第3話:異世界の魔物

 異世界転生に成功したが、アイレはどうすればいいのかわからなかった。

 外の世界に出たのも、初めてに近いからである。しかし、目的はあった。

 それはヴェルネルとレムリを探すこと。

 たった一つの希望と目的を胸に抱いて、アイレは立ち上がる。


「よし、行くか!」


 自身を奮い立たせる意味でも、大きな声で言った。

 ここでようやく、アイレは自分の服装に目を向けた。白いワンピースのような病院着に靴は履いていない。


「金もねえ……」


 悲しげな表情を浮かべながら肩を落とした。それからまずはこの森の中がどこにあるのかを調べようと、手頃な木を探した。

 木登りなどしたことはないが、ここへ来てからなぜか身体が軽いと感じている。登れそうな大木を見つけると、脚を掛けてするする登る。裸足のせいで、少しだけ足裏を切ってしまったが、苦痛には慣れっ子だった。


 ある程度の高さまで登ると、木々を掴みながら遠くに目を凝らした。

 けれども、見渡す限り森が続いている。


「森だな……」


 木の上でもう一度肩を落とした。

 早くも心が挫けそうになりながらも、こんなところで夜になってしまうと危険だとわかっている。

 丁寧に木から降りて、とにかく歩き出した。


「水が飲みてえ……」


 本能的に呟きながら、川か何かないかなと耳を傾けながら歩いていると、どこからともなく水の流れる音が聞こえた。


「どこだ……?」


 音が鳴る方向に歩いていくと、視界の先に川辺が見えはじめる。すでに太陽が隠れようとしていたが、水さえあればなんとかなるだろうとほっと胸を撫で下ろした。喜びから駆けようとしたが、ヴェルネルが言っていた言葉を思い出して冷静になる。


『水はどんな生物も欲しがる』と。


 アイレたちは、いつ異世界転生してもいいように色々な話しをしていた。その中の一つの言葉だった。

 水を飲みたい気持ちを抑えて、木々の間から注意深く観察した。危険な生物はいないか、あるいは危険な魔物はいない、か。

 

「いない……よな?」


 それから数十分経っても、幸いに何か見つかることはなかった。生物が本能的に水を干しがるように駆けると、そこは透き通るほど綺麗な小川だった。どうやら、山の上から下に下っている。

 蛇のようにうねっていることもあって、先のほうまでは見えないが、これを辿って行けばどこかに出られるんじゃないかという希望も抱いた。

 ただ、今はそんなことよりまずは水が飲みたくて仕方がなかったので、顔から突っ込むようにしゃがみ込む。


「んっ――」


 ゴクゴクと喉を潤しながら顔をあげると、生きているという感覚が舞い戻ってくる。

 同時に神経の糸が切れてしまう。今まで警戒していた心に綻びが生まれた瞬間、それを待っていたかのように鋭い音がアイレを襲った。直後、右肩に熱を感じる。


「痛っ――!」


 痛覚を感じて右肩に視線を向けると、ナニカが皮膚を突き破って刺さっている。

 これは――


「矢!?」


 認識した直後、激痛が走る。注射とは違う、体を傷つけるためだけに作られた痛みが走る。


「いってええええええええええ」


 思わず叫んだとき、足音が聞こえる。荒い呼吸のまま森に目を向けると、人影が見えた。

 まるで子供のように小さい。そしてその人影は近づいてくる。

 激痛で歯を噛みしめながら目が離せない。


「ギ……ギギ?」

「な、なんだよお前……」


 現れたのは、見たこともない化け物だった。全身は深緑色をしていて、人間にはない鋭い歯と大きな鼻。

 耳はピンと尖っていて、目の色は赤く充血している。

 本能的にこいつが矢を放ったと気付いた。化け物の名前はゴブリンと呼ばれている。

 アイレに威嚇するかのように舌をベロっと出すとご馳走だと言わんばかりに鼻息を荒くさせた。


「ギギギギギ!?」


 鋭い歯をギシギシと鳴らしながら、奇声を発した。そして、背中から大きなこん棒を取り出した。

 木で作られたような剥き出しのゴツゴツとしている。あれは獲物を殴る物だとわかった。


「うそだろ……」

「ギイイイイイガアアアアアアア!!」


 突如、ゴブリンは涎を垂らしながら猛スピードでアイレに向かった。アイレは思わず後ずさりしたが、後ろは水辺である。

 ゴブリンはその勢いを殺すことなく、右手に持っていたこん棒を顔面目掛けて振りかぶって来た。


「ち――きしょう!」

 

 アイレは寸前のところで躱したが、完全に避けきることができずに、耳から血が吹き出た。

 思わず顔を苦痛で歪めると、耳の付け根が千切れかけているとわかった。血が頬を伝う。


 ゴブリンは避けられらことに憤慨しながら、再び振り返ると再度攻撃を仕掛けてきた。

 アイレはまたもや避けることに成功したが、態勢を崩して小川に倒れ込む。


「ギギギギ!!!」


 アイレは尻餅をつきながらすぐに振り返る。ゴブリンはチャンスだとわかっているのか、嬉しそうに笑っている。

 片手で持っていたこん棒を両手に持ち替えると、ゆっくりと歩みより、大きく振りかぶった。


「嬉しそうに――してんじゃねえ!」


 しかし、アイレは諦めない。右肩に刺さっていた矢を勢いよく引き抜くと、形状も見ずにゴブリンの喉に突き刺した。

 肩からブシュッと血が噴き出したが、無我夢中で痛みは感じていない。


「ギャアアアアアアアアアア」

「この野郎!」


 アイレは悪態をつきながら力いっぱい矢を押し込む。やがて、ゴブリンから緑の血が噴き出してくる。

 激痛を感じてからか、こん棒を小川に堕とすとようやく膝をついた。


「はあはあ……」


 呼吸を整えながら、アイレは手を離して膝をついた。すると、そのまま息絶えるかと思っていたゴブリンが最後の力と言わんばかりに襲いかかってきた。喉元にはまだアイレが刺した矢が残っている。


「ギイイイイイイイイ!」

「何なんだよ、お前はあああああああ!」


 もみくちゃになりながら、アイレは必死にゴブリンの頭を掴むと、力いっぱい小川に顔を突っ込ませた。


「死ね、死ね!!!!」


 溺死させようと、今までにないくらい必死な形相で強く抑えつける。頭は恐怖でいっぱいだった。

 ゴブリンは必死に抵抗するが、アイレの力に敵わず、そのままゆっくと抵抗が減っていく。

 耳障りだった高音の悲鳴は、段々と小さくなる。すると、緑色の血が小川に広がっていった。それでも、アイレはゴブリンから手を離すことができない。

 また動き出すんじゃないかと震えていたが、さすがにピクリともしなくなったので手を離す。


 ゴブリンはゆるやかな小川の上で倒れ込んだまま息絶えた。


「ちくしょう……もっと……よわっちぃのにしろよ……」


 恐怖で震えながら、アイレは小川で膝を突いた。肩がズキズキと痛む。血が止まらない。

 千切れかけの耳から血が垂れている。心臓はすごい速さで鼓動していて、もう一歩も動けないと思った。


「戦いって……楽じゃねえな……」


 しかし、初めての命のやり取りに少なからず喜びを感じた。そのとき――


「ギギギギ?」


 聞き覚えのある声がする。思わず視線を森へ向けると、待っていたのは絶望だった。

 ゴブリンが四体。手にはこん棒を持っている。


 アイレの足元で倒れているゴブリンを見つけて、同胞の仇だとわかったのか、興奮しはじめた。


「ギギギギギ!!!」

「ギー!」

「ギギッギギッ」

「ギャアアアアピアアアアアアアアア」

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