第64話 オルタネーター 〈本論〉
胸ポケットからセブンスターのソフトパックを取り出し、一本をくわえる。我関せずの様相だ。灰皿のそばに三個ほど転がっているライターのうちの一個を手に取って、火をつけた。
「ああ、そうだな?」
俺は(形式的に)同意しておく。内心複雑だ。違和感を語尾に込めておいた。今の俺には、ユニの言葉を鵜呑みにはできない。
それでもこの初対面の漆葉チーフの目の前で「さっきまでと言ってたこと違うじゃあん」と反論しても当惑させるだけだ。それなりに――本人がかつて『親子ぐらい離れている』と申していたように――年上ではあるが、そりゃあ、おっぱいが大きくてスタイルも良くて目はチワワみたいに大きくて潤んでいて小顔でショートボブのヘアースタイルが似合っているちっちゃくて可憐なユニが俺のガールフレンドだって言い張るのなら嬉しくないわけがない。そうあるのならそうあってほしいよ。ただしユニには一色京壱がいて、一色京壱を他の誰よりも愛している。
ユニが『寄り添っていきたい』と言ってくれちゃったのは、保護者的で庇護者としてで。あくまで上の立場からのニュアンスだ。俺と対等の、同じ目線に立ってのセリフではない。俺が手を繋ごうとして『勘違いしてない?』と拒んだのは、とどのつまり、俺は恋人ではないからである。自分で考えろって言われたから考えてやったよ。
だから、その、ユニが俺をボーイフレンド扱いするのはおかしい。
夢かな?
漆葉チーフはその煙を天井に向けて吐き出してから「で、弐瓶教授は僕に式のスピーチを頼みにきたのですか?」と抑揚のない声で訊ねてくる。情報工学と遺伝子工学とで研究分野こそ違えど、付き合いは長いのだろうか。
「タクミが今後携わっていくこととなる『ピースメーカー』計画の、現状を理解してもらわねばなるまいて」
ユニが答えると、その『ピースメーカー』計画とやらの責任者らしい漆葉チーフは眉を顰めた。この研究施設は『ピースメーカー』計画を推し進めるための場所。
俺としては『人類の平和』がどうのこうのはどうでもいい。本当にどうでもいい。俺の人生は俺だけのものだから、俺以外の人類がどうなろうと知ったことじゃあない。ユニはその『人類の平和』の『人類』に俺も含まれていて、人類の救済を目指しているらしいが。
「――僕は、人類は勝ち組と負け組に分類できると考えている」
椅子を左右に回しながら、漆葉チーフは持論を展開し始めた。ふーん? ……ユニを見下ろすと、ユニは「ふんふん」とわかったようなわからないような顔をしてうなずいている。何度か聞いているのかもしれない。
それから漆葉チーフはタバコの先を俺に向けて「君は自分がどちらだと思いますか?」と振ってきた。
人生における勝ち負けってなんだろう。経済的に豊かであることかな。そうであるとすれば俺は負けてはいないか。安藤もあが〝転移〟させてきた札束のおかげで金には困っていない。現品で全額を持ち歩くのはいくらなんでも(身体のデカい俺でも刺されたら死ぬので)防犯上よろしくないから自分の名義の口座に預けている。出金しなくても携帯端末からアプリで支払う際に口座の残高から使用されていく。毎日豪勢な食事を選んで、考えうる限りの無駄遣いをしてしまえば尽きるだろうが、世の中がこうなってしまった以上それも難しい。
生まれ育った環境の良し悪しで勝ち負けが決まるのであれば、悪しのほうだから負け組に振り分けられるだろう。父親は事故死、母親からは俺は悪くないのに勘当されて、帰る場所もないわけだしさ。
「タクミは勝ち組だぞ。我がついているのだから」
ユニが考えあぐねている俺の代わりに返答すると、漆葉チーフは「そうですね。愚問で・し・たっと」灰皿にタバコの先端を擦り付けてその火を消し、椅子から立ち上がる。
「人類は頑張りすぎました。その肉体と精神を削って、人類史を築き上げてきたのです。これからは
オルタネーター。
漆葉チーフは水槽を指差し「これが『ピースメーカー』計画に基づき作られたオルタネーターの第一世代」と言い放つ。
何の変哲もないただの水槽だが、水中には魚ではなく赤紫色のスライムのようなものが鎮座していた。ただのオブジェにしか見えない。こうやって注視しなければ気に留めもしなかっただろう。
「僕らの『ピースメーカー』計画にオルタネーターは切っても切れない関係にあります」
これが?
この肉塊が。
やけに自信に満ち溢れた表情をして「機械は、人間が動かすのに最適な形状で開発されています。今の人類に、機械のための機械を作るだけの余力は残されていません。ならば、僕らはオルタネーターという人間の代替品を作って、人間の代わりに労働させます。人類は政府からベーシックインカムを受け取り、自由で豊かな生活を」うんぬんと漆葉チーフは語っているが、これがどうやって人間として動き出すというのか。
ここから腕や足が生えて人間のサイズにまで進化するとでも?
俺はきっと、嘲るような半笑いで漆葉チーフの話を聞いていたのだろう。自分で自分の顔は見られないからな。ユニに「〝コズミックパワー〟を忘れてはいないか?」と指摘されて、我に返る。
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