第7話:本音

  アイレが地面に激突するまで、残り2.45秒。


 アイレは巨樹きょじゅの窓からインザームに突き落とされた。

 大きな叫び声を上げ、ぐんぐんと地面に近づいていく。


「うそだろおおおおおおおおおおおお」


 あまりの突然の出来事に、さすがにアイレも「死」を初めて覚悟した。が、

それでも、今まで培った戦闘経験により「0.3秒」という非常に速い速度で状況を打破しようと思考を切り替えた。


――しんで――たまるか――ああああああああああああああ


 残り2.15秒


 アイレは空中でバランスを取りながら、背中に帯刀していた小型ナイフを取り出すと、すぐさま刃を巨樹にめり込ませた。


 ナイフは木を縦に切り刻みながら、アイレの落下速度を著しく低減させたが、耐え切れず根本から折れる。


「くそぉっ!」


 残り1.15秒


 アイレはナイフが折れる瞬間に、木を大きく蹴り上げた。


 残り0.90秒


 横の慣性が加えられたことにより、さらに速度が落ちる。


「――まだ足りないか――」


 ここでアイレの身体に不思議なことが起きた。まるで周囲がスローに見えるような、そんな感覚に陥った。


――な、なんだこれは


 その不思議な状態のまま、身体に力を漲らせると、今まで感じられなかったような感覚が隅々まで行き渡った。


 血の循環も、心臓の鼓動も、手に取るように感じる。だが、アイレはそのまま地面に落下した。大きな爆音をあげ、砂埃が周囲にう。


 残り0秒。


 しかし、アイレは生きていた。体中に激痛を感じるが、不思議な感覚も身体中が包んでいる。



「あの……爺ぃ……まじで殺す気か……」


 アイレは仰向けで空を見上げながら、インザームに悪態をついた。ほどなくして

器用に枝を乗り継ぎながら、インザームが降りてきた。


「どうじゃ? 死んだかと思ったじゃろ?」

 

 その言葉と表情には、申し訳ないという表情は浮かんでいない。


「当たり前だろ……てか、ほとんど死んだ……」


 インザームは悪ぶれることなく、白髭をわわさわしながら

アイレを見て笑みを浮かべた。


「アイレ、お主なら生きれると思っておったぞ。それに、身体中に魔力が流れておる。凝らさずとも見えおる」


 インザームの言葉の通り、アイレの身体には異変が起きていた。まるでゼリーに包まれたような感覚で、そのおかげでダメージは大幅に軽減された。


「それが魔力じゃよ。防御に回すことも、攻撃に回すことも、己次第じゃ。これでようやく、スタート地点に立ったのぅ」


「へっ……へへ」


 アイレは魔力という言葉に笑みが零れた。死ぬという恐怖より、少しでも前に進んでいるという気持ちがアイレを支えた。


 「治癒力も上がっておるじゃろう。じゃが、これからが大変になるぞ」


 「しかし……ほかにやり方はなかったのかよ……」

 

 「早いほうが良いと言ったのはお主じゃよ? ほれ、はよう動かんか。わしはもう寝ようかのぅ」


 インザームは笑顔のまま体重を感じさせないほどの軽い足取りで巨樹を登っていった。


 「ぜってぇ……しばく……」

 

 アイレは意識を失いそうになりながらも、最後の気力で悪口を呟くと、

本当に意識を失って少し眠りについた。


「……すまぬな、アイレ」


 家の扉を閉めた後、インザームは悲しげな表情を浮かべた。


 インザームの言う通り、アイレの自己治癒能力は大幅に向上していた。これで”魔法”が使えるようになるのか? とワクワクしたが、そんな甘いもんじゃないわいと一喝された。


 全身の打撲は一週間もたたずに全快したが、アイレの機嫌が治るには二週間の時間が必要であった。


 そして、いつしかの夜。


 いつものようにアイレとインザームは食卓を囲っていた。ふとした瞬間、アイレはインザームに以前の病気のことを初めて告白した。どれだけ辛くて怖かったのか、勿論ヴェルネルとレムリのことも。


 何をして遊んでいた、二人はどんな物が好きで、どんな性格だった、

 異世界アニメの話も。ヴェルネルとレムリが亡くなってから、次々と死んでいく仲間達を看取りながら、自分も恐怖に震えていたことも全てさらけ出した。


 アイレは今まで弱音を吐いたことがない。それでもインザームには聞いてほしかった。知ってほしくなった。


「……それはつらかったろうに」


 インザームはアイレの話しを最後まで聞いて、いつもとは違う表情を浮かべていた。


「……ああ。でも、今は元気だ! ヴェルネルとレムリの行方もまだわからない。まだまだ頑張らないとな!」


 インザームはゆっくりとアイレに近寄ると、静かに、そして強く抱きしめた。


「……インザーム?」


「もう大丈夫じゃ」


 その言葉でアイレはずっと堪えていた「恐怖」や「不安」が心からあふれ出した。まるで全力で手で押さえていた蓋が外れたかのように、大粒の涙を流した。


「やめろよ、恥ずかしいよ……」 


 アイレは少し抵抗しがた、インザームは静かに抱きしめ続けた。アイレは誰よりも心が強くとも、まだ15歳。


 そんなアイレをインザームは優しく包んだ。 この世界に来てからも決して弱音は吐かなかった。レムリが死んだときも、ヴェルネルが死んだときも、ゴブリンに襲われたときも、ずっと知らずに気丈に振る舞っていた。


 そのうちアイレは子供のように泣き喚いた。


 その間もずっと、ずっとインザームはアイレを抱きしめた。


 ――数日後。


 ゴブリン如きでは、アイレはもう負けないということで、今日から本格的な戦闘訓練が始まった。


 次の相手はインザーム。


 巨樹の家から、2キロほど南に歩くと、大きな浜辺がある。地平線に広がる海が綺麗に蒼く光り輝き、微粒の貝が散らばっていて、白い砂浜と相まってまるでリゾート地のような場所に、アイレとインザームは武器を構えて向かい合っていた。


 インザームはゴブリンを倒したときの「鎌」を持ちながら、いつもとは違う、戦闘用の薄手の茶色の布を着込んでいる。いわく、お手製。


 アイレも同じ茶色の布に鼠色のパンツを履いている。両手には逆手持ちで短剣を二本構えている。

 アイレは幾多にも及ぶゴブリンとの戦闘により、自身の最大の攻撃はその瞬発力と速さにあると理解していた。そのため、導き出した答えは攻守ができ、重さもそれほどない短剣であった。


 元々は一本だったが、直前でインザームに借りると、これが自分のスタイルだと確信した。


「ほぉ、考えおったのぉ」


 アイレが二刀流の構えを見せたのは、これが初めてである。


「お、いかんいかん」


 インザームは鎌に手をかざすと魔力を込めはじめた。手の甲に蒼い光が輝くと、それが流し込まれていく。


「……切れぬように魔力でコーティングした、安心するがよい。じゃが、これでも骨の一本や二本は覚悟せんといかんぞ。アイレ、お主はそのままで来い」


 インザームは再び戦闘態勢を取った。


「初めから全力でいかしてもらうぜ――」


 アイレは屈伸をしたあと、気合を十分にいれると、半年前とは比べ物にはならないほどのスピードでインザームに向かって真正面から突っ込んだ。


「……ほう」


 その姿にインザームから笑みが零れる。そのままアイレはインザームに攻撃を仕掛けた。二刀から繰り出される短剣の連続攻撃はかなりの手数だった。が


 そのすべてを鎌で難なく捌き切ると、アイレの横腹を薙ぎ払った。魔力でコーティングしたとはいえ、木刀並の硬度は誇っている。


「まだまだじゃ!」

「――がぁっ!!」


 アイレはその衝撃で吹き飛ぶと、地面を回転しながら倒れこんだ。それを見て、インザームは白い髭をワシワシと触りながら、


「アイレ。もう終わりかの?」


 軽口を叩いた。アイレはなんとか起き上がり、口に入った口を唾液と共に飛ばすと地面に落ちた短剣を拾って、再びインザームに突っ込んだ。


 だが、何度やっても結果は変わらなかった。アイレはインザームに一撃を与えるどころか、体にかすりもしない。


「ふむ、アイレ。お主のスピードは確かに速い。見事じゃ。じゃが、単純すぎる。体重移動もお粗末で見てられん。まだまだじゃの」


 アイレは何度も倒され、そのたびに立ち上がったが、攻撃が届くことはなかった。


「……ち、ちきしょう……」


 アイレが気を失ったところで、その日の戦闘訓練は終了した。


 だが、次の日、そのまた次の日も、アイレはインザームに倒されつづけた。


 そしてある日の夜、インザームがキノコと鹿肉のソテーを調理して

それを二人で頬張っているとき、


「なぁ、インザーム」


「なんじゃ?」


「……どうやったら勝てるんだよ」


「努力と経験と才能じゃの、あ、どれも足りんか……」


 インザームは笑いながらアイレをからかったが、悔しさのあまり何も言い返せずに黙っていると、


「アイレ、お主が感じたことを思い出せ。ここはどんな世界だ?」


 インザームはその言葉を残すとすぐに自分の部屋に戻った。アイレはその日の夜、インザームの言葉の意味を考えながら、その日は眠りについた。


 そして翌日。いつもの浜辺。


「ほれ、いつでもいいぞ」


 アイレはインザームの挑発に乗らず、静かに目を瞑り深呼吸した。流れる魔力を集中させ、身体の隅々まで染み渡らせるようなイメージで。


「……ほぅ」


 インザームが笑みを零したとき、アイレは目を開けた。その瞬間に足に魔力を集中させると、地を蹴った。


 脚力だけではない、魔力を通わせた脚はまるで飛ぶような速さでインザームとの距離を詰めた。


 それから、アイレは右手で攻撃をするときは、右手に魔力を集中させ、左手で攻撃をするときは、左手に魔力を集中させた。


 その連続攻撃は常人の人間が反応できる限界速度を遥かに上回っている。ところが、インザームはアイレの気持ちを苦だけ折るかのように、すべてを捌き切ると、横腹に一撃を与えた。


 しかし、アイレは鎌の攻撃を受ける際に、横腹に魔力を集中させ、防御力を格段に向上させた。


「いいぞ、アイレ。戦いとはそういうことじゃ」


 しかし、アイレの健闘空しく、何度挑んでもインザームに一撃与えることはできない。


「アイレ、良い動きをしておるぞ。並の魔物や人間なら太刀打ちはできぬだろう」


「はぁっ……はあっっ……くそ……でも、一撃も与えられねえ‥…よ……」


 肩で呼吸を整えながら、諦めかけていたアイレに、インザームはいつになく真剣な表情で口を開いた。


「アイレ……ワシはお主に黙っていたことがある」


「……黙っていたこと?」


「ワシに一撃を与える事ができれば教えてやろう」


「……なんなんだよ」


 インザームの唐突な申し出に、アイレは身構えた。こんな表情は今までみたことがない。


「……ヴェルネルとレムリの居場所を教えてやろうと、いっておるんじゃ」


「ヴェルネルとレムリだと!? どういうことだよインザーム!」


「知りたければ、ワシに一撃を加えてみろ」


 ヴェルネルとレムリ、という名前を聞いたときアイレの顔色が変わった。呼吸を整え、アイレは恐るべき集中力で魔力を集中させた。


「……ヴェルネルの言った通りじゃの」


 インザームがアイレには聞こえない声で囁いた。


 それからアイレはいまだかつでないほどのスピードで地を蹴って距離を詰めた。

二刀の短剣で次々に連続攻撃をは放つと、インザームですら防ぐのがやっとで反撃をする暇もない。


 アイレがインザームのガードの上から何度も攻撃を加えインザームが少し体制を崩した隙を見逃さずに、インザームの顔に一撃を加えようとした――


 インザームはそれを紙一重で躱したが、頬に赤い線が一筋走った。


 それをみて、アイレは我に返ったように声を上げた。


「……インザーム! すまねぇ! 大丈夫か!?」


「……よい。よくぞここまで強くなったな。ヴェルネルも嬉しく思うだろう」


 アイレはインザームの先ほどの言葉を思い出し声を荒げた。ヴェルネルとレムリの居場所。


「ヴェルネルを知ってるのか!?」


 アイレの言葉に、インザームは続けた。


「ああ、もちろん知っておる。ヴェルネル……そしてレムリの事も」


「どういうことだ!? 二人は今はどこにいるんだ!」


「ワシは……ヴェルネルとレムリと旅をしていた、今は本当に懐かしく思える」


 アイレはインザームの懐かしいという言葉に違和感を覚えた。



 インザームは更にそのまま話を続けた。



「ワシがヴェルネルとレムリと一緒に旅をしていたのは30年前の話だ」

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