第五話 ルージュ・ロワイヤル

 彼はいつも、日の出と共に私たちの元へ訪れる。

 ほんの少し結露のついた小さなガラスの庭園は、まだ昨日の日の温もりが残っているようで暖かい。

 冷たい空気が入ってくるから来ないでちょうだい、まだ眠たいと言っても…きっと彼は聞き入れてはくれないのだろう。

 奴隷のわがままを多少、聞いてやるのも主人の務めだ。


 それに今は、機嫌が良いから許してあげる事にしよう。…なぜなら今日は私たちが神から、野暮ったく醜い子供の姿から、美しく高貴な大人の姿の象徴である…真紅のドレスを着ることをようやく許していただける日。

 これで汚らしい虫どもの相手をしなくても済む。

毎日毎日、彼があいつらをつまみ出してくれるけれども、それでもどんどん湧いて来る…もう飽き飽きしていたところだ。

 さあ、香り高い香水を吹きかけ、私たちはふんわりと広がるシルクのような光沢が眩しい真紅のドレスをまとって、毎日の世話をしてくれる彼に私たちの美しい姿を見せてあげなくては。

 これが、私たち…高貴な主人が世話好きな奴隷にしてやれる至高の褒美なのだから。


 ああ…でも、彼は今日、とても機嫌が悪いらしい。

 奴隷の身分に関わらず、その大きな手で真紅のドレスを纏えた者たちから嫌だ嫌だと泣く声も聞く事なく、柔らかなベッドから無理やり引き剥がす。

 順番に、ぎゅうぎゅうに、狭い場所へ押し込められ息が止まってしまいそうだ。

 ようやくそこから這い出る事が出来たと思ったら、主人への無礼を叱る間も無く、力づくで、ようやく身につける事が出来た真紅のドレスを剥ぎ取られ、絶望に沈む私たちを、埋葬するように…白い、甘い、これは…砂糖だろうか?大量の砂糖が、すっかり貧弱になった痩せぎすの身体を押しつぶす。

 真っ赤な体液が流れ、砂糖に染み出したら、白ワインを適量。はちみつとレモン汁をひと匙。

 ほんのり、じわじわ熱くなり、そのままとろ火で煮込まれる。

 その途中で、乾燥させたハーブティー用のラベンダーとミントをほんの少しだけ刻んでいれると、甘いだけの香りの中に、ほんの少し、ハーブの爽やかさが加わる。

 ようやく火が止まり、あれほど豊かなボリュームのドレスを着て咲き誇っていた私たちが、醜く煮溶けて、姿もわからなくなってしまったけれども…ああ、自慢のドレスの美しい真紅は、まだその赤さを保っている。

 ほら、ご覧なさい。わたしたちの、花弁の美しさを。




 夜明けと共に起き出したはずなのに、朝のルーティンを終える頃には、もう、すっかりこんな時間になってしまった。

 時計は朝というより昼に近い時間を指している。

 ようやく眠たそうに、僕の隣で眠っていた彼女がやって来た。

 僕は先ほどまで作っていた出来立ての薔薇のジャムをたっぷりと皿に盛り、トーストと温めたミルクと一緒に食卓へ運ぶ。

 「今年咲いた薔薇のジャムだよ。どうぞ」

 彼女は僕の作るそれが大好きだ。

 たっぷりとトーストへ塗り、ミルクの中へも放り込むと、溶かして色褪せた薔薇の花弁と共に、淡いピンク色に変わったミルクを飲む。そしてとても満足そうに、子供のように笑って拙い言葉で僕の作る料理の美味しさを伝えるのだ。


 僕は薔薇の奴隷である。

 元来、こうしたマメな手入れや花が咲いたときの努力が身になる瞬間が好きな性格ではあるのだが、ただの植物などにそこまで情を注げるのは、毎年のこの時期、その年の出来立ての甘く仕立てた薔薇たちを、赤い唇で喰み、美味しそうにその体の中へ流し込む彼女が愛おしくて仕方がないからだ。

 僕は薔薇の奴隷である。

 しかし、それ以前に彼女の…恋の、奴隷なのだ。

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