第2話:異世界転生
レムリの死後、ヴェルネルは自室に籠りきりになった。
臆病な自分への嫌悪感とレムリへの罪悪感が心を蝕んでいたからだ。
二ヶ月が経過しても、ヴェルネルは必要最低限以外、誰とも会話もせず、目を合わせることもなかった。また、その間にアイレが訪れることもなかった。
アイレにとってレムリの死去は耐え難いものだった。ヴェルネルを恨んでいるわけではないが、どう接していいかわからなかったのだ。
この施設では、子供一人一人に個室が設けられている。もちろん、望むことで集団部屋に移ることも可能だが、意外にもほとんどが一人部屋を欲しがった。
その理由は様々だが、深夜に泣き声や悲鳴が聞こえることが関係していることは間違いなかった。
またどの部屋にも扉は付いていない。有事のときに邪魔になるのと外から中を確認するためだ。なぜなら、一人で亡くなってしまうこともがいるからであった。
アイレは部屋の隅っこで天井を眺めていた。レムリの死後、抜け殻のようになっていたのはヴェルネルだけではない。
すると、入口から人の気配がした。ヴェルネルだ。ヴェルネルは近くの壁をコンコンと叩いた。そして、
「……アイレ、レムリのそばにいてくれて本当にありがとう。弱虫でごめんな」
涙を堪えながら、ハッキリと伝えた。この言葉を伝えるのに三か月もかかってしまった。自らの弱さを認めて、アイレと一緒に前へ進みたいという気持ちの表れだった。最大限の感謝の表れでもあった。
それを聞いたアイレはゆっくりと立ち上がるとヴェルネルに歩み寄る。
「おせえよ。――レムリは俺たちを待っているはずだ。だから、寂しくないよな」
「……ああ。そうだな、アイレ」
アイレは右拳を突き出して、ヴェルネルもそれに応えた。レムリの死後、二人の初めての会話で久しぶりの笑顔だった。
その日を境に、二人はまた一緒に遊べるようになった。いつものアニメを見終えても戦争ごっこをすることはなくなったが、代わりにレムリとの思い出話しを語るようになった。
「アイレ、レムリのこと好きだっただろ?」
「うん、好きだった」
「……ヴェルネルは?」
「僕も……好きだったよ」
あんなこともあったな、こんなこともあったな、笑い合い、涙を流し、二人はいつまでもレムリが傍にいると思って話していた。”三人”はいつも一緒だったのだ。
しかし、それから一年後、ヴェルネルの容態が悪化した。
ヴェルネルは外国人と日本のハーフだった。国籍はわからないが、綺麗な金色の髪に蒼い目をしていた。みんながそれを羨ましいがっていたが、一夜にして真っ白になってしまった。
肌はレムリのようにしわくちゃになり、宝石のようだった蒼い目は色素が消え失せ、真っ白くなっていた。
知らせを聞いたアイレが病室に訪れるとヴェルネルの体は無数のチューブで繋がれていた。
それでもアイレの心は揺れ動かない。手をぎゅっと握ってから優しく声をかけた。
「ヴェルネル、俺はここにいる。安心してくれ」
「……アイレ……か?」
残された意識の中、ヴェルネルは掠れた声でアイレの名前を囁いた。目がほとんど見えなくなっている。
「ああ、俺だ。眠ってるところ悪いな」
「……夢を見ていたんだ……。異世界に転生して、僕はレムリと会った。そして、そのうちアイレとも合流して世界を廻っていた……」
「俺も行くよ、ちゃんと待っててくれよ。先に魔王を倒すとか駄目だぜ」
アイレは怖かった。ヴェルネルがいなくなればアイレは一人ぼっちになる。他の仲間たちがいたとしても、二人はかけがえのない親友だからだ。
「僕は……先に待ってるよ……。あんまり遅かったら、本当に魔王を倒してるからな……急げよ……」
「ばか、俺がいないとダメだろ」
「レムリに……謝りたい……」
レムリの死後、ヴェルネルはずっと後悔していた。死に目を見れなかったこと、自分が弱虫で自己中心的なやつだと、卑下することがあった。
「ヴェルネル、レムリは笑顔で許してくれるよ。そんなの気にしてたの? ってな」
「そうだといいな……」
自らの死期を悟ったヴェルネルは、最後の力を振り絞って体をアイレのほうに傾けた。そして、アイレに右拳に拳を突き出した。
「アイレ……」
「ああ、また会おうな」
アイレはヴェルネルに力強く拳を合わせる。それが、最後の家族の絆だった。
その数秒後、ヴェルネルは息絶えた。
ルナー症候群は古来ドイツ語でヴェルネル。その意味は、勇気ある戦士。病気から真っ向勝負を挑んでやる、とヴェルネルはその名前を自身に付けた。
最後まで勇敢に戦ったが、十四歳で生涯を終えた。
それから一年後。アイレはまだ病院で過ごしていた。その間にも、大勢の子供たちが病気を発症して死亡している。
アイレはその度に病室に駆け付けて、励ましの声をかけ続けていた。
ほかの子供たちは、アイレと違って病室に訪れることはない。きっと、ヴェルネルと同じで怖かったなんだとアイレは気付いていた。
それから一年後が経過した。そのあいだにも、大勢の子供が病気を発症して亡くなった。
アイレはそのたびに、一人で病室に駆け付けた。絶対に寂しい想いをさせたくはないと、勇気を振り絞っていた。
そんなアイレのことを誰もが慕っていて、いつも自由室でアイレは人気者だった。
しかし、今は自由室に子供はほとんどいない。なぜなら、アイレを含めて五人だけしか施設にいないのだ。
そしてついに、アイレたちが見ていたアニメが最終回を迎える。アイレはいつの日からか、勇者と魔法使いの姿にヴェルネルとレムリを重ねていた。
二人は異世界転生をしていて、アイレを待っているに違いないと思っていた。だから、死ぬのも悪くないかもしれないと考えていた。
それが事実かどうかは別として、希望を持ちたかった。
最終回の時間の時間になったので、アイレは自由室に向かった――そのとき、視界が歪み、地面に倒れてしまった。喉が焼けるような熱さを感じる。目は針が突き刺されているように激痛だ。
咳き込みながら、アイレは今までの仲間がこんなに苦しかったのかと驚いた。
次に目を覚ますとベッドの上で横になっている。
「こんな天井になってたのか」
まだ声が出せると喜びながら、上を見ながら呟いた。そういえば、一度も見たことがなかった。ふと腕を見ると見慣れたチューブが繋がっている。
「はは……同じだ」
なぜか笑みが零れた。今までの仲間と同じだったことが、ほんの少しだけ嬉しかった。同時に死を覚悟する。
電子音が聞こえないことで、耳が機能を失っていることに気がついた。その瞬間、アイレは自分の心臓の鼓動を強く感じた。血液が全身を巡っている感覚も初めてだった。
死が近づいているにも関わらず、身体はまだ死にたくないと足掻いている。
直後、病室の扉が勢いよく開いた。僅かに動かせる視線だけで隣を見ると、いつもの仲間だった。目の前のガラス越しには、普段は見たことがない職員の姿もある。
「アイレにいちゃん!」
「アイレくん」
「アイレぇ……」
何か言っているのはわかるが、アイレの耳には届いてはいない。それでも、励ましの声をかけ続けてくれていることはわかる。
「死にたく……ない……」
アイレは心からの願いを呟いた。死というものがリアルに感じる。
ヴェルネルとレムリのことを考えた。
もう一度、もうひと目、二人と会いたい。まだ死にたくない。
アイレの強い願い想いとは裏腹に、心臓の鼓動は小さくなっていく。最後の力を振り絞って、右拳を天井に突き出そうとしたが、すでにそんな力は残されてはいなかった。
「……ま……だ……」
そして、アイレは誰よりも大勢の人に看取られながら息絶えた。
アイレと言う名前は、外国語で家族や絆と言う意味。誰よりも仲間を大切にしたいという強い願いから名付けた。その名に恥じない生き方をしたと誇りに思っていた。十五歳でその生涯を終えた。
――かに――思えた。
どこからともなく――声が聞こえる。アイレは浮遊感を感じながら、それでいて肉体は感じられなかった。
『ねえ、アイレ?』
「誰?」
『まだ生きたい?』
「生きたいよ」
『どのくらい?』
「ものすごく」
『知ってる。僕が叶えてあげるよ』
「本当?」
『もちろんさ、今まで頑張ったご褒美だよ』
「ヴェルネルとレムリは?」
『それは自分の目で確かめるんだ。これが最後の命だよ。大事に、大切にね』
――――――
――――
――
それからどのくらいの時間が経過したのか、アイレは目を覚ました。視界に飛び込んだのは、見たことがないほど雲一つない青い空。
「外……?」
同時に鳥のさえずりが聞こえる。風が肌を通って、心地良い冷たさを感じた。ようやく我に返って、上半身を越した。
「ここは……」
周囲を見渡すと、そこは森の中だった。地面は濡れた落ち葉でいっぱいになっている。ほのかにお尻が濡れているが、不快感はない。それどころか、嬉しく思っている。
そして気づいた――ここは異世界だと。
その瞬間、最後の記憶を思い返した。病院だ。
驚いて自分の腕を見たが、若々しい。手もお腹も脚も全部若返っている。
「アニメとおなじ……」
心臓は生きていると叫んでいる。血液は元気に流れている。
アイレは確信した。ヴェルネルとレムリも必ずこの世界に来ている、と。
「俺たちは、願いを叶えたんだ」
もう一度倒れ込むと、大の字になって、空に向かって右拳を突き出した。そして、
「ヴェルネル、レムリ。待っててくれ、すぐに会いに行く」
決意を声に出した。
ここから、アイレの異世界転生物語がはじまる。
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