第六話 向日葵と初恋
僕は子供の頃、親の仕事の都合で全国各地を転々としていた。海外にも滞在していたことがある。
当然のように友達もできずに、今でもその名残はあるものの性格はとても内気で、気弱な少年であった。
そんな僕であったが、小学四年の夏のことだ。年上の……十七、八ほどののお姉さんに恋をしたことがある。
彼女はどこも学校には行っておらず、いつも向日葵の咲く公園のベンチに白いワンピースを身に纏い、僕がやって来ると隣へ座るように勧める。そして決まって、嘘か本当か分からない自分のことを話し始めるのだ。
彼女は遥か昔……それこそ源平合戦の時代から生きていて、東北の、とある漁村の出身らしく、生まれた時はとても体が弱く、それを憐れに思った彼女の兄が人魚を殺してその肉を食べさせたところ、老いることはなく殺したり自ら命を絶つような事がなければ永遠に生きられる命を得てしまったらしい。
彼女の噂はすぐに村人の耳に入り、いつしか漁の安全を祈願する神子として祭り上げられることになった。けれども、彼女はそうした生活を退屈に思う性格であったために、当時の恋人と手を取り村を出ることにしたそうだ。
しかし、恋人は程なくして寿命で命をなくし、放浪の旅の末、時代が江戸に入ると吉原の雨屋という遊廓で働いた。彼女は美しく黒の中にほんのりと螺鈿細工のように瑠璃色が輝く瞳が特徴的で、目鼻立ちがくっきりとした異国情緒のある姿であったから、当時もとても人気があり、しかも病気にかかる事も死ぬ事もない体ということで、ずっと、店に恩があり働いている狐だという設定で、花狐(はなぎつね)という名をもらい遊女から花魁に成り上がっても、ずっと働いていたのだそうだ。
店の主人は、とてもやり手の女で永遠の命を生きている彼女の話を聞いても、美しく人の目を惹き、まじめに仕事さえして貰えば大歓迎だと嫌がる事なく、次の代も次の代も、子孫に彼女の面倒を見ることを命じ、それは家訓として受け継がれ、今の時代も変わってはいないらしい。
煌びやかな着物を着て、毎夜男を相手にする仕事は彼女の性に合っていたようで、とても楽しく、それからも彼女は進んでそうした仕事を選んだ。
けれども時代が変わるにつれ、彼女の見た目の年齢ではそうした仕事はしにくくなってしまった。
だいぶ生きにくくなった、と彼女は言う。
けれども江戸の時代ではお姫様でも食べることができなかった、とびきり美味しい西洋のお菓子が食べられるのだから、今はすごく幸せよ。と、眩しい笑顔でにっこりと笑う……僕は、その笑顔が大好きだった。
そして話を聞いた後は、決まって二人でコンビニへ向かい新商品や、それぞれお気に入りのデザートを買って、向日葵のベンチで並んで食べ、僕の話を聴いて別れる。
それが僕たちの日常であった。
彼女はそんなある日、生まれた東北の漁村へ帰ると言った。
五ヶ月ほど前に大きな地震が起こり、村のあった場所……今は合併して一つの大きな街になったそうだが、そこも津波により壊滅的な被害があったというのだ。
すでに、お礼として吉原で働いていた時の持ち物である骨董品として価値のある簪や着物や宝物は世話をしてくれた一家に贈り、今は旅費としての新幹線代と、わずかなお金しか持っていないらしく、僕は、そんな彼女にどうしても想いを伝えたくて、ありったけのお小遣いを使って街で評判の洋菓子店へ駆け込み、ショートケーキを買い彼女に贈った。
そして、あれから十五年の月日が経ち、幾度もなく恋をしては無くし、そして運命の人に出逢った。
彼女は製菓学校を出て、有名なホテルでパティシエールとして働いている、とても快活で……初恋のあの少女を思い起こさせる女性だった。
彼女も東北の出身で、津波が起こり壊滅的な被害を受けた故郷に店を出し、十五年経っても完全には元に戻らない街の復興の手助けをするのだと毎日一生懸命に働いていて、僕はその姿を深く愛し、付き合って五年目のある日、結婚を申し込んだ。
幸せな日々ではあるが、僕はまだ初恋の甘い思い出に想いを寄せる事がある。
少女はいま、どうしているのだろう?
故郷の街に、受け入れられたのだろうか?
まだ、あの時と変わらない美しい姿で、あれほど好きだった、おいしいケーキを食べられているといいな、と。
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