミのものは全て処分したけれど、まだあの子がいるみたい……」

 「ああ……僕らにはカナがいる。今まで寂しい思いをさせてしまった分、この子はちゃんと育てないと。マミの医療費が無くなった分、カナには学費も……他の子供のように贅沢をさせてあげられるんだから。」

 少女は全てを察した。自分が愛されていなかったから……両親は妹に愛情を注ぐことで手一杯で、死んでしまった自分にはなにも与えなかったのだと。

 堪らなくなり手を伸ばしたその時だ。シーツが捲れ棒切れのように細い腕……小枝のような指が覗いてしまった。

 「いけない!」

 か細い声が叫ぶけれども間に合うことはなかった。細い手は、指先から青い炎に包まれて焼け落ち、白い骨になる。それを包み込むように、今度は黒い靄が現れ、やがて幾重にも重なる小さな人の影になり、獲物を見つけた獣のように少女の体をどんどん引き込み、体を覆っていたシーツを全て脱がせてしまった。

 そして、瞬く間にどろりとした、コールタールをかぶったような闇を纏った化け物の姿へと変えてしまう。チャッピーへ声をかけようとするけれど、喉からは一音も発することが出来ない。

 ただ、ゼエゼエとした獣のような呼吸音だけが響く。

 「怨霊になってしまった。……もう、神様のもとへは行けない……。マミちゃん、こうなってしまったのは……君を守ることが出来なかったぼくの責任だ。……ずっと一緒にいるからね。心配しないで」

 小さな、柔らかなピンク色の体が黒い靄に包まれ、取り込まれ、少女の残された意識にたくさんの思考が流れ込んでいく。

 もう、永遠に幸せは訪れることがない。

 これが、絶望なのだと、それらはしきりに少女へ訴える。


 外の空気に毒され怨霊になった少女は、数多の憎悪を受け入れ、どろりとした黒い手で両親の肩を抱いた。

 もう、待っているだけの弱い存在ではない……すでに自分の望む愛を手に入れる術を理解している。

 みなを呪い、祟り、こちらに、引き込んでしまえばいいのだ。

 知ってしまえば、簡単なことだ。

 怨霊は笑った。

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