Phase3
第61話 絶対安静都市 〈前編〉
安藤もあの遺体が持ち込まれた研究施設に向かう道すがら、ユニは舌打ちして「いっけね、タバコ買わなきゃ」と呟いた。
目線の先にはコンビニがある。
「喫煙者でしたっけ」
ユニが喫煙者なら昨日の今頃から今日この時までに一本も吸っていないのはおかしい。一度ぐらい吸いに行くだろう。タバコのにおいもしない。シャワーを浴びるついでに吸いに行ったならいざ知らず、研究室には灰皿やライター、あるいは加熱式タバコに必要な充電器や本体そのものは見当たらなかった。
違うとわかっていて訊ねれば苦々しい表情で「あれだよ、君の持ってきたドーナツみたいなもんだよ」と返事をして、トートバッグから携帯端末を取り出す。残高を確認しているようだ。
「ふーん?」
タバコを買って持っていくと喜ばれる相手か。
俺の荷物はユニの研究室を訪れたときと同じドラムバッグ。その中にひいちゃんのウサギさんと、自分の着替え一式が入っている。建物の中は空調が整えられていて快適な室温が保たれていたが、外に出ると暑い。
今後の拠点となる場所へ行き、ユニよりも上の立場の人間に挨拶しなくてはならないというのに上はポロシャツ、下はデニムのパンツにスニーカーとラフな格好をしている。この暑さに対しては申し分ない服装だが、目上の人に対しては失礼にあたらないか。……まあ、今更気にする事項でもないな。どう思われてもいいや。かっちりしたフォーマルな服装を持ち合わせていないのもあるけどさ。
この国に立派な〝遺伝子工学〟の研究施設があることに驚くが、統廃合によって児童生徒がいなくなってしまった校舎を20XX年の最新の建築技術によって増強した建築物らしい。トウキョーからはさらに離れてしまうが、離れていることでこのたびの大震災の被害をさほど受けなかったようだ。逆に俺の祖父母の家の近くの、本来俺が通うべきキャンパスは――ユニ曰く「古くてきちゃないものを歴史的建造物とのたまってそのまんまにしとくから、こうなっても致し方なし。ざまぁなのですわ」――壊滅している。
俺としてはこれからもユニの研究室に寝泊まりさせてほしいが、
「ついでになんか食べ物買お。パンでもおにぎりでも、生鮮食品が食べたいよねん」
出発する前に長期保存用のビスケットをかじるなり「パッサパサだよパッサパサ!」と不満を垂れていたユニらしい提案だ。しかしこのアスファルトのひび割れ、昨日とは打って変わっての交通量の少なさを鑑みるに、ユニのお目当ての『パンでもおにぎりでも』納品されているのか怪しい。一口かじって押し付けられたビスケットの
顔に出ていたのか「ユニちゃんはおなか空いてんの。ささっと行くよーん」と俺の手首を掴んでくる。振り解いて、その左手を握ろうとするとギョッとされてしまった。手を繋ぐぐらいしてくれてもいいじゃん。熱いものにうっかり触ってしまったときのように、脊髄反射で引っ込められた。
「なーんか誤解してなーい?」
「
それに寄り添っていきたいだなんて言ってきたのはそっちじゃあないか。あれが告白ではないのだとすれば何。俺には嘘つくなって言うのにユニは俺に嘘をつくの?
「はっきり言っておくけど、というか、何度も言っているんだけれども! ユニちゃんは京壱くんラブで一筋だから!」
「俺のポジションは?」
「知るか自分のその頭で考えろ」
女さんほんっとわかんね。
自分で考えろって言われちゃったよ。
なんで?
ユニもユニの頭で、ご自分がどれだけ意見をふらつかせているかを考えてほしい。っていうか、これまでの俺の人生が他人の意見や都合で構築されていたから、もう他人には振り回されたくなくてこの道を進んでいるのに、たった一人の
前言撤回。
ユニからは離れよう。別れに寂しさを感じるな。研究施設でひいちゃんを作る。その一点だけを考えよう。情報工学の教授であるユニに、人間を製造する技術は専門外だ。どうせ俺とどっこいどっこいかちょっとだけわかるぐらいの知識しかない、はず。
「いらっしゃいませー」
一足早くユニが入店し、コンビニ店員が「久しぶりのお客様だ!」と言い出しかねないほどに勢いよく挨拶した。実際そうなのだろう。ここでユニと一悶着起こして見失ってしまったら――俺は目的地の研究施設の場所もタバコを贈る相手の名前も教えられていない――これからの俺の計画も台無しなので渋々ついていく。
店内を一望すれば、アメやガムといった嗜好品は売れ残っていて、カップ麺や冷凍食品などの保存食の棚はすっからかん。ユニのお目当てのパンやおにぎりなんて見る影もない。うちにはそんなもの元から売ってませんでしたよ、みたいな陳列棚だ。
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