第63話 オルタネーター 〈序論〉


 両手にセブンスターのソフトを2カートンずつ持たされた。大きめのレジ袋の中でガサガサと音を立てている。できたら両手に花のほうが嬉しい。俺の周りにタバコを吸う人間がいなかったから、この4カートンのタバコがいったい何日分なのかがわからない。その人が一日に吸う本数にもよるか。


「ちょうだい」


 研究施設の入り口で、ユニは俺にレジ袋を明け渡すよう指示してきた。インターホンを鳴らそうとしたその指をそのまま俺のほうに向けてくる。ここまで運んできたのは俺なのにな。まあ、金を出したのはユニだからユニのものか。そうだな。不承不承にレジ袋を差し出す。


「ありがと」


 ユニは受け取って、持ち手に腕を通して肘のあたりに吊り下げてからインターホンを鳴らす。ぼそぼそとした声で「入ってください」と聞こえた直後に元は校門だったであろうゲートが開いた。ラジオでも散々〝節電〟しろと喧伝していて、コンビニでは店内や事務所内の一部照明を落としていたというのに。ユニといいこの施設の人間といい、自身を特権階級と思い込んでいる方々は違うな。


「今の声が漆葉うるしばさんね。ザナドゥのトップオブトップ」

「そのザナドゥって言い方やめませんか」


 俺は〝研究施設〟で押し通しているが、本来の呼称はザナドゥXanaduだ。俺は何がなんでも〝研究施設〟で通す。いいな?


 どうしても書類を提出しなくてはならないときは恥を忍んで書くか、他の研究員に代筆してもらおう。ユニの護衛の面々が安藤もあの遺体を運んでそのままこちらに滞在しているのだとか。俺の顔を知っているやつが数人はいる計算だ。まあ、俺はあいつらの顔を覚えていないし名前も知らないが。っていうか、なんだよザナドゥって。どういう意味だかユニに聞き返してしまったよ。桃源郷らしい。誰のセンスだよ誰の。……トップオブトップってことは漆葉さんが決めたのか?


 漆葉さんのセンスだとしたら相当な厨二病患者だ。

 うまくやっていけるのかな俺。


 俺の主目的はこの研究施設の設備でひいちゃんを――ひいちゃんの姿をした、ひいちゃんと同じように俺を慕ってくれる存在を――蘇らせること。その間にこの世界がどうなろうと、人類が〝恐怖の大王〟からいかなる制裁を加えられようとも。まだるっこしい人間関係は最低限のやり取りで留めていきたい。相手の求めている反応を適度に返しながら好感度を上げすぎず、愛想笑いで交わしていく。これまで培ってきた対人スキルを活用していけば、ここでの半強制的な共同生活もやっていけるだろう。不安は杞憂に終わる。はずだ。


「なんでよ。『人類の平和』のために必要不可欠な研究施設なんだから、よそと被らなさそーなユニークな名前でいいじゃんかよ」


 自分の家の庭のように、遠慮なくずかずかと進んでいくユニ。


 情報工学の教授であるところのユニが、遺伝子工学の研究施設とつながりがあるのは、本人が突拍子もなく言い出した『人類の平和』のためなのだろう。しかし、――ユニは一色京壱に会いたくて会いたくて情報工学を極めたはずなのに、侵略者によって人類が窮地に立たされたからと『ピースメーカー』計画を始めたのは関連性が薄すぎる。


 侵略者たるアンゴルモアの〝コズミックパワー〟が、一色京壱の居場所Transport Gaming Xanaduの世界へとさせてくれる。という一点だけだ。ユニ自身には『人類の平和』だとかいう御大層な、救済を願うだけの動機はない。この世界にユニの意中の人一色京壱は存在しないのだから。


「ユニークすぎて俺にはついていけねェっていうか」


 靴箱が並ぶ玄関の手前の扉をひじで開けて、靴を履き替えずに上がっていくので俺もついていく。

 学校だった頃の名残が散見されて、土足で歩き回ることに違和感を覚えた。


「おいおいおいおいおーい。会う前からそれかーい。しっかりしてよん」


 スタスタと階段を上がっていく。迷いのない足取り。ついていきながら、俺は踊り場の壁に貼られた施設内の地図を見た。北校舎と南校舎とに分かれている。二階と三階に連絡通路があり、俺たちが今いるのは南校舎のほう。北校舎のほうに個人の居室があるようだ。


 左手に2つのレジ袋を持って、昔は校長室として使われていたであろう部屋の扉を「たのもー!」と道場破りのように開け放つユニ。


「やあ」


 校長室であった頃からその場所に鎮座して、現在もなお立場が上の人間が使用している机と、革張りの椅子。くわえていたタバコを灰皿に置いて、その男は軽く左手を上げた。俺の父親よりも年齢は上だろう。肌は浅黒く皺だらけ。目はくぼんでいて「僕が漆葉弥七うるしばやしち。漆葉チーフと呼んでください」敵意なくニヤリと笑って見せてきたその歯は黄ばんでいる。役職はチーフなのか。覚えておこう。


「弐瓶教授、そちらの人は」


 目線はユニに向けたまま、俺をそちらの人と呼んだ。俺の部屋が用意されているとのことだし、前もって話していたのではなかったか。そうだったよな。つまりは、俺が参宮拓三であるかどうかの確認の意味合いだろう。

 ユニは俺が自己紹介しようと一歩前へ進もうとするのを制すると「我のボーイフレンドの参宮拓三さんぐうたくみだ」と一音一音に力を込めて、はっきりと言い切る。


「は?」


 困惑を脳内で抑えきれずに声に出してしまった。聞き間違いじゃあないかしら。数秒前にさかのぼって録音したい。こういう時に限ってボイスレコーダーを起動していない俺。いやいや、こんな不意打ちがあってたまるかよ。どういう風の吹き回し?


 俺の耳が俺にとって都合がよいように、ユニの言葉を変換しているんじゃあないか。


 ユニは背伸びして「事実に相違ないだろう?」と耳打ちすると、腰に手を回して俺の耳をはんだ。


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