何故「4」は嫌われる?

kayako

四字熟語 四捨五入 四十不惑 三寒四温

 

 ここ日本において、「四」は当たり前に嫌われる数字である。

 何故かというと勿論、「四」=「死」を連想してしまうからだ。「し」だけでなく「よん」という読み方もあるのに。

「四国」を「死国」と呼んだホラー小説が映画にまでなってしまったくらいだ。


 しかし「四」は便利な数字でもある。

 家族の数は4人が理想的と昔から言われているし。

 夫婦二人だけの家族の場合でも、サラダにプチトマトを取り分けるのは2個でも6個でもなく4個がちょうどいい。

 洗面所にかけておくタオルも4枚がちょうどいい。

 ホールケーキだって、4の倍数たる8で等分にするのが一番いい時が多いだろう。

 駅のホームで比較的人が少なく、乗り降りにも便利そうなちょうどいい位置で待っていると、そこに来るのは決まって「4」号車だし。

 改札を通る時も、「4」のついた改札機が何故か一番便利な位置にある。

「四」字熟語の必殺技はめっちゃカッコイイし。

 日本を彩るのは「四季」であり、桜が楽しめて希望に溢れた年度始まりも「四月」。

 そもそもビルとか窓とか机とか棚とか、ありとあらゆるものは「四」角形で出来ているじゃないか。


 読みのひとつが「死」を連想させるから駄目というなら、「詩」も「志」も「市」も「紙」も「子」も全部駄目だろう。何故「四」だけがそこまで叩かれる!?


 16時44分は忌み嫌われがちな時刻だが、一日働き疲れてそろそろ夕方か~と思って時計を見るのってだいたいそのくらいじゃないのか。

 おそ松さんの6つ子で一番人気といえば四男の一松だし。

 お年玉だって四千円が、ご祝儀だって四万円がちょうどいいと思える時だって多い。



 なのに、4が「死」を連想するから。ただそれだけの理由で――

 時計を見てたまたま16時44分だったら震え上がってしまい、お年玉もご祝儀も一枚お札を増やさねばならず、便利な車両や改札機を何となく避けてしまい、プチトマトは4個でなく6個に増やさねばならない。

 令和4年4月4日の16時44分なんて、日本人にしてみれば一生にそれほどあるかも分からない、スーパー縁起の悪い時刻である。ゾロ目って本来嬉しいはずなんだが。



 何故、日本はここまで「四」に怯えるのか?

 欧米で嫌われる数字は13とか17とか666とか、そこまで頻繁には使わない数字である。

 何故日本人はわざわざ、「四」という便利な数字を忌み嫌い、自ら不便な道を選ぶのか?

 こんな前時代的な風習に拘っているから、日本はいつまでも満員電車が消えないしブラック企業がはびこるんだ。

 そう思ってちょっとググってみたら



「四」は日本だけじゃなく、東アジアほぼ全域で嫌われる数字だそうで。

 中国・韓国・シンガポール・マレーシアなど。

 漢字を使う文化圏だと当たり前に嫌われ、中国系移民が多いシンガポールやマレーシアでも同様だそうで……



 まさかそこまでとは意外だった。

 これではさすがに、「四」への酷い偏見や差別を解消するのは四苦八苦するだろう。

 この状況で「四」を推せば四方八方から袋叩きにされ、四面楚歌となって四肢がもげるほどの苦痛を味わい、四六時中悩み続けるに違いない。



 いやしかし真面目な話、お年玉4千円やご祝儀4万円ぐらいはそろそろ大目に見ていただいても良いのではと思うんですが、それはあくまで贈る側の意見であって、受け取る側の心情を考えるとそうもいかないのだろうなぁ。



 ※当然ですが、プチトマトやホールケーキやタオルや6つ子などなどの例えには個人差がありますのでご注意ください。

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