第97話 異世界へ転移する日



 研究施設Xanaduの崩壊から数えること、一年は経った。


 俺と、およそ五年にわたる『ピースメーカー』計画の成果物――アンゴルモアのとして作り上げた第四世代のオルタネーターの四方谷さんは、神佑大学別館に隠れている。


 電力問題は解決しても、依然として時空転移装置じくうてんいそうちは完成していない。アンゴルモアはとうとう痺れを切らしたらしく、ローラー作戦を実行している。各地でモンスターが暴れており、死人の数は増すばかり。俺と四方谷さんがアンゴルモアの前に出ていけば、以降は犠牲者が出ないんじゃあないかな。絶対に行かないけど。


 大天才の努力を水泡に帰すわけにはいかねェじゃん。匿ってくれたユートピア一行、ひいてはシイナと俺を結びつけてくれた俺の兄五代のためにも、俺たちは身を潜め続けなければならない。


 真実を知る者はどこを探してもいない。俺しかいないけど、オルタネーターはオルタネーターというだけで生存が許されないような世の中になってしまった。四方谷さんは特別な存在で、大天才なのに、それでもオルタネーターだから、この部屋の外を出たら最後、その辺の凡庸な第三世代のオルタネーターと大して変わらない扱いを受けてしまう。四方谷さんは背も低いし。


 しかし、事態が事態だ。

 差別と偏見に満ち溢れた世界に、出て行かなければならない。


 俺が四方谷さんを守る。


 ユニが四方谷さんの脳内に書きこんでくれた設計図は残っているから。

 生きてさえいればチャンスはまた巡ってくるから。


 だから。


「四方谷さん! 逃げましょう!」


 予想通り時空転移装置の前に佇んでいた四方谷さんの右腕を引っ張る。

 悔しそうな表情を浮かべていてもどうしようもない。やり場のない怒りが「あんただけで逃げなさいよ」というセリフと共に暴力として現れる。腹を蹴り飛ばされた。


「いでででで……」


 右腕から手を離し、その場にうずくまる。こんなことをしている場合じゃあないというのは、俺が一番わかっている。それでも冗談じゃ済まされないぐらい痛い。肋骨が折れたかもしれない。


 言葉じゃあなくて力に頼る姿は、父親アイツと被ってきて胃液が上がってくる。四方谷さんと父親アイツとは、似ても似つかないのにな。……なんでこんな非常時に、父親アイツの顔がチラつくんだろ。わかんねェな。


 父親アイツは俺に何をしてくれた?

 父親アイツにとっての俺は、自分をよく見せるための道具だったろ。


 挙げ句の果てに車で、シノバズ池に突っ込んで、俺からひいちゃんを奪った。俺はひいちゃんが義理の妹になってくれて、俺がひいちゃんの〝おにいちゃん〟になれたから、俺の人生は変わったはずなんだ。変わったはずなのに、どうして、今、ひいちゃんは俺のそばにいないの?


 父親アイツが悪い。苦しくて仕方ないのに平気な顔をしている俺を見て、参宮さん家はなんともないんだと勘違いしていた周りの大人たちが憎い。ひいちゃんは俺を認めてくれたのに、俺を息子としては認めてくれなかった後妻さんが恨めしい。優しい顔をしていたのに、結局は孫よりも自分の娘のほうが大事だった祖母が厭わしい。時空転移装置を使用して『ピースメーカー』計画の中で一人だけ勝ち逃げしたユニが羨ましい。


 四方谷さんは俺を救ってくれたよ。


 他の誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も、俺を救ってくれない。

 全人類が等しく不幸Zero-Sumでありますように。


「おい」


 四方谷さんだけだよ。俺に手を差し伸べてくれるのは。人間は誰も、俺を救ってくれないんだ。代替品オルタネーターの四方谷さんとなら「ほら、逃げますよ!」どこへでも行ける。


「あたしは逃げ! ない!」

「なら、これをよーく見てください!」


 外の様子を見せてやれば、大天才にも『これ以上この場所に留まっていられない理由』がわかるだろう。俺は白衣のポケットから携帯端末を取り出して、ニュース番組の映像を見せる。四方谷さんは「あ」とその小さな口を、あごが外れるんじゃあないかと心配になるほどにあんぐりと開けた。


 図鑑や歴史書をいた図書館に昆虫の幼体のような姿のモンスターが頭から突っ込んでいる。人間たちは逃げ惑っていた。確か、シノバズ池の近くにシェルターがあるはずだ。行く手を阻むのは人間サイズにまで引き伸ばした大きさのネズミたち。


「早く逃げないと、ここもペシャンコのガラクタですよ!」


 図書館の一直線上に俺たちの現在地である神佑大学別館がある。

 進行方向を変えてくれそうには見えない。


「そうね」


 絶体絶命の危機なのに、四方谷さんは口角を上げる。

 俺の手を振り解いて、時空転移装置の電源を入れた。


「まさか……」

「逃げよう。これを使って」

「これが未完成品なのは、四方谷さんが一番わかっているでしょう?」


 俺が現実を突きつければ「今から逃げて、シェルターまで間に合う?」と正論で返してきた。四方谷さんは大天才だけど、運動機能は発達しきっていない。五歳児と大して変わらないぐらいの体力だから、全力で走っても辿り着けないんじゃあねェかな。まあ、俺も人のことは言えない。神佑大学別館にこもってからはしばらく運動という運動をしてないし。いや、研究施設Xanaduでもしてねェわ。


「あたしの理論は正しい!」


 根拠のない自信。

 大天才を大天才としている、要素の一つ。


「四方谷さん」


 ああ、そうか。

 ひいちゃんにそっくりの顔を見て、思い至る。


 そっくりだけど、ひいちゃんじゃあない。ひいちゃんとは違う。四方谷さんは四方谷さんで、かけがえのない存在。


 俺が、誰よりも、……この世界の誰よりも、四方谷さんを信じてあげないと。

 このちっぽけな大天才が奇跡を起こすんだって、信じてやらないと。


「何?」


 モンスター同類だったものに押し潰される最期は、大天才にふさわしくない。

 そんなの、ありふれているじゃあないか。


 時空転移装置に乗り込んで、大天才である自らが起こすであろうを信じたまま、その生涯を終えたほうがいい。


「俺がスイッチを押します」


 右側のボックスに乗り込みながら、四方谷さんは「参宮は乗らないのか?」と聞いてくる。


「これで左側から四方谷さんが出てきたら笑い飛ばしてやりたいので」


 嘘だ。俺は嘘をついている。四方谷さんに悟られないように、瞬きせず。


「そうなったら笑っていいよ」


 本当は、一緒に乗りたい。そりゃそうだよ。その手を握って、同じ奇跡を信じて目を閉じたい。


 でも、俺が行くわけにはいかない。


 どこからともなく『罪を贖え』と俺に命じてくる。贖えったって何をすりゃあいいんだろ。許しを乞う相手もいない。


 扉が閉じる。スイッチを押した。仰々しい起動音のあと、ぐわんぐわんと建物が揺れる。この揺れが、モンスターが起こしているものなのか、あるいは時空転移装置が正常に作動している証左なのかは、俺にはわからない。


 俺は参宮拓三さんぐうたくみで、この世界がこんな、惨憺たる有様になったのは俺のせいだ。俺が悪い。そうだよな。そう言ってほしいんだろ。俺のせいで、色んな不幸が生まれてしまった。


 俺が、あの日、あのとき、アンゴルモアの誘いに乗らなければ、こんなことにはなってない。


「……久しぶり、アンゴルモアサヨナラ、ピースメーカー


 天井を突き破り、時空転移装置を踏み潰して。

 ユニは、――ユニの肉体を乗っ取ったアンゴルモアは、一歩遅く、到着した。

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