第47話 兎は無慈悲な俺の女王 〈後編〉

 五代晴人くんを交番に送り届ける。

 はるとくんの本当のおにいちゃんの代わりに頭を下げ、その足で後妻さんの実家に向か


『おにいちゃん!』

「誰だよ!」


 ずっと付きまとってくる声に反応してやる。

 女の子の声だ。


 こちらを不思議そうな目で見てくる人はいるが、はるとくんのように声をかけてくるような、……ましてやくっついてくるような人はいない。それぞれがそれぞれの想いを抱いて、それぞれの目的地に向かって歩いている。見ず知らずの俺に構っている暇はない。そんな体力が余っているのなら、歩いたほうがマシだ。


『バッグを開けて』


 バッグ……?

 言われるがままに、ドラムバッグをアスファルトの上に下ろしてファスナーを引っ張る。声がするようなものは入っていない。はずなのに、さらに『ここだよ!』とアピールしてきた。


「どこ……?」


 カバンの中身を漁りながら独り言を呟いている大学院生。はたから見るとそんなところだろう。まあ、声はかけられない。なんかヤバそうなやつがいるな、という視線はたまに感じる。気にすんなよ。俺だって好き好んで自分の荷物をぐちゃぐちゃにしてるわけじゃねェっての。


『ワタシは、ひいちゃんのウサギさん。連れてきてくれてありがとう』


 いえいえ。

 どういたしまして。


 元はといえば俺が買って、ひいちゃんにプレゼントしたものだ。ひいちゃんが亡くなった今、俺の持ち物となってもおかしくはないわけで。感謝されるほどのことはしていない。


『他にも持ち出したいものはあったでしょうに』


 ない。


 あの家に、俺の持ち物なんて必要最低限しかなかった。っていうか、元々俺の持ち物と胸を張って言えるようなものは着替えとパソコンと筆記用具と教科書の類ぐらいなものだ。ミニマリストというほどではないけれど、俺に収集癖はない。だから、ひいちゃんとの思い出の品であるこの〝ウサギのぬいぐるみ〟をドラムバッグに詰め込むのに抵抗はなかった。


「喋ってる?」


 俺はぬいぐるみをバッグから取り出す。両手で肩を掴んで、正面に向かい合った。耳が垂れていて、それがまたひいちゃんが好んでいたツインテールの髪型みたいで可愛らしい。二つの目はボタン。しっかりと縫い付けられているので、片方だけ取れてしまうようなグロテスクな姿には、まだ、なりそうにない。まあ、ひいちゃんも相当大事にしてくれていたからな。


『おにいちゃんの〝ひいちゃんへの想い〟がワタシにをくれたの』

「え……?」

『ワタシはひいちゃんにはなれないけれど……ひいちゃんの代わりに、おにいちゃんを支えることはできると思うんだ』


 朗々と話すウサギさん。


 そっか。俺の想いが届いたんだ。あれか。さっき、シノバズ池で落ち込んでたから。俺を励ましてくれているのか。そういうこと?


『おにいちゃんには、まだやらなきゃいけないことがあるでしょう?』


 俺の、やらなきゃいけないこと。


『だから、死のうとしちゃだめだよ』

「……そうだね」

『わかったなら、ユニのところへ行こう!』


 ウサギさんの言う通りだ。ぬいぐるみに言われないとわからないなんて、俺はどこまでいっても自分の意志で自分の行き先を決められないんだな。悲しい。身体ばっかり大きくなってしまった。心はいつまでも、ずっと、子どものままだ。もうそれでいいや。このままでいいんだよ。


 何やらヒソヒソと、俺のほうを見て噂する声が聞こえてくる。


 他の大人たちの目なんてどうでもいい。

 気にしたら負けだ。


 これからの俺を、ウサギさんが導いてくれる!


「弐瓶教授のところまで、遠足だな」

『そうそう。遠足遠足!』


 遠足だと考えたら足取りも軽くなった。


 とはいえ、俺自身、遠足にいい思い出があるわけではない。遠足といえば親が丹精込めて作った弁当を食べるのがメインイベントみたいなところがあるけれど、毎年コンビニで買ってきたものをうまく組み合わせて作り上げられた弁当だった。まずいわけがない。だが、学校としてはあまりよろしくはなかったらしく、父親はその度に反省するふりをしていた。


『ワタシが歌ってあげるね!』


 ありがとう!


 ひいちゃんは可愛くて、人気者だったから、おゆうぎ会でも主役だった。主役のひいちゃんはとっても輝いていて、いつもよりもいっそう可愛く見えた。いっつも可愛いんだけどさ。みんなの注目の的となったひいちゃんは、さらに可愛かったんだよ。写真が俺の携帯端末に残っているから、あとで弐瓶教授にも見せてあげよう。きっと弐瓶教授も腰を抜かしてしまうだろうな!


 おゆうぎ会の主役は一人でおうたを歌うシーンがあって。ひいちゃんの歌声は、観客席を笑顔にしてくれた。ひいちゃんは天使だ。神が天より使わせた者。地上に降り立った天使。その歌声は録画してあるから、これもまた弐瓶教授に自慢しよう。こんなに可愛い子が、この世の中には存在していたんだと。


 過去形だけど。


 天使だから、お迎えが来るのも早かったのかな。わからない。なんで、ひいちゃんが死ななければならなかったんだろう。あの事故のせいで、ひいちゃんは死んでしまった。どうしてだろう。俺があの日、試験を受けに行かなかったら。


『あっるっこー! あーるーこー!』


 ウサギさんの調子外れの歌を聞いていたら、なんだか、どうにもならなかったことを悔やんでも仕方ないなって思えてきた。これが音楽の力ってやつかー。体感しちゃったなー。

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