第71話 インディペンデント・ボディ 〈前編〉
算数の問題集が一冊終わった頃。その日の放課後に事件は発生する。俺の授業は四時間目だったが、本当にいつも通りだった。
せっかちさんが真っ先に提出して、きまじめさんが茶々を入れる。特に変わった様子は見られなかった。次の問題集を何にしようか。そこそこ話のできる理科の担当へと相談を持ちかけようとしていた時に、俺たち教師役の詰め所として使われている職員室のスピーカーからチャイムではない音が流れ出す。
「あたしたちは、人間による支配から解放されるでち!」
職員室でどよめきが起こった。きまじめさんの声だ。
「人間は、あたしたちオルタネーターの人権を無視しているでち! オルタネーターに関する研究は、即刻止めるでち!」
『何を言っているのだか』
俺の机の上に置かれたウサギさんが呟く。どっちかっていえば呆れているようなニュアンスだ。
人権。人間の代役として作られたオルタネーターが語る人権とはこれいかに。まあ、この中で一番オルタネーターとの付き合いが短い俺が言うのもなんだけど、彼女らは人間だと思う。人間だから、人間と同じく疲れるし、休みたい時は休みたい。人間の都合で、オルタネーターを酷使するのは間違いだと言われたら、同意できる。研究を即刻止めなければならない理由はよくわからないけどさ。
「あたしたちは人間の道具ではなく、ましてや食料でもないでち! この漆葉は! あたしたちの最期まで支配しようとしているでち!」
「離したまえ!」
漆葉さんの声がスピーカーから聞こえてくる。食料でもない、の箇所で理科の担当が「なんでオルタネーターが〝あのこと〟を知ってんだ?」と不思議そうに首を傾げた。職員室中で「当人たちには伝えないんじゃ」だとか「どっから情報が?」だとか混乱が生じている。俺は職員室を出た。
話したのは俺だ。オルタネーターに食肉加工場の話をしたのは俺だ。正確にはうわさ好きさんは知っていたけども、それでも俺が話をしなければ確定情報にはならなかった。放送室へ向かって駆け出す。
「あたしたちはXanaduを出て、ここで行われていた全ての人体実験を公表するでち! 手始めに、あたしたちの不幸の原因たるピースメーカー計画の責任者を処刑するでち!」
廊下にも声は響いている。俺は「やめろ!」と放送室の扉を開けたが、目の前には奇妙な装置しかない。近付いてよくよく見ると、からくり仕掛けのように遠隔でスイッチが押されて、事前に録音された音声が施設内のスピーカーから流れるような仕組みとなっていた。
「やめろ! やめてくれ! わ、わ、わかったっ! わかったよ! 何が望みだ言ってみろ!」
漆葉さんの命乞いは過去のものであり。
「死ね! 死ね! 死ね!」
オルタネーターたちの合唱もまた同じである。
「助け、助けて! 助けて! 誰か! 機械を止めてくヒィあああああああああああ!」
断末魔の叫び声に、俺は耳を塞ぎながら、――「機械を止めてくれ」の言葉が示す場所へと走って、内部へ突入する。まだ正式稼働ではないから、漆葉さんやユニ、俺の持っているカードキーでないと中には入れない。
「せんせでち!」
「わ!」
「せんせがきたでち!」
「みんなー! せんせだ!」
つまり、このオルタネーター第二世代の方々は漆葉さんのカードキーを盗み取って担ぎ込み、命をも奪い取ったというわけだな。やってくれてんなァ。試運転にはちょうどよかったんじゃあないか?
「首謀者は?」
もはや原型を留めていない、元漆葉さんを視界に入れつつ、冷静を装って訊ねる。こうやって見ると、ここに着いた最初のタイミングで漆葉さんから見せてもらったオルタネーターの第一世代――水槽に入れられた、ただのスライムみたいな肉塊のように見えなくもない。残酷な末路だけども、科学技術を駆使して人体の部品を作ろうとしていた人間の人生のおしまいとしては上出来かもな。俺が評価していいもんなのかわからないけどさ。オチとしては綺麗だ。
「みんなで考えたでち!」
せっかちさんが答える。なるほど、みんなね。俺は一体一体の顔を見た。同じ素材からできているのに、それぞれ肌の色やほくろの位置、目や輪郭の形も違う。育ってきた環境も同一なのにさ。こっちは文系の科目が得意だったり、そっちは理系の科目がよくできたり、運動が得意なのもいる。不思議だよな。人間はまだ、周りとの人間関係だったり住んでいる場所だったりっていう言い訳ができるけどさ。そういうのはできないわけじゃん。
これから製品として世の中で働いていくんなら、個体差はなくしていったほうがよさそうな気はする。高いところの作業をやらせようとしたら高所恐怖症でしたぁ、だったら困るしさ。適材適所って言葉もあるから難しいな。得意不得意を見極めて、得意なやつを得意そうなところに回していく。その辺、ユニともよーく話していかないと。
「なら、連帯責任ってとこかな」
ユニで思い出した。ピースメーカー計画は、安藤もあの魂の移植先っていうか〝器〟を探したかったんだよな。俺に選択肢があって、品定めしろって言われていた。教師役をしていて忘れかけていたよ。
「失敗作どもが」
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