第37話 アニマルパーク 〈下〉


 水面をスイスイと進んでいく水鳥は、一生懸命その足をバタつかせている。


「わー」

「漕いでくれない?」


 歓声を上げていないで、足を動かしてくれないかな。

 漕がないと動かないんだよねこれ。


「なぜ我が漕がねばならぬのか」


 乗りたいって言ったのはお前の方じゃねェか。スワンボート乗りたいって言うやつ大体こうなるよな。当の本人は漕いでくれなくて、相方が漕ぐ。船着場のおっちゃんに統計を取ってほしい。ほぼほぼ男が運動させられてるだろうな。


「ほら、おかあさまが選んでくれた今日のこーでぃねーと、この場には向いておらん」


 眉間にしわを寄せていると、自分の服装をアピールしてきた。

 黒地に大輪のヒマワリがいくつも咲き誇っているマキシ丈のワンピースだ。ぺたんこの靴を合わせている。ペダルを漕ごうとすれば裾が巻き込まれてしまうだろう。乗るまでに気付いてもう一個のオールで漕ぐほうに変えさせればよかった。あっちでもこっちが働かされるのは一緒かもしれねェけど。


「そうだな」


 ちょうど池の真ん中まできて、俺は漕ぐのをやめた。


 カモが悠々と近づいてくる。いろんな人から餌付けられているのか、人間を怖がるそぶりはなく、その瞳をこちらに向けてきた。見ていればもらえるとでも思ってんだろうな。あいにくこちらは何も持っていない。捕まえてカモ鍋にしたら美味しいかも。


「明日、検査する」


 安藤もあは真っ直ぐ前を向いたまま、語り始めた。

 不意に南から風が吹く。温風というよりは熱風と言い表すのが正しい。太陽からの容赦ない熱で火照った身体を、少しだけ休めてくれる。


「話してなかったけど、我は、妊娠していて」


 あー。

 服の系統が変わったのもそれね。


「おかあさまが、病院を探してくれて、写真を撮ったり採血したり」


 宇宙人だから生理来ないのかと思ってた。

 一緒に住んでてこの五ヶ月だか、一度もなかったからな。


 祖母が怪しむのも無理ない。アンゴルモアのことを〝安藤もあ〟っていう普通の人間だと思ってるんだから。怪しんで病院に連れてったら発覚したってこった。宇宙からの侵略者が産婦人科に連れていかれんのウケる。


 まあ、侵略者の身体の構造が正確にはどうなってんのか、輪切りにしたわけじゃあないからわからん。名は興味ねェから知らないけど程よく有名らしいアイドルの人体をコピーしているんだから、人間になくてはならない臓器もその位置にあって、あんだけヤリまくれば妊娠していてもおかしくはない。


 うーん、宇宙人との子。


「赤ちゃんがいるんだって」


 おなかをさすりながら、俺の横顔を見てくる。


 こいつ突き落とせないかな。

 この池に。


 ど真ん中だから船着場からは遠いし、服は水を吸うし、おっちゃん以外に人影はない。事故ってことにすりゃあ、おっちゃんが一時的に仕事を失うだけだ。怖いのはさっき見せられた触手ぐらい。……やめとくか。


「おかあさまは喜んで助けてくれるって言ってて、ユニもいろいろ用意してくれるらしいぞ」

「ユニ?」

「タクミのいない時に、本人がお詫びにと言って来てくれた。その時に連絡先を交換したぞ。なんでも、我のコズミックパワーが必要なのだと言うからな。協力しないわけにもいかない」


 知らないうちに女さんたちで包囲網ができてたのね。アンゴルモア扮する京壱くんを逆レイプしてから、アンゴルモアのほうから面会謝絶ってところで俺の認識は止まってました。弐瓶教授、アンゴルモアとの関係性が改善したなんて俺には話してくれてねェのにな。こっちはこっちで話してると思われてんのか。


 案外、話してないよ。家では「おかあさま」「もあちゃん」の二人三脚であっちこっちで何かやっているから。買い物、料理、掃除に洗濯。あれって花嫁修行的なのだったのかな。だとしたら、いつ、安藤もあの本性を伝えたらいいんだ。本当は人類の滅亡を目論む宇宙の果てからの侵略者なんですって。


 こいつはこのまま隠し通していく心算か?


「我は産みたい」


 ふーん。


「だから、人類の滅亡は延期にしよう」


 へぇ。


「この子が育って、それからでもいい」

「そしたら、今度は『孫の顔が見たい』って言い出すんじゃあないだろうな」


 俺が口を挟むと、安藤もあは目を見開いて「我は、彼方からタクミと結ばれるために来たのだぞ! それ以上に、何があるというのだ」と反論した。


 結ばれるために来たんだっけ。

 まあ、似たようなもんか。


 それなら、産む必要なんてない。

 俺はやめない、延期にもしない、俺は俺の選択を貫く。


「子どもなんて産んでも、関わった全員が不幸になるだけだよ」


 だいぶ言葉を選んだつもりだ。俺にしては、やんわりと回りくどく言ったものだ。それともはっきり言ってやったほうがこいつのためなのかな。これで効かなかったら言ってやるしかない。あんまり言いたかない。今のこの安藤もあの蒼白な表情を見ているだけで、どこかから現れた微量の申し訳なさが俺の心に擦り寄ってくる。


 粉々にすりつぶして、二度と近寄らせない。


 だって、俺は何にも悪くないのだから。なんでこいつに対して申し訳なく思わないといけないのか。逆じゃね。他人に振り回されたくなくて、人類を滅ぼさんとしてんのに、どうして共謀者から裏切られないといけないわけ。俺は悪くない。また他人のせいで頓挫するじゃねェか。俺は俺の決めた道を進みたいだけなのに、どうしてこうなるのか理解できない。


「タクミ。よく考えて」


 何を?

 俺は考えて、よく考えた上で発言しているよ。

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