第96話 水深二万里

 ユートピア一行を乗せた宇宙船は、宇宙のどこかを目指して飛び立った頃だろう。ここからは見えないだろうに、四方谷さんは窓の外の景色を眠たげな顔をして眺めている。シイナが四方谷さんに何と話したかはわからないけど、ふと、唇が動く。義理の妹に酷似した代替品オルタネーターの口からは「これからは二人きりだな」という言葉がこぼれ落ちた。


「寂しいんですか?」

「は? ちげぇし」


 考えてみれば、四方谷さんの周りには常に人間や他の第四世代のオルタネーターがいた。シイナと出会い、神佑大学別館にやってきてからはユートピアのみなさんがいる。一つの建物内に四方谷さんと俺の二人しかいない状況は初めて。


「大丈夫ですよ。俺に任せてください」


 俺は大天才を励まそうとしたのに、大天才は「任せきれねェな」と呆れ顔になった。


「参宮さ、嘘つくとき瞬きしてんの」


 任せてほしいってのは、嘘じゃあないけど。

 それに、瞬きしてたか? 


「……初めて言われました」

「だとしたら、あたしに指摘されてよかったじゃねェか。以後気をつけろよ」


 無意識にやっていたのかな。俺がわざとらしくパチパチと数回瞬きしてみせると、四方谷さんはちょっとだけ得意げに鼻を鳴らした。


 この様子なら、姉妹のように可愛がってくれていたレモさんやカイリちゃんが居なくとも平気か。


「にしても、あちぃな」


 四方谷さんはノートをパタパタとあおいで風を起こし始めた。モンスターが発電所を襲った――正しくは、発電所で働いていたオルタネーターがモンスターに変化して暴れた――せいで、エアコンは動かせない。


 モンスターたちも多様化していて、最近では高層ビルぐらいの大きさの、怪獣映画に登場する怪獣みたいなモンスターも現れている。最初は人間サイズのウサギだったのにな。噂によれば、大型のモンスターが小型のモンスターを捕食してさらに巨大化しているらしい。オルタネーターに含まれているアンゴルモア細胞を、他のモンスターからかき集めているんじゃあないかと俺は思う。思うだけで、誰にも言えねェけどさ。


 発電所の復旧作業に取り掛りたくても発電所の周りにいるモンスターを倒してからじゃないと作業員が近付けないので、電化製品を使えるようになるまでは時間がかかりそうだ。バッテリーや乾電池で駆動するものは通常通り動かせるけども、残念ながら室内の温度を下げる機能のあるものはない。


 しばらくは図書館からきた本を日中に読んで、日が暮れたらさっさと寝るような規則正しい生活を送ることになる。逆に考えよう。健康的じゃあないか。


 大天才の四方谷さんは、疲れ果てて居眠りしているところにそっと毛布をかけようとすると「寝てねェから!」と逆ギレするぐらいには、必死に、熱心に、時空転移装置を完成させようとしていた。


 命を削って人類のために尽くそうとするのは、オルタネーターとして生み出された自らの使命を果たそうとしているから。オルタネーターは人類のために死すべき存在なのであって――多くのオルタネーターがそれぞれの職業を務め上げるように――大天才である四方谷さんは時空転移装置を作り上げるために生まれたのだと、自らに言い聞かせているようにも見えた。


 とはいえ、その時空転移装置の開発も発電所の復旧待ちになってしまう。開発と一言で言っても、あとは転移先の座標点を模索する段階だ。右から左にものを移動するんじゃあなくて、右に入って左ではない、ここではない場所に転移させるための計算式を編み出さないといけない。


 四方谷さんはこの時空転移装置を使って、モンスターたちを別の場所に転移させたいらしい。モンスターたちをどっか別の場所に追い出せたら、地球は再び人類のものになる。……それはどうかな。だなんて、口が裂けても言えないけど。


 俺は違う。


 俺は、この時空転移装置を四方谷さんに使用してほしい。時空転移装置を使って、ここではない、違う世界へと逃げてほしい。大天才の四方谷さんなら、きっと、どこへ行っても生きていける。根拠はないけど。


 とにかく、こんな未来のない世界にいてはいけない。大天才なのだから、ただのオルタネーターとしてその一生を終えるんじゃあなくて、もっと広い世界で生きてほしい。図鑑の写真を見て思いを馳せるだけじゃあなくて、実際にその目で確かめてきてほしい。


 いつだったか、四方谷さんは俺に語ってくれた。

 よく覚えてるよ。


「カイリはあたしに〝オルタネーターが生まれる前の世界の話〟をしてくれるんだ。あたしは大天才だからさ、あたしが、この世界を、元の状態に戻したい」


 その目を輝かせながら、理想を語ってくれた。

 もう戻せないよ。


『こうなったのは誰のせい?』


 奇跡でも起こらない限りは。


 もし無かったことにできる神がかった力が存在するのだとしても、無かったことにしちゃあいけない。ここに至るまでの全てを無かったことにしたら、四方谷さんはこの世から消えてしまうから。だから俺は……。


 出来ることなら、俺も時空転移装置に乗り込みたい。四方谷さんについていきたい。四方谷さんのそばにいたい。ずっと、この先ずっと。俺は四方谷さんの手を離してはいけないのだから。


 でも、この世界そのものが俺を引き留める。


 罪悪感が。四方谷さんが世界を救わんとしているのを、間近で見ていて、何とも思わないのか。思わないわけないじゃん。


 俺の体内のアンゴルモア細胞がなせる技なのか、そこまでは定かではないけど、こう、囁いてくる。声のするほうを見ても、何もいない。四方谷さんに聞いても「いるわけねェだろ」と言われる。そうだよな。いたら、とっくのとうに四方谷さんを乗っ取ってるよ。


 だって、そのために四方谷さんを作ったんだから。


 あの『ピースメーカー』計画は、アンゴルモアが人間としてのを手に入れるために、――四方谷さんはオルタネーターだから、人間じゃあないけど、もうこの際どうでもいいのか?


 どこからやり直せばいい?


「かき氷を作りましょう!」


 暑くて気が狂いそうになる。俺はかき氷器をテーブルの上にどんと置いた。ガンホルダーやホルスターをシイナに頼んだ時に、ついでにお願いしたかき氷器だ。


 レモさんの「こうも毎日暑いと夏休みを思い出しちゃうね」という一言をきっかけに始まった夏休みトークの中で、四方谷さんが一番食いついたのが『夏祭りの屋台』の話題だったからさ。


 手動で氷を削るタイプ。年季の入ったもの。シイナはどっから仕入れてきたんだろ。入手経路はさておき、電力の供給のない現状、もし電動だったらただのガラクタだったから、手動で助かった。四方谷さんは「かき氷って、あの、かき氷か!」と飛びつく。


「冷凍庫の氷が溶けちゃう前に、やっておきたかったんですよね」


 冷凍庫で思い出したけど、冷蔵庫の中の食品の劣化も気になる。


 シイナのこだわりで、オルタネーターの肉が使用された食品はこの建物の中に存在しない。例の缶詰も一個もなかった。オルタネーターの肉および肉を加工したものを使用している食品は、必ず表記するよう法律で定められている。四方谷さんに食べさせるのは気が引けるので、シイナには感謝してもしきれない。


 電力問題は早いとこ復旧していただかないと困る。……と、俺が願うのは間違ってんのかな。

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