第6話:成長

 アイレがインザームに”魔法”を教えてくれと頼んでから、数ヵ月が経過した。


 再び、あの”小川”にアイレは戻っていた。

 鹿の頸動脈を小型ナイフで切り裂くと、逆さにして血抜きをはじめた。

 さらに腸を抜き、余分な皮を綺麗にそぎ落とす。

 最後に丁寧に掌を合わせると、命に感謝をした。


「ありがとう」


 ゴブリンにやられた右耳と左肘は既に完治していた。


 鹿の血で汚れた手を川で丁寧に洗うと、”食べやすくなった”鹿を布で器用に包んだ。


「――よしっ」


 鹿の重さは個体差はあれど、平均で約42kg。アイレは重さを感じさせないほど

手慣れた手つきで鹿を肩に乗せた。


 腹減った~、と呟いた時、正面からゴブリンが現れた。


「ギィィ!! エ……ギギ……モォォォノ! ! !」


 アイレを見るやいなや、涎を垂らし、片言の言葉を発して

猛スピードでアイレに接近してくる。

 続いて、右手に持っていた石のこん棒をアイレの頭を目がけて力いっぱい振りかぶった。


 しかし、アイレは全く動じなかった。それどころか、丁寧に鹿を地面にゆっくりと置く余裕すら見せている。


「――ワンパターンなんだよ。ゴブ公っ!」


 ゴブリンの振り被ったこん棒が、アイレの頭に直撃する瞬間、回転するかのように回避すると、その遠心力を利用してゴブリンの心臓を背中から小型ナイフで突き刺した。


 ゴブリンは何をされたかわからないまま、右手に持っていた石のこん棒を地面に落として、口から緑の血を吐くとそまま地面に倒れた。


 アイレは以前とは比べ物にならないほどに、強くなっていた。

 それから、


「また洗わないと……」


 返り血を浴びた手を見ながらぼやいた。


 アイレは命がどれだけ尊いものなのか、誰よりも理解していた。

 そのため、反比例するように、自分の命を狙う者には容赦しないと決めていた。


 髪の毛は少し伸びており、前髪は目にかかり少し鬱陶しく見える。肉体も筋力が遥かに向上したよう感じる。


 再び鹿を持ち上げると、何事もなかったかのようにある場所へ向かった。


 ほどなくして、数ヵ月前にアイレが眠っていた場所の巨樹の家の下に到着した。

 大木がいくつもあり、上を見上げても木の先は確認できないほどの高さだ。


 小型ナイフを口にくわえ、布で包んでいた鹿を背中に背負うと、紐で強く結び、巨樹を登りはじめた。


 途中で落ちてしまえば、間違いなく死が待っているであろう高さでも、アイレの顔からは微塵も恐怖を感じさせない。


 息切れもせず、巨樹のてっぺん近くまで行くと、大木の一つに玄関と思えるドアが付いている。


――ふう。


 アイレはそのドアを開け、ただいまと呟くと、台所まで迷いなく進んだ。

 背中の鹿を無造作に置き、ナイフで鹿を更に小分けにした。その様子はかなり手馴れている。


 台所の横には木で出来ている冷蔵庫が置いてあり、扉には魔法の印が刻まれている。その扉をあけると、瞬時に周囲の空気を冷やした。


 冷蔵庫の背にはコードもついてないことから、魔法が関係しているようにようだった。

 小分けにした鹿肉を冷蔵庫に入れようとしたとき、手がつけられていない調理済の鹿肉が置いてあった。


「インザーム、また食べてないのか」


 数か月前、アイレがインザームに”魔法”を教えてくれ、と無茶なお願いをしたとき

インザームは意外にも快く引き受けた。どうせ暇だからのぅ、と言っていたが

内心アイレは驚きを隠せなかった。

 見ず知らずの自分を助け、さらには家まで住まわせ魔法を教えてくれる。何か裏があるような気がしていたが、一緒に過ごすにつれ、インザームのことを知るうちにそういう感情を抱かなくなった。しかし、インザームはよく自分の部屋に籠って何かの研究をしていた。

 アイレが問いただすと、魔法の研究が趣味とのことだったが、あまり部屋に入れたくないようでそれ以来、無理に聞くことをやめた。


  没頭して二日間も部屋に籠ってご飯を食べないこともあり、内心はかなり心配していた。


 アイレは獲れたての鹿肉の塊を、木のフライパンに豪快に入れた。

 下にはコンロと思わしき渦の形をした物が備え付けられている。その真ん中には、これまた魔法の印が刻まれている。


 少しすると、その魔法の印が赤く光はじめ、中心からパチパチという音と共に、火が灯った。


 アイレは鼻歌を歌いながら、鹿肉をじっくり焼くと、塩のようなものをふって木のお皿に盛りつけた。


 それからテーブルに座り、後ろの棚から木のナイフとフォークを取り出すと


「いただきます!」


 元気よく声をあげ、鹿肉にかぶりついた。ほんの数分ですべてを平らげると


「美味しかった……」


 ぱんぱんに膨れ上がったお腹を擦りながら、とても満足そうな表情を浮かべた。



――アイレは厳密にいうとインザームからまだ”魔法”を教わってはいなかった。そもそも、戦闘訓練はゴブリンから受けた怪我が回復してからということで、それまでアイレはインザームにこの世界についてを教えてもらっていた。


 まず最初はアイレがアニメで知っている異世界と、この世界で共通している部分がどのくらいあるのか、その照らし合わせからはじまった。


 アイレは”ゴブリン”を知らなかった。いや、実際には”わからなかった”

 アニメで見ていた魔物と、実際に対面する魔物は大きく違う。


 アニメでスライムを知っている人物が、リアルで透明な液体に遭遇してそれを”スライム”と、すぐに認識できるだろうか?


 インザームは多くの書物を所持しており、怪我が治るまで暇つぶしにアイレは読書をしていた。時折、わからない部分もあったが、元の世界で本を読むのは好きだった。

 

 一番気になった”魔法”については、アイレの認識とほとんど同じだった。ほとんどの人が一定の魔力を体に有している。魔力の量に差異はあれど、自由にコントロールさえできれば、無から火や水を出現させたり、さらに強力な魔法を放つことも可能だという。


 だが、大きく異なった部分があった。


 この世界の魔法は、生来魔族や魔物が使用する強力な魔術。そのため、人間と比べると、威力が桁違いだった。

 魔族の魔法の威力が「100」とするとならば、人間が放つ魔法は個人差もあるがせいぜい「10~50」程度。


 極めて稀だが、魔族や魔物と同等以上の魔力を持つ人間もいるとのこと。だが、普通ではありえないとインザームも言っていた。


 要するに人が魔法だけで、魔族や魔物と対峙するのは難しいとの事だった。無論、ゴブリンのような低級な魔物は別だが


 実際にインザームも魔法は一つの手段として利用し、主な戦闘は鎌で戦う。


 だが、例外も存在する。この世界で唯一”エルフ”という種族だけは”精霊魔法”を使用することができるため、有した魔力量と威力が比例しない。


 普通では目に見えない精霊が、魔法を手助けしてくれるからだそうだ。


 それ故、魔族と同等の強力な魔法を放つエルフもいれば、特殊な魔法を使うエルフもいるとのこと。


 また、ドワーフ、獣人など、人間と異なる種族は大勢いる。インザームは自身をドワーフだと名乗っていた。これはアイレも何となくわかっていたが、背が低いお爺ちゃんだと思った、と冗談で言ったとき、インザームは激しく怒った。

 アイレはそれ以来、からかうのをやめた。


 調べてみてもらった所、アイレの体にも魔力は流れているとのことだった。しかし、付け焼刃の魔法を学ぶよりは、まずは戦うことの精神力と、根本的に肉体を鍛えるほうが良いとインザームに言われた。


 ちなみにこの森は無人島で、アイレは元の世界のようにまだ「孤島」で生活しており、転生しても変わらないなと嘆いていた。


 一ヵ月ほどでゴブリンから受けた傷が治ると、食料の調達方法(鹿や兎)から巨樹へ登り方から全て教わった。つまりは、”家に帰る”だけの簡単なことだが、アイレはそれにかなり手こずった。


 途中で落下すれば確実に死がまっているもそうだが、筋力も大事だからだ。また、アイレは常人に比べて”死”に関して違う感覚を持ち合わせていた。


 元の世界で常に死と隣あわせだったアイレは、死を目前にしても冷静に物事を考えることができた。

 ゴブリンのときがまさにそうだったように、これは戦闘における大事な能力であった。 


 そして三か月目、ついに戦闘訓練がはじまった。


「まずは何をしたらいいんだ?」

「まずはそうじゃの、戦うことに慣れてもらうぞ」


 インザームは白い髭をわしわしと触りながら、気軽に言った。


 この孤島は全体が魔力を帯びており、低級の魔物が良く出現するとのことで

まずはゴブリンを探すところからはじまった。


「でもなんでこんな島に一人で?」 とアイレがインザームに聞くと「木が多くて落ち着くからかの」とだけ答えた。


 戦闘訓練は単純明快で、ゴブリンを見つけたら、一騎打ちをする。というのを繰り返す。


 「実践に勝る訓練なし」 がインザームの口癖で、アイレは何度もゴブリンと戦った。

 ゴブリンの攻撃は基本的に上から下にこん棒を振り下ろすか、横に薙ぎ払うという単純なパターンしかない。 落ち着いて戦えば、子供ですら勝てない相手ではない。

 だが、戦いそのものに慣れていない場合は違う。怯えたり、勝てないと悟ってしまうと恐怖で体が竦み動けなくなる。勝つのではなく、冷静に視る。それがインザームのはじめの教えだった。


 心臓スレスレを鋭利な木の棒で刺されたこともあったし、石のこん棒を後頭部に直撃した事もあったが、そのときだけインザームは急いで治癒魔法をアイレに使った。


 「えーと……治癒魔法が使えるなら、俺が左肘を折ったとき、なんで使わなかったんだ……?」とアイレが思い出すように問いただすと

「治癒魔法はできるだけ使わんほうが良い。これは自然治癒力を向上させてるだけに過ぎぬ、少なからず、寿命を縮めているようなもんじゃ」

と答えた。


 治癒魔法は危険とアイレは脳内に刻み込んだが、同時に訓練で寿命が短くなっている事実に悲しんだ。


 それから数ヵ月、アイレはゴブリンと何度も、何度も、何度も、何度も戦った。

 

 スポーツもしたことがないアイレにとっては、地獄のような日々だったが、決して弱音を吐く事はなかった。

 これもすべて、ヴェルネルとレムリに会うため。この世界で生き抜くためと、自分に言い聞かせた。

 それに病院で死を待つだけの時と比べて、遥かに楽しい気持ちもあった。


 アイレはインザームに元の世界の病気の事は一切話さなかった。過去を忘れたい気持ちが強くあったからだ。

 

 それから約半年間、ほとんどの時間をインザームと過ごした。元の世界では天涯孤独だったため、まるで父親のように感じはじめていた。


 時折、叱られることもあったが、それすらも嬉しく感じていた。


 アイレが鹿肉を全て平らげて、満足気に天井を見上げていると、インザームが部屋からようやく出てきた。


「インザーム、鹿肉ちゃんと食べろよ。体壊すぞ」


「そろそろ、次のステップに移ろうかと考えていたところじゃ」


 インザームは白い髭をわしわしと触りながら、悪びれることなくアイレを眺めた。


「次のステップって?」


「人間もそうじゃが、生物は”死”に直面すると、とんでもない力が出るのは知っておるか?」


「知ってるよ。火事場のクソ力だろ?」


 アイレは最初のゴブリンのことを思い出した。


 急所に木の棒を突き刺したにもかわらず、最後まで足掻き続けてもの凄い力で襲ってきた。あれはきっと「火事場のクソ力」だろう、と。


「ふむ。その言葉はわからんが、知っておるならよい。あれにはちゃんとした理由があっての。体に流れる魔力を無意識に集中させることでそういう現象が起こっておる」


「つまり、どういうことなんだ?」


「アイレ、お主も無意識でやっておるだろう。敵を倒すとき、ジャンプするとき、力を入れると同時に魔力を集中させておるのじゃ。死が目前に迫ると、さらに研ぎ澄まされ飛んでもないスピードで走ったり、何倍もの力を出すことができる。無論、限界はあるがの」


「言っていることはわかるけど……。どうしたらいいんだ?」


「死を間近に感じることが、一番の体得方法じゃが、お主は少し変じゃからのぅ。恐怖心が少なすぎるのじゃ」


 それはアイレも自分のことながら感じていた。”死”が目前に迫れば迫るほど、頭が冴えていく。

 この異世界で襲われたときも、恐怖で震えたとしても、諦めることは一度もなかった。す


「そう言われても……」


「このまま修行をしていれば、お主ならすぐ身に着くだろう。じゃが、何事もはやいほうがいいじゃろ?」


 インザームは少しだけ嬉しそうな表情をしていた。それを見てアイレが


「まぁ……そりゃ、俺だってはやいほうがいいけど……どうしたらいいんだ?」


「ふむ……そうじゃな、こっちへ来い」


 インザームは顎に手を置いて少し考えると、ガラスのない木の窓の前に歩き、ちょいちょいとアイレを呼び寄せた。


「アイレ、窓の外にある、あの木の枝は見えるか?」


「どれだ?」


 インザームは窓から木の枝を指さした。アイレは疑問を抱きながらも、言うとおりに身を乗り出しながら枝を探した。


「魔力の操作において必要なのは、死ぬかもしれない。と心から本当に思うことが大切じゃ――」

 インザームは突如、アイレの背中を力いっぱい押して窓から突き落とした。


「……なっ!?」


 巨樹の高さは約30メートル。マンションでいう所の10階建て

 アイレが地面に激突するまで


 残り2.47秒__

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