第60話 世界のどん底で愛を叫ぶけもの 〈後編〉


「まあまあ、一旦落ち着いて。タオルあげるから顔拭いて」


 ユニは引き出しを引っ張って、その中に畳まれていたタオルを一枚渡してくる。受け取ったのを見てから「あと水飲んで」とペットボトルも押し付けてきた。すぐには答えられないか。俺はウサギさんを床に座らせる。


「座って」


 次に座布団を二枚用意して、一枚の上に俺を半ば強制的に座らせた。ユニの専用部屋だからか、他人がこうして滞在するのは想定していないのだろう。テーブルはあるのにソファーの類はない。初めて来た時には気にはならなかったが、ユニが他者との直接的な交流を拒んできた証左でもあるか。この部屋の様子で変化したのは備蓄食料品の数ぐらい。


 ユニはもう一枚の上に正座して「ユニちゃんは『良識ある大人として』あるいは『一人の教育者として』もしくは『人生の先達として』好きとか嫌いとかの恋愛対象としてではなくと考えました」と語り始めた。


 良識の有無は疑問。教育者っていうか〝教授〟だから研究者というのが正しそう。まあ、俺より年上だから〝人生の先達〟だけは間違っていない。


「君の人生でこれまで君に関わってきた大人たちは、随分と身勝手でした。初期の段階で治療すれば完治できたはずです。でも、実際は放っておかれて悪化して、重症化して、性根ごと腐ってしまった。ユニちゃんは教育学部の先生でもなければ精神科の先生でもないから専門外ではあるから、矯正できるかはしょーじきわからん」

「何を治すのさ」


 今更、ユニが何をしたところで俺は変わらない。ユニが挙げたその手のスペシャリストを連れてきても、大して効果はあらわれないと思う。彼らが何をしてくれんの。薬で記憶を飛ばしてくれんのかな。それはそれでありがたいかも。だが、ひいちゃんとの思い出まで消されたら立ち直れない。今度こそ無理。この記憶を外部メモリに保存しておけたらいいのにな。日記にでも書き残しておこうか。


「頭脳明晰アルティメット才媛のユニちゃんは君と関わってきて、君の言うように『俺は悪くない』のだと理解しました。育ってきた環境がはちゃめちゃに悪い。親ガチャの失敗データベース。ハイレアリティ毒親。さらにドローしたカード再婚した相手も最悪だったっしぃ?」


 後妻さんのことかな。

 カードって言い方しなくても。


 ユニはに独特なアクセントを加えて、俺の表情が変化するか否かを観察している。俺の過去を懇切丁寧に掘り起こしていって、ユニの中で『後妻さんが俺との子どもを堕ろしている』事実が引っかかってるんだろう。幾度となく俺を疑っていて、今回で何回目だ?


 俺はユニに『後妻さんに迫られて嫌々だった』と主張していて、真実を知る違うと知っている者は亡くなっている。何百回と何千回と訊かれようと俺はこの主張真っ赤な嘘を押し通すだろう。そうしておいたほうが俺にとって都合がいいから。真実と事実は違う。20XX年にもなって過去に遡って確認する手段タイムマシンがない以上、生き残っている俺には過去を捻じ曲げる権利がある。


「ユニちゃんは君の代わりにはなれないし、だからって君の過去を追体験したくもない。実家も平々凡々でパパとママからそこそこ大事に育てられたユニちゃんがこう言うのは、思い上がりかもしれないしお節介かもしれないけど、


 顔色から悟らせないために、受け取ったタオルを広げて顔を覆う。

 そうでもしないと大笑いしてしまいそうだ。


 いいじゃん。

 ユニ。

 


 情愛にまみれた好意ではなくて善意からの慈悲。っていうか、老婆心っていうのかな、これは。ババアって言ったら怒るだろうな。やめておこう。でも、いいよいいよ。いい感じ。これからの俺の行動指針も決めやすいもん。ツンデレっぽい「キラーイ!」も捨てがたいけど。


 お前はどん底にいる俺をんだ。


 地上から、俺を見下ろしてさ。ちょろっと糸を垂らすだけでいい。とってもとっても簡単な仕事。その糸にしがみついて、引き上げられている間に切れないかと不安げにしている顔を、見ていればいい。時折「頑張れ」とか「その意気」とか声援を送る。言葉に何の意味があるんだよ。


 人が〝人〟を助けようとした時、人は〝人〟を同じ人とは思っていない。

 人は〝人〟よりも優位な存在なのだと、勘違いする。


 どこかでボタンを掛け違えたら、逆の立場かもしれないだなんて考えもしない!


 それでもいいよ。俺は。俺はね。ユニは可愛くてちっちゃくて、男どもからの人気があって、人目を引く存在。そんな姫が俺を構ってくれるってんだから。今晩は何してやろうかな。


「一つだけ約束して」


 タオルを除けて見れば、ユニがその細い人差し指を立てている。爪やすりで整えられたその指先を咥えたら、どういう顔をしてくれるんだろう。この眼差しが妄想を焼き焦がす。


「私に嘘をつかないで」


 そんなことでいいの。

 すでに嘘ついてるんだけどそれは?


「……もうついてるのねーん」


 動揺を察知してくれた。まあ、それでも俺から口を割らないかぎりバレやしない。俺は「人間、生きていたら隠し事のひとつやふたつぐらいあるもんじゃあないですか? ユニにも俺に言えない話、あるでしょ?」とからかう。


 すると、ユニは一度座り直す。背筋をピンと伸ばして、これまでのうるうるとしたチワワのような瞳ではなく、より遠くを見据えたような瞳にすげ替えた。こうしてみると確かに〝教育者〟の顔をしている。


「君はこのままではいけない。


 と言われましても。


 俺は俺を不幸にしかしないこの世界は嫌いだ。ずっと望み続けていたものが手に入らないのなら、作るしかない。唯一、俺を俺として愛してくれたひいちゃんを、作る。そういう話だったじゃあないか。あんな人たち血のつながった両親のせいで感情がぐちゃぐちゃで、回り道をしてしまった。本題に戻らねばならない。俺はごく個人的な問題で迷っているわけにはいかない。そうだったよ。


 こんな世の中になってしまったのだから、昔よりも『亡くなった人に会いたい』と望んでいる人は多いはずだ。20XX年の科学技術で人体を作り上げる。――その研究施設を、これから見に行くんじゃあないか。禁忌とされていたのは過去の話。


「この『人類の平和』の〝人類〟の中に、君も含まれているんだからね我とタクミの未来があるのだぞ。君がしてしまったことは取り返しのつかない事態大震災と隕石の衝突を招いて、多くの命が犠牲となったこんなに死ぬとは思っていなかった。それでも、いや、だからこそ、君は『ピースメーカー』計画に参加してもらうよーん」

?」

「残り少なくなった人類を救済し、日常を取り戻し、争いのない『人類の平和』な暮らしを創成する計画――それが『ピースメーカー』計画」








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SeasonY

Phase2

〝世界終末時計〟end


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