失禁

Jack Torrance

マシューの誕生日

18階建てビルディングの最上階のオフィスの窓から一望出来る摩天楼が鮮やかに映える。


今日も終わった。


私はふーっと溜息を漏らしデスクの上のASUSのラップトップをシャットダウンする。


パチンとエンターキーを叩く音が誰も居ないオフィスに虚しく響く。


ニューヨークのマンハッタンに居を構える会社で台湾製のラップトップを使っているのは私くらいだろうか?


その理由は明白だ。


私は新品で支給されたヒューレット パッカード社製のラップトップを支給されたその日から僅か3日で私の不注意でハッカーのサイバーテロに晒してしまい内部機密を漏洩させてしまったからだ。


これには堪えた。


懲戒解雇は何とか免れたものの減給6ヶ月。


私は経理に降格されラップトップも支給してもらえず自前のASUSのラップトップをアマゾンで中古で購入し会社に置かせてもらっている。


デスクもエアコンの送風があまり届かず夏は日差しに晒される窓際に移動になった。


会社の同僚も以前は気さくに話し掛けてくれていたが最近は言葉数は少ない。


一日誰とも会話しない日もある。


腕時計を見た。


この腕時計も質屋で14ドル80セントで質流れになっていた4年落ちのスウォッチだ。


時刻はもう8時前。


私は今日節目の40歳を迎えた。


ハッピーバースデー、マシュー。


私は私に祝辞を述べた。


お前は頑張っている。


財布から半年前に別れた彼女の写真を出してじっと見た。


顔はおかちめんこだが愛想の良い女性だった。


別れた理由は、これも会社のラップトップ同様明白だ。


私が仕事中の事だった。


彼女は清掃の仕事をしていてその日は非番だった。


良かれと思って私のアパートに部屋の掃除に来てくれていた彼女がレノボのラップトップの閲覧履歴を出来心で覗いてしまったのが原因だった。


ラナ ローデス、ライリー リード、ディロン ハーパー、挙げれば限がないくらいの美しく可愛い魅惑的で官能的なポルノ女優達の閲覧履歴。


私は閲覧履歴を消去していなかった己を呪った。


そもそも合鍵を渡していたのが判断の誤りだったのかも知れない。


しかし、私には閲覧履歴を消去したくない理由があった。


何故なら過去の閲覧履歴からお気に入りのポルノ女優の元へとタイムマシーンのように時空を超えてタイムトリップ出来たからだ。


彼女は自分よりも美しいポルノ女優で私が有り余った性欲を解消している事に嫉妬した。


彼女は潔癖だった。


だから、彼女にとって清掃の仕事は天職だった。


なので私の部屋に掃除に来た。


「なあ、赦してくれよ、何も浮気していた訳じゃないんだからさ」


「マシュー、あなたって不潔。見損なったわ、あなたがこんなにも淫らな人だったなんて」


別れ際にそう言っていた彼女だっったが彼女もセックスの時は淫らだった。


私にバックから執拗に突かれるのを彼女は好んでいた。


顔はおかちめんこだったが夜の相性は抜群だった。


私は彼女に未練たらたらだ。


彼女の写真をそっと財布に仕舞った。


現在は付き合っている女性はいない。


端から見れば独身貴族を謳歌しているように想われるだろう。


実際のところ人恋しい年頃だ。


奥さんがいてくれたらと思う事は多々ある。


一人での侘しい食事。


会話も無くぼーっとネットを見たり映画を観たりする毎日。


映画や読書の感想を話す相手さえいない現状。


彼女と別れてからはポルノ女優にお世話になる回数が前年度比の3倍くらいになった。


減給の身なのでコールガールにも電話出来ず一人悶々と過ごす日々だ。


このまま寂しい老後を迎えるのだろうか?


友人はいるが皆所帯を持ち多忙な毎日だ。


私はネガティヴな未来予想図を思考から追い払い、そそくさとタイムカードを押して退社する。


グルグルグル。


猛烈な空腹感が本能に翻弄されながら生きる私に自己主張している。


『スカーフェイス』でスティーヴン バウアーが台詞でマフィアのボスに「今なら牛一頭でも食えまさぁ~」と言っていたような気がする。


いや、馬一頭だっただろうか?


まあ、牛だろうが馬だろうがさして変わりはない。


正にその気分だ。


私はバーガーキングに立ち寄った。


「いらっしゃいませ、こんばんは」


接客している女性店員がポルノ女優のエルザ ジーンみたいで私のタイプだ。


エルザの絡みのシーンがスーパーマリオのように横スクロールして私のきのこを大きくしている。


眼前の女性店員に私のきのこを試食して欲しい。


厨房かトイレでこのエルザ似の彼女とポルノのワンシーンのようにファックしたい。


私のきのこが収獲出来るくらいに成長しているのを彼女に気付かれないように腰がちょっと引けた状態でオーダーした。


その態勢はお客様に軽い会釈をしているウエイターのようだ。


「ハバネロチーズグリルバーガーとポテトのラージサイズ、それとアボカドビーフワッパーをお願いします」


「イートインとテイクアウトどちらになされますか?」


「テイクアウトでお願いします」


「承知致しました。15分程お待ちいただけますか」


私はエルザ似の彼女を上から下まで舐め回すように観察し様々なシチュエーションで妄想を膨らませて楽しんだ。


一人寂しい毎日からの現実逃避。


「お客様お待たせ致しました。ハバネロチーズグリルバーガーがお一つ、アボカドビーフワッパーがお一つ、ポテトのラージサイズがお一つ、合わせまして15ドル63セント頂戴致します」


私は財布を出して中を見た。


20ドル紙幣が2枚と小銭だけだった。


私はエルザ似の彼女で膨らませていた妄想が一気に窄み現実に引き戻された。


私は20ドル紙幣を差し出し会計を済ませた。


後は彼女へのチップだ。


釣銭の小銭を渡そうかとも思ったが小銭で嵩張るだろうなと想い小銭を財布に仕舞い残る1枚の20ドル紙幣をチップとして差し出した。


エルザ似の彼女は、えっ、こんなにいいんですか?という表情で戸惑っていたが私はハリウッドセレブのような気前の良い笑みを彼女に投げ返して店を立ち去った。


店を出た後に妄想15分20ドルと頭の中でレジスターがチーンと鳴った。


こうしてカロリー満点の夕食をテイクアウトして帰路に就いた。


夜空を見上げると月星が輝いていた。


私にも輝いていた時代があった筈なのだろうが遠い過去の記憶で判然としない。


素人の女性経験は前の彼女と大学時代に付き合っていた彼女と二人だけだ。


両方ともおかちめんこだった。


大学時代の彼女は交際3ヶ月で破局。


前の彼女とは8ヶ月だった。


私は貧乏性なのでコールガールを呼ぶ事は滅多に無い。


私は過去の自分と向き合いながら家路に就く途中に果たして私に輝いていた時代はあったのだろうか?と自問自答した。


そうこうしてるとアパートに着いた。


アパートの廊下の照明が切れていて真っ暗だ。


大家に言って直してもらわないとと1週間前から想っているが帰りの時間も遅く蔑ろになっている。


ポケットから部屋の鍵を出して鍵穴に挿した。


カチッと鍵が開くと鍵を抜き取ってゆっくりとドアノブを回して中に入ろうとした。


その時である。


背後から足音も立てず幽霊のように人影が忍び寄り銃口を後頭部に突き付けられた。


持っていたバーガーキングの紙袋がバサリと落ちた。


私は息を呑んだ。


「騒ぐなよ、静かに中に入れ」


ドスの利いた嗄れた声で男が言った。


私は言われた通りに中に入り泣きじゃくりながら懇願した。


「こ、こ、殺さないでくれ。た、頼むよ。金目の物は全部持って行っていいから。頼む、後生だから命だけは助けてくれ」


往生際の悪い死刑囚がガス室に連れて行かれる直前に刑務官に泣き縋るように私は頼み込んだ。


そうは言ったものの財布の中は小銭だけだし腕時計は質流れのスウォッチ。


後、家にある金目の物といったらレノボのラップトップとソニーのラジカセくらいだ。


あまりの貧相加減に男は激昂して私を殺すかも知れない。


背中に流れる冷や汗を感じながら戦慄の恐怖が地表から樹木に絡み付く蔓植物のように迫って来る。


「うるせえ、黙れ。四の五の抜かすとぶっ殺すぞ、てめえ」


男が低い声で言って撃鉄を下ろす音がカチッと鳴った。


すると、部屋の灯りがパッと点いて歌声が聴こえてきた。


「ハッピ~ バ~スデ~ トゥ ユ~♪ハッピ~ バ~スデ~ トゥ ユ~♪ハッピ~ バ~スデ~ ディ~ア~ マシュ~~~♪ハッピ~ バ~スデ~ トゥ ユ~♪」


私は何が起きたんだとパニックになって歌声が聴こえた方を目ン玉をひん剥いて直視した。


そこには、父さん、母さん、妹家族、友人の姿があり、甥っ子が〈どっきり成功!マシュー叔父さん誕生日おめでとう!〉と書かれたプラカードを持っていた。


私は後ろを振り向いた。


強盗の男が名刺を渡しながら言った。


「リアリティ俳優養成所のシルヴェスター スタイミーです。何か仕事がありましたらよろしくどうぞ」


シルヴェスター スタローンのそっくりさんのような男で男の吐く息からは煙草とビールの臭いがした。


ハリウッド俳優顔負けの迫真の素晴らしい演技だった。


私は母さんにも合鍵を渡していた事を失念していた。


私は皆を軽蔑の眼差しでギロリと見渡した。


皆の顔は一様に困惑して気不味い空気が室内を支配した。


私の股間は膀胱から迸った液体でぐっしょりと熱く湿っていた。


その日に限って私は普段あまり着ない薄いグレーのスーツを着ていた。


烈火の炎のように燃え盛る羞恥心と闘いながらこの窮地を如何にして脱しようかと私は熟考した。


暫しの沈黙が室内に漂う。


手元にウージーがあれば1秒間に12発、弾倉を取り替える手間を考えても1分間で600発くらいは連射出来るだろう。


家族や友人らの面前での恥ずべき失態。



果たして私に皆の前でたかが失禁したくらいで皆を虐殺出来るのだろうか?


そう思えばいいんだ。


たかが失禁。


だが、私の中の邪悪な物体がこうも言っている。


されど失禁。


私が赤子ならば何も悩む必要なんか無い。


しかし、私は今日40の大台に乗った。


ウージーなんか要らない。


それよりも22口径のルガーとたった1発の銃弾だけでいい。


それを今すぐ所望出来たら私は自分の脳味噌を吹き飛ばしたい。


そして沖に漂う流木のように波に身を委ねたい…

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失禁 Jack Torrance @John-D

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