第42話 理性のない怪物 〈上〉
やがて台所から料理をしている音がしてきた。
そうか。
そんな時間か。
その音に混ざって「バタン」と何かが床に倒れるような音が鼓膜を叩く。祖母が台所から移動して、戸棚から皿を取り出す際に椅子を倒してしまったか。そんなところだろう。
安藤もあがやってきて、祖母から人間のイロハを学ぶようになってからというもの、いちいち物音に動じていたら気が休まらないほどには家の中が騒々しくなった。だから、今回の音も気にしなくていい。
宇宙からの侵略者はまず手近な日常を侵略していった、とも言える。出会わなければよかったのではないか。なんて思わなくもない。
あちらが転移先を見誤り、偶然にもその場に俺がいた。始まりは、たまたまあのシノバズ池のベンチに俺が座っていたというだけ。勝手に惚れ込んで、転がり込んできたのは宇宙人の方だ。
俺は悪くない。
何も。
何も悪くない。
「……五ヶ月ね」
結局、結論は先送りにされてしまったわけだ。
あの場から立ち去ったというのはそういうこと。
何も変わっていない状況をどう打開するかだ。このまま侵略者に逃げ切られてはならない。絶対に。止めなくてはならない。うっかり階段の上から突き落とすぐらいの……普通の人間ならば死ぬぐらいの衝撃を与えれば、宇宙人は殺せなくともおなかの中の子どもは無事ではないだろう。考えてみればまだ五ヶ月あるのだから、手術でなくとも機会はある。普通に生まれてくるとも限らないしな。いくらでも事故は起こりうる。
「ね、ひいちゃん。俺は悪くないんだ」
ウサギのぬいぐるみに話しかけると、無言の肯定が返ってきてくれた。そうだよ。肯定だ。沈黙が答えである。
俺を除け者にして盛り上がっているあっちが悪い。俺は悪くない。ひいちゃんだけがわかってくれる。俺の味方はひいちゃんしかいない。どうして死んじゃったんだろう。本当に意味がわからない。同じ車に乗っていたのがいけなかったが、同じ車に乗らないという選択肢はなかった。五歳児のひいちゃんが家に一人で留守番というわけにはいかなかったからだ。
あいつらが悪い。何度考えても理不尽だ。父親と、後妻さんと、元旦那と、大人はみんな悪いやつばっかりだ。大人は何にもできない子どもを、身勝手に巻き込んでいく。あんまりがすぎる。世の中がおかしい。
子どものままでいい。そうも思う。好きになってもらう必要性はどこにもない。嫌いになってもらっていい。わがままで、無知で、ひとりぼっちが苦手な子どものままでいい。大人に全ての責任を押し付けるような立場でいい。
それでいて、他人からの得体の知れない期待に応えるための努力をしなくてもいい。
もっと、より自由に、誰かの言葉に縛られないような人生を送るために、子どもにとっての子どもは重荷にしかならない。
どうして誰も理解してくれないんだろう?
俺の言葉に頷いてくれる存在が欲しい。ただ一人だけでもいてくれたら、それでいい。多くはいらない。一人だけでいい。多ければ多いほど、正しいというわけでもないから。
存在を作らなければならない。
発展した科学技術は人間を作り出せるはずなのに20XX年にもなって量産できていない。人間は、より進化できるはずなのに。いまだに哺乳類と同じ生殖方法でしか生命を生産できていない。適当な個体を見つけて、時間をかけて身体の中で育てる。他に手段はない。だから、産むだの産まないだのでこうやって、問題が起こる。めんどくさい。技術があるのに活用しないのは怠慢だろうに、ああでもないこうでもないこうしてはいけない、道徳的な観点がどうのなどと屁理屈をこねる。
「死んだ人間を作り出せるのなら、
変えるかどうかは断定できないが、MMORPGの世界に〝転移〟するよりはまだ現実的な選択肢だと思う。
あの人の想い人である一色京壱とやらを蘇らせるほうが、ゲームの内部を探し回るよりもはるかに楽なのではないか。
まあ、俺は今回の件であの人にはまんまとハメられたというか、出し抜かれたようなものだけど、会いたい存在があるというのは共通項として依然変わらない。自らが達成すべき目標に対して、
「タクミくん、もあちゃん、晩御飯できましたよー」
祖母が扉越しにでも聞こえるようにと声を張り上げて、俺と安藤もあを呼んでいる。安藤もあは朝食から夕食まで、本当に朝から晩まで祖母にべったりくっついていたのに、今日は近くにいないということか。まあ、……そういう日もあるか。
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