第41話 パラサイト・エバ 〈後編〉


 考えてもらうのはいいんだけどさ。時間がないっていうのはわかってんのかな。わかってなさそう。産むこと前提で話が進んでたっぽいしさ。


 それならそれで、どうして今このタイミングで話そうと思ったのか。俺にとっての手遅れ――例えば、六ヶ月を過ぎてから話をしても、いや、俺が困るけど……。


 祖母は同居している孫の彼女の現在の心境に胸を痛めてしまったらしく「ちょっと休ませて」と言い残して寝室へ行ってしまった。俺が自殺しようとしているように見えたのも加味してほしい。死ぬ気は全くなかったけど。


 リビングには俺以外誰もいなくなってしまったから、コーヒーカップを片付けて自分の部屋に戻った。俺は悪くない。二人のぶんの麦茶は全く減っていなかった。


『生まれてこなければよかったのに』


 ある日の父親の一言が聞こえてきた気がして、ベッドに倒れ込む。ショックがぶり返す。俺に希死念慮が芽生えたあのとき。本当に、心の底からそう思って、息子たる俺に言ってくれたんだろう。俺の存在さえなければ、顔も覚えていない母親――父親にとってのと共に現在も生きていたかもしれない。


 俺の知ったことじゃあないけど、なんで産んだのさ。捨てていくなら産まなきゃよかったじゃん。俺は悪くない。永遠に謎が解けない。誰か答えを教えてほしい。


 居なくなった母親を探して聞き出せばいいんかな。探しようがないんだけどさ。会いたい。会って話がしたい。片方からの答えを聞いたところでもう片方は死んでるから、正しい答えは聞けない。こういうのって双方の話を聞いたほうがいいと思うんだよね。どっちかはどっちかにとって有利な話しかしないもんだしさ。


 子どもの頃の俺には早く大人になってこの家を出て行きたい、と同時に、どんな人だかも全くわからない俺にとっての母親に逃げられたこの父親をという、依存に似た思いがあった。息子とはかくあるべきであるという、その姿を演じ続けた。これが〝家族愛〟というものなのだとしたら、周りの話を聞く限り『一般的な形式とは異なる歪んだもの』だったように思う。


 いらない。


 早々に切り捨てるべきだった。教師に相談するとか、児童相談所に駆け込むとか。解決策は成長した今だからこそわかる。当時は知らなかった。与えられた環境の中で、どう生きていくかを考えるのに必死だったから。育ってから、よその家の話を聞いて気付くこともあるよ。やたら厳しかったんだなって。当人にとってはそれが普通だと思い込むしかねェからそういうもんだと思ってやり過ごしてきた。けど、それはおかしかった。


 こうやってでっかく育ったからやられることもなくなったけど、ごく普通のご家庭ではむやみやたらに子どもを殴り飛ばすとか蹴り飛ばすとかしないらしい。そうなんだね。知らなかった。でも、おかげさまで俺に対して「こう言ってほしいんだろうな」という言葉を考えるようになったから、そこまで悪いことではなかったって思うようにしておきたい。


 まあ、ともかく、そんなやつに『生まれてこなければよかった』なんて全否定されたものだから、トラウマのごとく記憶の奥底に深く刻み込まれてしまった。


 カエルの子はカエルで、タカにはならない。もし、もし、俺が百歩譲って、自分の想いを吐き出さぬままで、安藤もあのおなかの中にいる子どもを産ませたとして、俺はふとした瞬間に同じことを繰り返して、同じ思いをさせてしまうに違いない。そんな不幸が起こり得るなら未然に防いだほうがいいに決まっている。


「ひいちゃん。俺はどうすればいいと思う?」


 ウサギのぬいぐるみに話しかけても、答えは返ってこない。誰もが俺に、将来的に生まれてくる子どもを育ててほしいと思っている。正解は知っていた。知っていても、できるかどうかの問題だ。これから何十年と、自分ではない他人子どもに振り回される人生を受け入れられるかどうか。周囲は困難を乗り越えるべく手助けしてくれるとまで言ってくれている。


 だから、あとは、俺自身がどう考えて、どう行動するかだけだ。

 それはわかっている。


「俺はあの、安藤もあのことが好きなの?」


 好きってなんだろう。好きなら、他の人間を不幸に陥れても許されるものなのか。それだけの強い感情なのかがぜんっぜん理解できない。どうして苦しまなければならないのかがまったくわからない。


 ところで、俺の人生って一体何。何なの。誰かのためのものなのか?

 最初は父親のためのもので、他人からの期待に応えるためのもので、今度はまだ名前も決まっていないような他人子どものためのもの。


 そんな理不尽があるか。


「ひいちゃん」


 答えてほしい。

 あの子が、あの義理の妹ひいちゃんがいてくれたら、こんなことにはなっていなかった。絶対になっていない。断言できる。


 俺が義理の妹ひいちゃんに向けていた感情の正体は一体なんだったんだろう。


 ずっと共に居たかった。

 周りからなんと言われようとも、俺が唯一の『おにいちゃん』であったから。

 向こうからの、信頼に、俺は誠心誠意できる限り応えられていたつもりだ。


 これが『好き』って気持ち?


 だとすれば、もう二度と手に入らない。時空を超えて、あの交通事故をなかったことにしたとしても、今この地点にいる俺が救われるわけではない。真の救いは、ひいちゃんを蘇らせることにある。あのときから続く未来がここに出現するのであれば、それが俺にとっての最高の未来じゃあなかろうか。

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